中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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アンナプルナ・ダウラギリ展望紀行(10)ガンドルンへ(2)

2008年01月27日 10時34分19秒 | ネパール:アンナプルナ展望

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        アンナプルナ・ダウラギリ展望紀行(10)
             ガンドルンへ(2)
           2001年3月26日(月)
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       アンナプルナ紀行を,再開します。
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<ロバのキャラバン隊>

■シャウレバサールで昼食

 シャウレバザールで昼食を摂った私達は,11時40分に再び歩き出す。そして,11時50分に,この辺りでは珍しく金属でできた吊り橋を渡る。相変わらず鉄平石を敷き詰めた道路を進む。道幅は3~4メートルほどあって,かなり交通量が多い。
  前方から数十頭のロバのキャラバン隊がやってくる。1頭のロバがキャラバン隊を先導している。ガイドの説明によると,先頭のロバは,自分たちの行き先を良く知っているとのことである。小振りな姿のロバは実に可愛い。大きな黒い目で,すれ違う私達に伏せ眼で視線を送ってくる。そして,おずおずと私達の脇を通り過ぎる。ロバたちはかなり大きな荷物を背中に背負っている。ロバ隊のリーダらしい男性がロバ隊の後から着いてくる。
 現地ガイドが,
 「ここでは,ロバが優先ですよ・・・ロバの進行を妨げないように,必ず避けて下さい・・」
と私達に注意する。
 この辺りに住んでいる人達も,沢山,私達と一緒に歩いている。

■生活道路を進む
 12時04分,スワンレストランという掘っ建て小屋風の建物で小休止をする。出入り口の脇に小さな売店がある。炭酸飲料らしい飲み物を少しばかり置いてあるが,品数は極端に少ない。粉の中には,テーブルが3個置いてある。周囲には戸はなく吹き曝しである。
     
         <スワンレストラン:殺風景なテーブルが3セット並んでいる>

 12時13分にスワンレストランを出発する。なだらかな登り坂になる。また,ロバ隊とすれ違う。相変わらず行き交う人やロバ隊が多い。

             <集落の中を歩く。ときどきロバの隊商のすれ違う>

 12時36分,LALI GURANS HOTELで,また小休止。目の前に段々畑が広がる広大な風景が広がっている。私は休憩時間を惜しむように,ノートを開いて,目の前の風景をスケッチする。段々畑が遠い山の上の方まで続いている。何とも壮大な風景である。
 12時44分に再び歩き出す。登り坂になる。13時過ぎに,大きなロバ隊とすれ違う。扉を担いだ人,大きな木材を担いだ人などと次々にすれ違う。

                <LALIホテル前に広がる段々畑>

<ガンドルンのテント場>

■見晴らしの良い峠

 13時25分,KCMCHE Guest Houseで休憩を取る。ホテルの名前「KCMCHE」は,何と読むのか良く分からない。建物の外にあるベンチに腰掛けて,休憩を取る。日差しが強くて,やや暑く感じる。私達以外のトレッカーも沢山屯している。

              <マニシャホテルの庭先:ここで休憩>

 13時45分に再び歩き出す。いつの間にか鉄平石の道が途絶えて,かなり急な登り坂のガレ道になる。14時21分に坂道を登り詰める。標高は約1800メートル。ここで休憩。私はそそくさとノートを開いて,辺りの景色をスケッチする。
 目の前に大きな岩がある。その岩の向こうには広大な山並みが広がっている。地図で調べると,ここはバイシカラカ(?)峠(Baisi Kharka)らしい。ここから暫くの間,下り坂になり,その遠く先に見えている山の上に,今日の宿泊地,タダバニがあるという。

                   <バイシカラカ峠>

■ガンドルンに到着
 14時32分,峠を出発する。ここからは石畳の下り坂になる。進行方向左側の見晴らしが良くなる。大きなシャクナゲが群生している。赤いシャクナゲの花が沢山咲いている。日本では見たこともない巨木のシャクナゲである。
 いつの間にか,石畳道の道幅が広くなっている。かなり頻繁にロバのキャラバン隊とすれ違う。
 やがて石畳の道は急坂になる。坂の上には,鉄平石造りの大きなゲートが建っている。門の上には多分集落の名前だろと思われる字が彫り込まれている。14時55分,このゲートを潜る。私達はどうやらガンドルンの集落に入ったようである。私達は,ゲート近くのHotel MANISHAで,暫く,休憩を取り,息を整える。10分ほど休憩を取った後,ふたたび急な坂道を登り続ける。坂道の両側には,ロッジが軒を連ねている。

                        <ガンドルン>
       左上:ガンドルンが近付くと賑やかになる   右上:テント場
       左下:ガンドルン入口の大きな門       右下:テント場近くの一流ホテル

 沢山のロッジを通り抜けて,15時33分にAHHAPURNA Guest House裏手の広場に到着する。ここが私達が宿泊するテント場である。広場は山の斜面の麓にある1000平方メートルほどの広さである。斜面は広場からさらに下まで深く下っている。右手を見ると,私達が苦労して登ってきた道がくねくねと続いているのが見渡せる。
 反対側の山の斜面には段々畑がずっと上の方まで続いている。随分と高いところまで民家が点在している。左手に山頂付近を雲に覆われているが壮大な山脈が連なっているのが見えている。私達が泊まるテントは,テント群の端にある2列のテントである。仙人と私は,トイレ近くのテントを割り当てられた。
 すぐに割り当てられたテントの中に入り,荷物の整理をする。眠くなったので,そのままシュラフに入り込んで昼寝をする。

                  <ガンドルンのテント場>

■ガンドルンの夜
 18時30分から,テント場の片隅にある食事テントで,夕食を摂る。
 メニューはイーチャとよばれるケーキ状の食べ物,ポプコーン,ソバ,オクラとキュウリの和え物,ご飯。それにイモとニンジンのスープ,肉じゃが,缶詰のフルーツポンチである。
 夕食後,だんだんとうち解けてきた同行者と雑談を楽しむ。70歳代の百名山クラスを登ってきたという老人3人組は,足が痛いと頻りに嘆いている。

                <ガンドルンの夕食>
          ※絵の中に「タダバニで昼食」と書いてあるのは,ノートのメモが,
           そのままページリーダで読み込まれてしまったもので,ガンドルン
           の夕食とは無関係。


 19時30分頃,一旦お開きになるが,HAガイド,仙人,それにクマさんこと中年の男性と私の4名が居残って,更に半時ほど雑談をする。
 HAさんからは,高山病を克服するには,高いところに登って降りることを繰り返すのが良い。高山病になりやすい,なりにくいは人それぞれなどと教えて頂く。
 20時頃,テントに戻って,直ぐに就寝。 こうしてトレッキング3日目は終わった。
                        (つづく)



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