<メルズーガ砂漠>
モロッコ訪問記(29):第9日目(1):メルズーガ大砂漠(1)
(アルパインツアー)
2009年6月7日(土)~18日(火)
第9日目:2009年6月15日(月)
<仏暁の出発>
■蒸し暑い一夜
部屋のクーラーが,うまく作動しないので,一晩中暑くて当惑した.蚊に刺されるかなと思ったが,暑さに耐えかねて,ついに部屋の窓を一晩中開けっ放しにしただけでなく,ヘソを出したままベッドに横たわっていた.外灯の眩しい光が,丁度顔に当たるので,眠りにくくて仕方がない.そんなわけで,どうも寝不足のまま,2時30分頃,目が覚めてしまう.
今日は,未明,3時30分にモーニングコールがあるはずである.私はもう眠るのを諦めて,ベッドの中でジッとしている.そうなると時間が経つのが遅いこと,遅いこと.
3時30分,モーニングコールがある.直ぐに起床する.
まずはトイレ.少々柔らか気味だが,まあ,まあ,好調である.外から数匹の犬の遠吠えがうるさく聞こえてくる.
4時になると,外のどこかにある拡声器から,コーラムを唱える声が流れてくる.
■いかめしいジープに分乗
4時15分,私たちは,数台のジープのような車に分乗して,ホテルを出発する.
持参している荷物は,防寒具,雨具,飲料水だけ.私たちは朝食の前に,サハラ砂漠のメルズーガ大砂漠を見学してくる予定である.
真っ暗な中,道らしいところを,ジープはばく進する.たまたま私が乗車したジープの運転手は,頭にターバンを巻いた無愛想な大男である.ノートに記録するために,私が,
「・・・あなたの名前を教えてくれ・・・」
と英語で聞くが,
「だめだよ・・・教えないよ」
とつれない返事が返ってくる.イスラム教徒に名前を聞くのは失礼に当たるのか,あとで,現地ガイドのアブダラさんに伺ってみようと思ったが,その後,忘れてしまった.
<仏暁の出発> <真っ暗な中,メルズーガ砂漠の入口に到着する>
<メルズーガ大砂漠の夜明け>
■闇の中を爆走
どこをどう走っているのか,辺りが真っ暗なので全く分からないが,あらかじめ地図を眺めていたので,多分東南の方向に向かっていると思われる.
ホテルから走り出した頃は,普通の道を走っているようだったが,外は暗いながらも,だんだんと辺りの様子が違ってくるのが分かる.
車窓から前方を見ると,自動車のヘッドライトの中に,沢山の轍の跡が付いている.前方を見ると,かなり広い範囲に,自動車のヘッドライトの光が見えている.だだっ広いところを,無造作に広がって,ある方向を目指して走っているようである.
道なき道を走っているようなので,ジープは絶えずガタガタと振動する.ときどき大きく上下左右に振れる.
■メルズーガ大砂漠に到着
やがて,私たちを乗せたジープは,真っ暗な中,建家らしきものがボンヤリ見えている前で停まる.仲間達が分乗しているジープも前後して到着する.丁度,5時である.ホテルを出発してから,45分掛かっている.
ガイドのアブダラさんが,ジープのヘッドライトを頼りにして,私たちの無事到着を確かめる.
まだ,辺りが真っ暗なので,私たちがどんなところに居るのか皆目見当も付かないが,辺りには私たち以外に沢山の人たちが集まっているようである.
■ラクダの後にくっついて歩き出す
私たち仲間の2人が,ラクダの背に乗る予定である.
私は,ちょっとばかりラクダにも乗ってみたいなという気になったが,折角だから自分の足で歩いてみたいので(これは負け惜しみで,本当はラクダの料金が高かったので),ラクダは敬遠した.
辺りは次第に薄明るくなってきた.
私たちは,青い民族衣装を着た若い男性のガイドを先頭に,砂漠の中を歩き始める.丁度,海岸の砂浜を歩くような感触である.
ガイドの直ぐ後を,ラクダに乗った2人が,その後を,徒歩の私たちが続く.何だかお殿様の後をショボショボ歩く足軽のようである.参勤交代の行列を彷彿させられ,ちょっと惨めな気分になる.
<砂漠で元気に生きている生き物>
■標高1000メートルの砂丘山頂
次第に辺りが明るくなる.
これまで,移動中に散々見てきた砂漠の印象から,この辺りの砂漠も,多分平らなところが大部分だろうと思っていたが,実際に歩き出してみると,結構,大きな起伏が連続している.急坂を登る所になると,結構きつい.一歩登ろうとすると,辺りの砂がずり落ちてきて,半歩ほどずり下がってしまう.それに砂がザラザラと動くので足元がとても不安定である.砂山を登るのに随分と労力が要るなと実感する.
もっとも,日本でも,鳥取砂丘で同じような経験をしたことがあるが,ここはさすがに鳥取砂丘とはスケールが違う.やっと一山越えたかと思うと,うねうねとした稜線が何処までも続いている.
足元をよく見ると,ダンゴムシのような黒い昆虫が,ごそごそと砂の中を動き回っている.こんな過酷な自然の中にも生物が住んでいるのは驚きである.
いくつかの砂丘や稜線を越えて,5時35分に,この辺りでは一番高い砂丘の頂上に到着する.高度計で測定すると標高約1,000メートルの高地である.
<夜明け前の砂漠>
■砂丘の稜線を散策
日の出の時間は6時15分である.まだ日の出まで,かなり時間がある.
日の出前とはいえ,辺りはすっかり明るくなっている.私たちは,小高い稜線の所に座り込んで,黎明の東の空をジッと眺めている.
冷たい微風が絶えず吹いている.ジッとしていると寒いので,数名の方々と一緒に,現地ガイドのアブダラさんが座っている場所を絶えず確認しながら,クネクネと続く砂丘の稜線を,もう少し先まで歩いてみる.当然のことながら世界一の砂丘である.私たちが歩いている砂丘は,地平線のまだまだ先まで続いている.今更ながら広大な砂漠の風景に飲み込まれてしまったような気分になる.
それにしても,稜線の姿は見事である.鋭いナイフで掬いとったように鋭敏に尖っている.峠を風が通りすぎるときに,峠の下流に渦ができて,このように鋭いナイフエッジができているのだろう.
少々,歩き疲れた私たちは,小山の縁に座り込んで,東の空を眺めることにする.
私たちから,200~300メートル離れたところに残りの人たちが一塊りになって座り込んでいるのが見える.
<切り立った稜線>
<青い服を着た砂漠の案内人:なかなか良い男だった>
■砂漠の日の出
6時を少し過ぎた頃,東の空が一段と明るくなり始める.地平線付近に雲が棚引いていて,本当の地平線は見えないが,6時17分,地平線の彼方から太陽が顔を出す.地平線付近の雲が,瞬く間に黄金色に輝き出す.
「ほら,ほら,あそこ・・・すご~い・・!!」
私たちは歓声を上げながら,夢中になって,日の出の瞬間をデジカメに収める.
東の空が瞬く間に明るくなる.見る見る内に,辺りの風景が天然色に変わる.
黄土色の砂丘に,鋭い陰影が目立つようになる.遠く,遠くまで,複雑な砂丘の稜線が続いているのがハッキリと見え始める.この砂漠の果てまで要ってみたい衝動に駆られるが,ここはサハラ砂漠のほんの入口の所である.私が見ているこの広大な砂漠も,サハラ砂漠全体から見たら何百分の1にも満たないだろう.そう考えると,サハラ砂漠の広大さは,正に想像を絶する世界である.
私たちは,暫くの間,砂丘に座り込んで,広大な風景に圧倒される.
「・・・やっぱり,実際にこの目で見ないと,目の前の壮大な風景は想像できないな・・」
と実感する.
(つづく)
「モロッコ訪問記」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9d29aa3c6b5ecc368dad186b1e40f241
「モロッコ訪問記」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/faa5dce4a73c5bfd696120fe445e75de
「モロッコ訪問記」の最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/31b79faa79d02b8fe28dc5177880d2e4
「モロッコ訪問記」の索引
(編集中)
[編集後記]
今日は,12月5日(土).
先月,突然,発病して,私自身が驚いた急性胃炎の最終チェックの日である.11月19日(日)黎明に発病してから,急性胃炎完治までに1週間,その後,ピロリ菌滅菌治療に1週間を要した.その後,今日までは経過観察の日々を過ごした.そして,今日は,最終チェックである大腸ポリーブの検査日である.もし,ポリーブが見つからなければ,晴れて完治ということになる.また,もしポリーブが見つかったら,その場で切除して,そのまま2~3日間,入院という手筈である.
経過観察の日々を過ごす間,日光道中二十一宿めぐりや,中山道六十九宿めぐりのように,上り下りが少ない行事には積極的に参加していたが,塔ノ岳登頂のように比較的長い登り下りのある登山は,かなり控えていた.そのため,塔ノ岳には10月に1回,11月に1回,登っただけだった.これは,私にとって,ここ10年来の最小記録になってしまった.
さて,本日,私は,ヒョッとしたら入院しなければならないなと覚悟を決めて,掛かり付けの病院を訪れた.昨夜来,食事はせずに,飲みにくい下剤のようなく大量の液体をたっぷり飲んでいるので,何となくだるいような心許ない気分のまま検査台に横たわった.
ナースが,
「・・・始めに点滴をしまあ~す・・・」
と言って,私の左腕に針を刺す.好奇心のある私は,
「・・・これ,何の点滴ですか」
とナースに伺う.
「昨日から何も食べていないでしょう・・・だから電解質を点滴します・・・」
「電解質・・・?!」
電解質といっても様々である.なぜ,大腸検査と関係があるのか聞きたかったが,煩さがられるのも不本意なので,質問を止める.
やがて,何処かで麻酔薬が注入されたらしく,いつの間にか,良い気分で眠ってしまう.
「FHさん・・・」
というドクターの声で目が覚める.
「ポリーブはなかったですよ・・・」
私の緊張感は一気に薄れる.
検査料支払いのときに,ナースに,後日,登山会社に提出する証明書を貰いに来る旨お願いする.
「今度は,何処の山に登られるんですか・・・それにしてもお元気ですね」
私は「お元気ですね」の言葉に違和感を覚える.
「お元気ならば,病院になど来ませんよ」
と言いたかったが,この言葉は,ぐっと胸に納める.
どうしてそんなに元気かという質問に対して,鎌倉の山を歩いていたら元気でいられますよと答えると,ナースの皆さんも歩きたそうである.
「日程が合えば,いつでも案内しますよ・・」
とついつい軽口を叩いてしまう.この一言が,暇な私をますます忙しくしてしまうのが分かっているのに・・・
「まずいな・・・」
でも,まあ,生まれて初めて味わった闘病生活もハッピーエンドになった.
良かった!
良かった!
明日は,塔ノ岳へ登るぞと意気込む私である.
<点滴の跡も痛ましい>
(FIN)
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