<ペンションカンツータの愛想のないネコ>
ペルー周遊記(34):第9日目(3):リマの休日(3)
2008年7月9日(木)(つづき)
<ペンションカンツータのロビーにて>
■写真家の中川さん
ラスレジェンダス公園の散策を終えた私達は,夕方,ペンションカンツータに戻った.
私は,一旦,自分の部屋に戻って,シャワーを浴びる.その後,自分の部屋の階下にあるポコアポコのテンポを見物してから,夕食までの暇つぶしに,テレビでも見ようかと思ってロビーに入る.すでに顔なじみになっている山岳ガイドの白石さんと良く似た方が,応接セットに座っている.
小柄の初老の男性,中川さんである(お名前を出すことの了承を得ている.中川さんのサインやメールアドレスもお伺いしているが,ここでは公表を差し控える).中川さんは写真家である.もう1ヶ月もペルーに滞在して居られる.白髪混じりの顎髭が風格を感じさせる.
私が自分のノートを差し出して,サインを下さいとお願いする.中川さんは,私のノートを覗き込んで,
「・・・なかなか味のある絵をお描きですね.何か絵のお仕事をされているんですか」
と尋ねられる.私は,ただ,ただ恥ずかしくて恐縮する.
「いえ,飛んでもない・・・ただ趣味でメモ書きのつもりで絵をかいているんです・・・」
と釈明する.
<ペルーの主食分布> <テレビそっちのけで地図に見入る>
■ペルー談義
その内に,私達の仲間が集まってくる.
白石さんも現れる.中川さん,白石さんを囲んで,楽しい四方山話が始まる.その内に,仲間の一人が,床にペルーの地図を広げる.その地図を囲んで,ペルーにまつわる話に熱が入ってくる.
何時の間にか,オーナーの早内さんの奥さんも雑談に加わる.
「・・・今でこそ,ペルーも落ち着いていますが,30年ほど前までは,それはもう大変でしたよ・・・ボリビア,ペルー,エクアドル,アルゼンチンの順に,もの凄いインフレに襲われましたよ・・」
と早内さんが話し始める.
「・・・それはもう,大変なインフレでしたよ.お金の価値が34万分の1になっちゃったんです.お札が風に舞っているような状態でした・・・」
「・・・その頃は,野良犬が居なくなっちゃったんです.食べられてしまったんです.ゴミを捨てると,それを直ぐ拾う人が居る有様でした・・・1980年代には,飛行機に預けた荷物は,皆,開けられて,中身を盗まれました・・・ある時,フジモリ大統領が,1晩でガソリンの値段を34倍に引き上げたこともありましたよ・・・」
何時の間にか,ご主人も雑談に加わっている.
「・・・ペルーは,主食の種類で大きく三つの地域に分けられます.リマ中心の海岸は,主食がコメの地域です.中央のシェラ山脈付近では,ジャガイモとトウモロコシが主食です.そして,内陸のセルバ地域はジャガイモ,バナナ,コメを主食にしています・・・」
「・・・とにかくペルーは,紀元前数世紀前から文明が開けた凄い国ですよ・・・」
<地酢を広げて雑談:右から中川さん,白石さん>
■年なんて言っていられない・・・
ロビーの壁に,素晴らしい写真が飾ってある,ペルーのどこの山か分からないが,氷河に覆われた峻険な山が写っている,
「・・・この写真,80才の方が撮ったものですよ・・・」
と奥さんの早内さんが説明する.80才と伺って,とかく「もう,年だから・・」と言いたくなる私も,まだ,まだ,元気で活発に活動しなければと,心の中で自分に言い聞かせる.
「・・・ペルーに来られた方は,異口同音に,ペルーの山は,スイスの山より,ずっと素晴らしいと言いますよ.そのために,ペルーにはリピーターが多いんです・・・」
と奥さんがペルーの山を礼賛する.
私達は,地図を見ながら,これから訪れるピスコ山のことなどを伺う.また,白石さんや中川さんから,沢山の体験話を聞かせて頂く.
<ペンションカンツータの夜>
■純日本風の夕食
19時45分から,夕食となる.
何時もながら,ペンションカンツータの食事は素晴らしい.しかも,完全な日本料理である.勿論,恒例の宴会付き.これが少々悩ましいが,私はもっぱら食べる方に専念する.
まずは,鍋焼うどん,目玉焼き,エビ,ホウレン草がトッピング.トリのもも肉の唐揚げ,ウニ,ブロッコリー,お茶漬け,ナスやキュウリの漬け物,等々盛り沢山である.
21時頃,漸く夕食が終わる.
ロビーでは愛想の悪いネコが座り込んでいる.
<ペンションカンツータの豪華な夕食>
■白石ガイドとお別れ
山岳ガイドの白石さんは,今夜の飛行機で日本に帰国するという.夕食後,白石さんが出発するまで,2人で雑談をする.雑談の中で,リマでは,とても良い薬が医師の診断書なしで買えるという話が出た・・・・が,ブログで説明するのは差し控える.また,何時の日にか,何処かの山で白石ガイドにお会いしたいなと思う.
21時過ぎに,自分の部屋に引き揚げる.
暫くの間,テレビを見てから,就寝.
今日は貴重な休日であった.
(つづく)
前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/995ba0c4cbc32d4a696982f3b61953a5
次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/24cdefe2be0bef13dad9623bdcbbb0af
このシリーズの最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6fee0e316085f32cce0c47a424821346
ペルー周遊記(34):第9日目(3):リマの休日(3)
2008年7月9日(木)(つづき)
<ペンションカンツータのロビーにて>
■写真家の中川さん
ラスレジェンダス公園の散策を終えた私達は,夕方,ペンションカンツータに戻った.
私は,一旦,自分の部屋に戻って,シャワーを浴びる.その後,自分の部屋の階下にあるポコアポコのテンポを見物してから,夕食までの暇つぶしに,テレビでも見ようかと思ってロビーに入る.すでに顔なじみになっている山岳ガイドの白石さんと良く似た方が,応接セットに座っている.
小柄の初老の男性,中川さんである(お名前を出すことの了承を得ている.中川さんのサインやメールアドレスもお伺いしているが,ここでは公表を差し控える).中川さんは写真家である.もう1ヶ月もペルーに滞在して居られる.白髪混じりの顎髭が風格を感じさせる.
私が自分のノートを差し出して,サインを下さいとお願いする.中川さんは,私のノートを覗き込んで,
「・・・なかなか味のある絵をお描きですね.何か絵のお仕事をされているんですか」
と尋ねられる.私は,ただ,ただ恥ずかしくて恐縮する.
「いえ,飛んでもない・・・ただ趣味でメモ書きのつもりで絵をかいているんです・・・」
と釈明する.
<ペルーの主食分布> <テレビそっちのけで地図に見入る>
■ペルー談義
その内に,私達の仲間が集まってくる.
白石さんも現れる.中川さん,白石さんを囲んで,楽しい四方山話が始まる.その内に,仲間の一人が,床にペルーの地図を広げる.その地図を囲んで,ペルーにまつわる話に熱が入ってくる.
何時の間にか,オーナーの早内さんの奥さんも雑談に加わる.
「・・・今でこそ,ペルーも落ち着いていますが,30年ほど前までは,それはもう大変でしたよ・・・ボリビア,ペルー,エクアドル,アルゼンチンの順に,もの凄いインフレに襲われましたよ・・」
と早内さんが話し始める.
「・・・それはもう,大変なインフレでしたよ.お金の価値が34万分の1になっちゃったんです.お札が風に舞っているような状態でした・・・」
「・・・その頃は,野良犬が居なくなっちゃったんです.食べられてしまったんです.ゴミを捨てると,それを直ぐ拾う人が居る有様でした・・・1980年代には,飛行機に預けた荷物は,皆,開けられて,中身を盗まれました・・・ある時,フジモリ大統領が,1晩でガソリンの値段を34倍に引き上げたこともありましたよ・・・」
何時の間にか,ご主人も雑談に加わっている.
「・・・ペルーは,主食の種類で大きく三つの地域に分けられます.リマ中心の海岸は,主食がコメの地域です.中央のシェラ山脈付近では,ジャガイモとトウモロコシが主食です.そして,内陸のセルバ地域はジャガイモ,バナナ,コメを主食にしています・・・」
「・・・とにかくペルーは,紀元前数世紀前から文明が開けた凄い国ですよ・・・」
<地酢を広げて雑談:右から中川さん,白石さん>
■年なんて言っていられない・・・
ロビーの壁に,素晴らしい写真が飾ってある,ペルーのどこの山か分からないが,氷河に覆われた峻険な山が写っている,
「・・・この写真,80才の方が撮ったものですよ・・・」
と奥さんの早内さんが説明する.80才と伺って,とかく「もう,年だから・・」と言いたくなる私も,まだ,まだ,元気で活発に活動しなければと,心の中で自分に言い聞かせる.
「・・・ペルーに来られた方は,異口同音に,ペルーの山は,スイスの山より,ずっと素晴らしいと言いますよ.そのために,ペルーにはリピーターが多いんです・・・」
と奥さんがペルーの山を礼賛する.
私達は,地図を見ながら,これから訪れるピスコ山のことなどを伺う.また,白石さんや中川さんから,沢山の体験話を聞かせて頂く.
<ペンションカンツータの夜>
■純日本風の夕食
19時45分から,夕食となる.
何時もながら,ペンションカンツータの食事は素晴らしい.しかも,完全な日本料理である.勿論,恒例の宴会付き.これが少々悩ましいが,私はもっぱら食べる方に専念する.
まずは,鍋焼うどん,目玉焼き,エビ,ホウレン草がトッピング.トリのもも肉の唐揚げ,ウニ,ブロッコリー,お茶漬け,ナスやキュウリの漬け物,等々盛り沢山である.
21時頃,漸く夕食が終わる.
ロビーでは愛想の悪いネコが座り込んでいる.
<ペンションカンツータの豪華な夕食>
■白石ガイドとお別れ
山岳ガイドの白石さんは,今夜の飛行機で日本に帰国するという.夕食後,白石さんが出発するまで,2人で雑談をする.雑談の中で,リマでは,とても良い薬が医師の診断書なしで買えるという話が出た・・・・が,ブログで説明するのは差し控える.また,何時の日にか,何処かの山で白石ガイドにお会いしたいなと思う.
21時過ぎに,自分の部屋に引き揚げる.
暫くの間,テレビを見てから,就寝.
今日は貴重な休日であった.
(つづく)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/995ba0c4cbc32d4a696982f3b61953a5
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この度も丁寧なコメント有り難うございました.
ペルーの治安が,日本と比較して,とても悪いのは承知していました.そこで,1人歩きはしない.夜は歩かない,人影が少ない所へは行かないの3点だけ守って,結構,街中を歩き回りました.
後でまた掲載しますが,帰国前日には,同行の女性と2人で,リマのデパート,ホームセンター,コンビニなど目一杯見物しました.怖いことは全くありませんでした.
こんなことを言うと,叱られるかもしれませんが,一般にツアー会社の旅行では,(問題が起きると困るためか)添乗員が必要以上に「危ない,危ない」を言い過ぎるような気がします.
ただ,パック旅行だと,中には,自分の安全は自分で守るという意識がなくて,すべてを旅行社任せにして,無鉄砲なことをされる方も居られるのも事実ですね.こんな事情もあって,添乗員は,危険だを繰り返すのだと思います.
ツアー会社の旅行と,添乗員の居ない私達の旅行を比較すると,それぞれに一長一短があって,どちらが良いとも言えませんが,自由さという点では私達のような旅行の方が良いでしょうね.そのかわりに些細なことで苦労します.
なお,「鎌倉あれこれ」の記事をご覧頂有り難うございます.この頃は,このペルー周遊記と,塔ノ岳の記事を掲載するだけに追われていて,鎌倉の記事を掲載する余裕がないのが残念です.最近も鎌倉の散策を続けておりますので,ペルーの記事が一段落したら,鎌倉の記事を纏めて掲載したいと思っております.
これからも,ご愛読の程,よろしくお願い致します.