中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

ルートバーン(17):ルートバーントレッキング第1日目(6)

2011年04月09日 15時16分48秒 | ニュージーランド;ルートバーン

                           <マッケンジー小屋付近の草原>

      ルートバーン(17):ルートバーントレッキング第1日目(6)
               (湘南カラビナ隊)
          年1月25日(金)~2月5日(日)

第5日目:2005年1月31日(月) 
 (つづき)

17 マッケンジー小屋に到着

■勘違い
 美しいマッケンジー湖の風景を堪能したフクロウと私は,とりあえずマッケンジーハットへ戻った.フクロウは小屋のテラスで,そして私は小屋の中のベンチに座り,至福の時を過ごしていた.のんきな私も,
 「それにしても,仲間の連中の来るのが遅いなあ」
と半ば訝り始める.
 17時35分,いきなり,ガイドのサラさんが,私の前に現れる.
 「オー,山欠菌か.やっぱりココデシタカ.手前の小屋へ戻ってクダサイ・・・・」
サラさんは,フクロウと私の顔を見るなり,大げさな仕草で叫ぶ.
 「2人がとても速く歩くので,何処へ行ったが見落としマシタ.私,事前に十分説明しなかったのが悪カッタけど,ここはインデペンデントワーカーが泊まる小屋.皆さんの泊まる小屋は,手前のレークマッケンジーロッジ(Lake McKenzie Lodge )です.そちらへ戻ってクダサイ・・・」
と早口でフクロウと私に注意する.
 「そうでしたか.済みませんでした.では,すぐ引き返します.でも,宿泊帳に名前書いちゃいました.どうしましょう・・・」
 「そのままで良いですよ・・・とにかく戻りましょう」
私も慌てた.慌てると,日本語で話せばよいところを,なぜか,トツトツと下手な英語で返事をする.

■マッケンジー小屋へ戻る
 17時35分,フクロウと私は,桃源郷のような草原を,再び戻り始める.私は,ゆっくりと風景を楽しみながら,引き返す.なぜかフクロウは,私を置いて1人でドンドンと先へいく.
 私は未練たらたらで美しい風景を一生懸命デジカメに収めながら戻る.
 本当は画質の良いデジカメで写真を撮りたかったが,先ほどの滝付近で,カメラの中に水が入ってしまったらしくて,まだ回復していない.そこで,性能の悪い予備機を使って,写真を撮り続ける.
 17時39分,レークマッケンジーロッジに到着する.ここは,さきほど私たちが誤認して通り過ぎたところである. 
 すでに,われわれ一行は,全員,このロッジに到着していた.私達は,仲間に,
 「一体何処へ行っていたの・・・」
と散々冷やかされる.
 「ちょっと,そこの湖まで.素晴らしかったよ.美人が水浴していたよ」
と負け惜しみを言う.
 ロッジの前面には,広いデッキが付いている.入口は階段でデッキに登るようになっている.入口から左手が宿泊施設,右手には大きなテラスが付いた食堂がある.食堂の広さは150平方メートル程だろうか.鍵の手になっていて,鍵の部分が炊事場である.取っ手の部分に,向かい合って20人余りが座れるように長い机が,部屋の対角線の方向に並べてある.そこからテラスにでられるようになっている.

<マッケンジー小屋>

■夕食前のひととき
 ガイド3人が,炊事場で忙しく夕食の準備をしている.聞けば,私たちの食料は全部3人のガイドが背負って持ってくるそうである.大変な重労働である.
 ロッジの左手には,2段ベッドを2台ずつ設置した客室がいくつか並んでいる.その真ん中辺りに洗濯室,シャワー室,乾燥室,トイレのユーティリティが設置されている.なかなか素晴らしい設備である.私たち男性グループの4人,つまりフクロウ,バーダー,仁王様,それに私には,奥まった1室が与えられた.
 取りあえず,私は上段のベッドに荷物を置く.私の下はバーダーである.2段ベッドの上下は,毎晩,交代するという紳士協定を結ぶ.私たちのすぐ隣は消防署長と消防署員,それに大阪の夫婦が相部屋になる.その他の女性軍は,東京勢とSさんが,2部屋に分かれて陣取っているはずである.だが,男性の私には誰が何処の部屋にいるのかは定かでない.
 私はすぐに今日着ていた下着類を洗濯する.そして,洗濯した下着を昔懐かしいローラー式の脱水機で水を絞る.洗った下着類は,すぐに乾燥室の中にぶら下げる.ついでにシャワーも浴びてしまう.水温の調節がとても難しいが,熱いお湯が,ちゃんと出てくるのが,何とも有り難い.山小屋としては,申し分がない.比較してはいけないが,ふと,日本の山小屋の惨状を思い出す(とはいえ,ここ数年の間に,日本の山小屋も飛躍的に良くなった).

■贋の芸術家
 夕食前,まだ日が高い.デッキに出て見る.暇を持て余してか,私たちの仲間も,三々五々と集まってくる.各自,自発的にストレッチを始める.大阪の夫婦も,ストレッチに加わる.私たちとは別のツアー会社を通じて,ミルフォードとルートバーンを一度に回っている女性2人連れも,テアナウから私たちに同行している.この2人も私たちのストレッチに参加する.
 まだ時間がある.私は外の景色を見ながら,記録ノートを整理しようと思う.そこで,ノートを持って,食堂前のデッキのベンチに座る.ノートをめくりながらルートバーン第1日目を振り返ってみる.
 いつの間にか長身のカナダ人の男性が私の側に来て,私のノートを覗き込んでいる.私のスケッチを見て,
 「アナタは芸術家か・・・」
と質問してくる.私はまた照れる.
 「とんでもない.ただの趣味ですよ・・・・」
と答える.
 そういえば,これまで旅をしていて,同じ質問を何回か受けたことがある.下手な横好きで書き殴っているスケッチなので,覗かれるのが恥ずかしい.でも,見せてくれと言われ,仕方なくこれまでの記録をお見せする.
 私のノートの漢字を見て,
 「私の先祖は中国人.だから,漢字も少し分かりますよ」
と言いながら,私のノートから読める漢字を拾いながら,得意になっている.
 この会話が切っ掛けになって,彼とあれこれ会話が弾む.

<中国人が覗き込んだ私の取材ノート>

                                 (つづく)

「ルートバーン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/56ea5acd331e522714c3a09eaab373d7
「ルートバーン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/64d95b68e6a65fb2570253daabbf6cb3


**********************

[編集後記]

2011年4月9日(土).


 朝から曇り空だと思っていたら,間もなく雨が降り始める.次第に気温が下がり始める.寒い.
 あの東関東大震災が発生してから,間もなく1ヶ月になろうとしている.世相も,漸く,それなりに落ち着いてきたかに思えた昨夜,東北地方に大きな余震があった.また逆戻りか.自然がなせる技なので,どうにもならないことだが,神様仏様,何とかしてくれと言いたくなる.
 終日冷たい雨が降り続く.
 今日は土曜日,雨でなければ,当然,塔ノ岳に登っているはずである.動かないと,運動部祖気になるのは分かっているが,そうは言っても,冷たい雨の中,何の用事もないのに,わざわざ外へ出掛けることもないので,何となくうじうじと家の中で過ごしてしまう.
 終日,家に籠もっていたお陰で,描きかけの水彩画もようやく完成に近付いた.もっとも,正確に言うと,どれだけ書き加えても,さらに手を入れたいところが際限なく湧いてくるので.絵は永遠に未完成なものだと思っている.それでも,ある程度描き進むと,
 “この辺で,まあ,良いか!”
と思える瞬間が突如やってくる.私は,この瞬間を持って,一応,絵は完成したと見なすことにしている.
 “う~ん・・・今回の絵は,少々,弄りすぎたかな・・・”
と思っている.
 明日は県知事と県会議員の選挙である.前日の今日になっても,誰に投票して良いか迷っている.明日は早朝の内に,投票を済ませて,某散策会の定例会に参加する予定である.
 本来ならば,事前投票をしておきたかったが,電力節減か,経費節減か,良く分からないが,何時も,近くに解説される事前投票所が,今回は開設されない.色々な面で,じわりじわりと大地震と原子力発電所の事故が,ボデーブローのように出始めている.
      
                              (愚痴おわり)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。