<尊仏山荘の眠そうなネコ「ミー君」>
春うららネコが眠たい丹沢:塔ノ岳(今年16回目)
(単独山行)
2011年4月6日(水)
■さあ,塔ノ岳へ出掛けるぞ
この所,連日のように鎌倉市内の桜を見て回るのに明け暮れていて,塔ノ岳にはすっかりご無沙汰している.月日の経つのが,早いか,遅いか,良く分からなくなっているが,あの3月11日の東日本大震災から,3週間を経過した今日この頃,鎌倉周辺で眺めている限りでは,計画停電も実施されなくなり,世相もかなり落ち着きを取り戻しているように思える.ただ,ここ数日,鎌倉市内をウロウロと歩き回ると,外国人観光客の姿がほとんど消えたことに気がつく.多分,地震や原発事故で日本に恐れをなしてしまったのだろう.
とはいえ,私達日本人は,何があっても,この日本から離れることはできないし,また,離れたくもない.私のような昭和1桁世代の戦中派(正確にはアプレゲールの戦後派)は,今回の大震災とあの戦争末期から戦後の世相とを,どうしても比較してしまう.放射能と聞くと,まず連想するのがピカドンだ.多分,あのときは,日本全国で恐ろしくなるのどの放射能を浴びていたのではないかと勝手に連想する.あれこれと考えながら,結局は,“どうにでも,なるようになれ,まあ耐えていくしかないさ・・”と自暴自棄になり,私の瞑想は終わる.
大震災直後は,被災者のことを思えば,山へ登るなどの物見遊山は以ての外と考えた.そして,暫くの間,丹沢行きは自粛していた.しかし,被災しなかった私達が応分の経済活動をしないと,ますます経済が疲弊してしまうのではないかという,かすかな不安も感じてきた.そこで,4月からは第一線の企業戦士である通勤客に迷惑を掛けない範囲で,電車にも乗るし,山行も繰り返すことに宗旨替えをした.
とはいえ,この所,何かとヤボ用が多くて,3月31日に塔ノ岳に登ってからもう1週間が過ぎようとしている.大分,体力も鈍っているに違いない.
今朝も4時に眼が覚める.昨日21時30分頃就寝したはずなのに,何となく寝覚めが悪く,身体が重い感じがする.昨夜来,”今日こそ丹沢”と思っていたが,今朝の身体の重さが気になって,やっぱり丹沢行きは止めようか,いや,やっぱり行こう・・と何遍も繰り返して思案する.そして,4時15分,ようやく,とにかく行こうという気になる.
今日の天気は上々のようである.そのため明け方の気温は放射冷却のためにかなり寒い.とはいえ季節は4月.寒いとはいえ厳冬期の寒さとはかなり違う.
私は何時も通りに,東海道本線と小田急電車を乗りついて,渋沢発大倉行1番バスに乗車する.バスは意外に空いている.乗客はほんの10名足らず.その内,ご常連は韋駄天のTさん,Y川さん,カメラマンのMさんだけ.もし私もご常連に加えて戴けるのなら,このバスに乗り合わせた常連は4名ということになる.
■小鳥の声を聞きながら登る
バスは,7時丁度に大倉に到着する.韋駄天のTさんはバスから下車するとそのまますぐに歩き出す.数分置いてカメラマンのMさん,さらに数分後,Y川さんが出発する.例によって私はモタモタ.家からここまで着ていたヤッケをリュックに仕舞い込み,身支度を調えていると,どうしても数分かかってしまう.そして,同じバスに乗り合わせた大部分の登山者が出発してしまった後,7時09分に漸く歩き出す.歩きながら,どうしてオレは,何時ものろまなんだろうと,自分がイヤになってくる.
歩き出してすぐに,道路は意外に乾いていることに気がつく.とても歩きやすい.ただ,気温はもうに10℃を越えている.歩き出してみると,朝方,感じていた身体の重さもそれほど気にならない.むしろ,春めいた陽気に誘われて,意外に調子が良さそうである.そこで,ほんの少しだけ,歩行ピッチを速めてみる.
登山口付近で,私より2~3分早く歩き出したY川さんの後ろ姿が見え出す.追い抜くのは悪いかなと思ったが,克董窯付近で,少し雑談.
「すみません,一足先に行かせて貰います.今日は(塔ノ岳の)山頂まで行かれますか?」
「ええ,今日は時間があるので,山頂まで行くつもりです」
「では,尊仏山荘でお待ちしています・・」
7時20分頃,丹沢ベースを通過する.前方にカメラマンのMさんの後ろ姿が見え出す.
「追いついちゃった! どうしよう・・?」
と思っている内に,距離が接近する.追い越させて戴こうかと思ったが,今日は気温が高いので,今のままのペースで登れそうもない.というのも,ほんの少しでも,今より速度を上げれば,汗が出そうな気がする.まあ,しばらくは様子を見ながら後を付けようと思う.ところが,どうしたことか,Mさんが意外に速い速度で登っておられる.そこで,私はそのまま数メートルの距離を保って,Mさんの後を付けるようにして歩き続ける.
7時40分,雑事場ノ平を通過する.見晴山荘までの平らな尾根道に入るところで,
「平らなところなので,先に行かせて貰います」
と挨拶して,Mさんの先に出る.
毎度のことながら,長い登り坂で再び追いつかれるのが自明である.
やがて,見晴山荘からの急坂に差し掛かる.坂の中腹をごくユックリとした速度で登っている登山者が見える.私は自分のペースを乱さないように細心の注意をしながら登り続ける.そして,モミジ坂の入口で,前方の登山者に追いつく.
7時42分に一本松を通過する.周囲も森からはシジュガラだろうか,“チッ,チッ,・・”という小鳥の鳴き声が盛んに聞こえてくる.谷間からはキツツキが気を叩く“ダ,ダ,ダ,・・”という音が聞こえてくる.やっぱり森の中も春なんだなと思う.
<堀山の尾根からの富士山>
■堀山の尾根からの富士山
急な階段を登って,8時08分に駒止茶屋を通過する.大倉を歩き出してからの所要時間は59分.わずか1分とはいえ,所要時間が1時間を切ったのは率直に嬉しい.
これまでの経験で,大倉から見晴山荘辺りまでサッサと歩けたときは,良いラップタイムになる.この調子ならば,山頂まで久々に2時間30分を切るぐらいのラップで,楽に登れそうだなと期待が弾む.
堀山の尾根道も良く乾いていて,快調に歩くことができる.ただ,相変わらず,気温が10℃を越えている.もう少し気温が低い方が歩きやすいので,気温が高めなのが,一寸,残念.
春霞が棚引きやすいこの時期にしては,富士山がとても良く見えている.大気が安定しているためか,雲も殆ど発生していない.ただ春霞がうっすらと掛かっているようである.
<小草平から富士山を望む>
■萱場平
8時24分,堀山の家を通過する.人の気配はなく辺りは静まり返っている.小草平から,相変わらず富士山が良く見えている.
ここからが,いよいよ大倉尾根の核心部,長い上り坂が連続する.楽しい登り坂である.私の前後には人の気配は全くない.私は全く誰にも患わされることもなく気儘に登り続ける.汗をかかないように注意をしながら,心の中で“マイペース,マイペース”を念仏のように唱えながら,ついつい足早になるのを自制する.でも,一方では,“単調”が連続する場所でもある.ついつい,バックグラウンドで,色々な雑念が湧いてくる.すると,どうしても足許がおろそかになりがちになる.
“このまま日本はダメになるんだろうか・・”
“いや,いや,そんなことはない.戦中戦後からこれまでの歴史を,お前は自分の目で見ているじゃないか・・・今後100年間は草木も生えないと言われたピカドンの瓦礫から見事に立ち直ったではないが.”
“そうだな,あまりペスミスティックになるのは馬鹿げているな・・”
8時43分,萱場平を通過する.相変わらず人の気配はなく静まり返っている.萱場平の地面はほどよく乾いているようである.前方を仰ぎ見ると青空の下に,これから登る花立山が聳えている.
<萱場平>
■花立山荘
相変わらず瞑想したり,我に返ったりを繰り返しながら,露岩帯を登り続ける.やがて前方に大きな岩塊が見え出す.
“もうすぐ後7分坂だな.あそこさえ登れば,山頂も近いぞ・・焦らずユックリ登れ!”
私は自分自身を勇気づける.
8時57分,後7分坂の下に到着する.大倉尾根の中で,私にとって,この坂が一番長くてきつく感じるところである.たった7分とはいえ,何と言っても単調.そして,えらく長く,辛い.私は辛さを紛らわせるために後7分坂の段数を数えながら登ることにする.
数え始めて始めると,改めて思い当たることがいくつかある.
第1に,階段の歩幅がえらくばらついている.歩幅が広いところは1歩で登れないので2歩になる.その度に段数を間違いそうになる.
第2に,道幅の半分しかない中途半端な段があることである.従って,この半分しかない階段を1段と数えるかどうかで,段数は微妙に変わってしまう.
第3に,階段か,それとも単に地面が盛り上がっているだけか,良く分からないところもある.これを階段としてカウントするかしないかも迷う.
それはともかく,自己流で,退屈しのぎに段数を数えながら,9時04分に花立山荘に到着する.大倉を歩き出してからの所要時間は1時間55分.わずか5分だが2時間を切っている.
“たった5分,されど5分・・”
今の私にとっては,5分でも2時間を切ったのは大変なことである.今日は思ったよりも体調は良さそうだなシメシメと始めて思う.
<花立山山頂から春霞の富士山と南アルプスを望む>
■余談;後7分坂思考
後7分坂の段数は全部で318段である.もっとも数え方で数段の違いは必ずあるが,まあ私の自己流である.私は,頭の中で下手な暗算をしながら花立山を目指して登り続ける.
“7分は,420秒.まあ,ざっと400秒としよう.また,段数はザッと300段とすると,1段当たりの所要時間は3分の4秒.まあ,ざっと見て,1段を平均1.3秒のピッチで登れれば,後7分坂は,7分でクリアできる計算だな・・”
こんなことを計算しても何もならないことは分かっているが,そんなものかなと妙に納得する.これは理科系出身者の性(さが)でもある.でも,7分というのも腕時計で計った不正確な数値である.もっと正確に計測してみたくなる.それに,後7分坂の標高差も正確に計ってみたい.それに,1段当たり何メートル登る計算になるのかも知りたい.
序でながら,今ある数値で,正確に計算しておこう.すなわち,
420秒/318段=1.32秒/段
318段/420秒=0.75段/秒
9時12分,花立山山頂に到着する.何時もならば,花立山荘から花立山までの所要時間は約9~10分.今日は変な計算をしながら登ったために,ちょっと速くなり.所要時間は8分.ちょっと速すぎる.これはまずい!
今日の花立山からの眺望は,この時期にしては素晴らしい.多少の春霞が掛かってはいるものの,富士山から南アルプスまで,実に良く見えてる.ここで,1~2分の写真タイム.道草をしながら,数枚の写真を撮る.
■可愛いシカ
9時20分,金冷シを通過する.
途端に泥んこ道が始まる.3月31日に登ったときに比較すれば,泥んこ度は,少しはマシだが,相変わらず,田圃状態である.今はまだ朝が早いので凍結しているが,下山時が思いやられる.
金冷シから2番目に階段道を登っていると,大きな雌ジカが道路近くで何がゴソゴソしている.近付いて見ると,盛んに草を食(は)んでいる.私が近くに居ても無視して平気.至近距離でシカの写真を撮り続ける.
「こんなに可愛い生き物なのに・・・ヒルの運び手だといわれて嫌われるのは可愛そうだな・・」
こんなに可愛いしかと,何とか共存する方法は内のかなとボンヤリ考えていると,丁度下山してきた2人の男性に話しかけられる.そこで私の連想はプツンと切れる.
「このシカ,随分,人に馴れていますね・・何ででしょうね・・」
と私に聞く.
「さあ・・・」
でも,心の中では,
“そんなこと知るか,シカに直接聞いてくれ”
と返事する.
<可愛いシカ>
■塔ノ岳山頂
途中で,道草を食ったが,9時35分に塔ノ岳山頂に到着する.山頂手前の木道の降り口で,下山し始めた韋駄天のTさんとすれ違う.
山頂の残雪は完全に消えている.山頂の気温は+4.5℃.随分と温かい.風も殆ど吹いていない.
振り返ると,何時の間にかカメラマンのMさんに追いつかれている.先ほどまで後ろを振り向いても姿が見えなかったのに・・・随分早く追いつかれたなとビックリする.
山頂で,何時もの儀式としてパノラマ写真をひとまわり写す.ほとんど雲はないが,何となく春霞が掛かっている.
<塔ノ岳山頂,残雪は全くない>
■尊仏山荘
尊仏山荘に入る.
今日の小屋番は,ネコの忠実なシモベ,Oさん.先客は誰も居ない.カメラマンのMさんと私の2人だけ.例によって300円也のお茶を所望する.
私の顔を見るとすぐにOさんが,
「お~ぃ・・ミャ~や,こっちへお出で・・」
とミー君に声を掛ける.返事がない.
「あれっ,おかしいな・・あいつ何処へ行ったのかな・・・」
と奥の部屋へ探しに行く.そして,寝ぼけ眼のミー君を抱いてくる.すかさず,ネコとOさんのツーショット数枚.それと寝ぼけネコの写真を何枚か撮る.
その間,ネコ,眠そうにボンヤリ,ノソノソ.
ミー君の右目に目脂が貯まりやすくなっている.ちょっと心配.
<Oさんと愛猫ミー君>
■ユックリ下山
10時01分に下山を開始する.
予定の下山所要時間は2時間10分.大倉発12時22分のバスに乗るつもりである.
何時もより,少人数ながら,登ってくる登山者とすれ違いながら下り続ける.
10時19分,花立山を通過する.花立山と花立山荘の中間で,同じバスに乗っていたY川さんとすれ違う.バスの中で.Y川さんが,
「・・この頃,山頂まで4時間も掛かっちゃうんです.前は3時間半だったのに・・」
とこぼしておられたのを思い出す.
後7分坂で,大きくて重い荷物を背負ったチャンピョンとすれ違う.
「やあ・・ご苦労様です・・」
と挨拶する.
「すっかり春ですねえ~」
とチャンピョンが返事をする.
駒止茶屋を過ぎると,ポカポカとした春の散策路になる.周囲は新緑が一杯である.温かい日射しを浴びながら,塔ノ岳を往復した達成感と嬉しさが込み上げてくる.私はバスに間に合うように注意しながらノンビリと下りつづける.
<ラップタイム>
7:09 大倉歩き出し
7:28 観音茶屋
7:42 見晴茶屋
8:08 駒止茶屋
8:24 堀山の家
9:04 花立山荘
9:20 金冷シ
9:35 塔ノ岳山頂 着(+4.5℃)
============================================
10:01 塔ノ岳山頂 発
10:14 金冷シ
10:28 花立山荘
11:02 堀山の家
11:18 駒止茶屋
11:39 見晴茶屋
11:52 観音茶屋
12:11 大倉 着
[山行記録]
■水平距離 7.0km(片道)
■累積登攀下降高度 1269m
■登攀所要時間(雑談時間を含む)
大倉 発 7:07
塔ノ岳 着 9:33
(所要時間) 2時間26分(2.43h)
登攀速度 1269m/2.43h=522.2m/h
■下降所要時間
塔ノ岳 発 10:01
大倉 着 12:11
(所要時間) 2時間10分(2.17h)
下降速度 1269m/2.17h=584.8m/h
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/204f31f9e3ca26c4082451c572cdfeb1
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c189995a92d9ad0ca9cf60cc74edb11c
*********************************
[編集後記]
2011年4月8日(金) 4時05分
何時もの通り,4時少し前に起床.
テレビの報道によると,昨日(4月7日),23時32分,宮城県で震度6強,マグニチュード7.4のかなり大きな地震があったようである.
3月11日の東日本大震災の余震だという.この地震による津波こそなかったものの,正に小説「日本沈没」が実際に始まったような天変地異の連続である.
テレビで,余震後の仙台市,盛岡市などの様子が詳しく伝えられている.
仙台は私にとって,大学生時代を過ごした第二の故郷である.学生時代下宿していた仙石線沿いの懐かしい場所が,東日本大震災のとき,津波に襲われたようである.母校の被害も甚大だという.
今日は,山仲間・街道歩き仲間合計8名で,鎌倉観桜ハイキングをする予定である.今更中止することもできないので,予定通り実施するが,地震のことを考えると気分が冴えない.
余震による被害が軽微であることを祈念している.
(愚痴おわり)
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