<鳥井峠山頂>
中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(3);鳥井峠
(五十三次洛遊会)
2011年9月16日(金)~18日(日)
第2日目;2011年9月17日(土) (つづき)
<ルート地図>
<鳥井峠を登る>
■鳥井峠登山口
いよいよ鳥井峠に差し掛かる.今回の旅で,最大の難所である.
写真に映っている狭い石段が鳥井峠の入口である.12時39分,私たちは,この入口からいよいよ鳥井峠越えである.
私たちがこれから通る道は明治道といわれるところである.このみちに沿って数十本の大木があるという.楽しみである.
<鳥井峠の取り付き場所>
<鳥井峠入口の案内板>
■吾妻屋
鳥井峠に入ると,周囲は一変して,深い雑木林になる.これまで見掛けた観光客も全く居なくなる.静寂な森の中に私たちだけがポツンと置いてけぼりになったような気分になる.
少々心細く感じる峠道を歩き続ける.なだらかな登り坂が続く.12時59分,質素な吾妻屋に到着する.ここで,しばらく休憩をとる.
<吾妻屋で休憩>
■深い森の中の小径
さらに登り坂を先へ進む.鬱蒼とした森林野中の道である.静寂そのもの.一人旅だと多分随分と心細いだろう.
やがて,登り坂の勾配がきつくなり,列がばらけ始める.
<13時31分,急な上り勾配の道を行く>
■鳥井峠まで後100メートル
13時38分,立派な案内標識が立っているところに到着する.この標識には「鳥井峠100m」と書いてある.
鳥井峠まではあと僅かである.
<鳥井峠直前の案内標識>
■後もう少しで鳥井峠だ
案内標識の前で立ち休憩.
「もう少しで,峠だぞ・・・」
さすがに,東海道五十三次を踏破した皆さんである.多少,列はバラケたものの,全員が元気である.
<峠の100メートル手前で立ち休憩>
<鳥井峠に到着>
■峠を散策
13時40分,私たちは,無事,鳥井峠に到着する.“生むは案ずるより易し”というが,
「果たして全員が,無事,峠越えができるだろうか・・」
と心配していたが,何ということもなく,元気に全員が無事に峠に到着できた.こんなに嬉しいことはない.
観光資料によると,この辺り一帯を丸山公園というらしい.目の前に休憩所が建っている.まずは,休憩を兼ねて,峠一帯を散策する.
<鳥井峠の休憩所>
■御嶽講明覚霊神碑
近くに御嶽講の案内板が立っている.ここには「御嶽を進行する講社が立てた霊神碑と伝えられている.当時の信仰の偉大さが伺えます.御嶽遙拝所まで,この先30m」と書いてある.是非,拝見しようと思う.
<御嶽講明覚励振碑案内板>
<鳥井峠から下る>
■明治天皇中蹕所碑
13時44分,そろそろ鳥井峠から反対側の薮原宿を目指して歩き出すことにする.
まずは,近くに「明治天皇中蹕所碑」と刻字された大きな石柱を拝見する.私のように中途半端な教育しか受けていない人間には読めない難字がある.どういう意味だろうか?
資料1(p.192)によれば,1880年(明治13年)6月,明治天皇が通られたときの御野立の跡で,ここに「立バ,茶屋三軒」とある立場があったという.
<明治天皇中蹕所碑>
■熊よけの鈴
峠の広場の片隅に,熊よけの鈴がある.この辺りには熊が出るのだろうか.
<熊よけの鈴がある広場>
■子産の栃と熊よけの鈴
13時57分,子産の栃の脇を通過する.見上げるよう栃の大木である.資料1(pp.193-194)によれば,「この大木に大きな穴があり,昔,この穴に捨て子があり,子に恵まれない薮原の人が育てて,子どもが幸せになったという伝説」があるようだ.
さらに,栃の大木から,少し離れたところに,熊よけの鈴がある.
<子産の栃> <熊よけの鈴>
<御嶽遙拝所と石柱・石塔群>
■立派な鳥居
14時01分,立派な鳥居の前に出る.御嶽遙拝所である.ここは木曽路で最初に御嶽山が見える場所だという(資料2,p.115).また,この鳥居が鳥井峠の名前が生まれた源でもある(資料2,p.88).
私たちは,少し改まった気分で,この鳥居を潜る.
■御嶽遙拝所
14時01分,御嶽遙拝所に到着する.
私たちは明治道を辿って,ここまで来たが,旧中山道も,ここで合流するようである(資料1,p194).
私たちも神妙に参拝する.
鳥井脇から下り坂を進む.少し下ったところ一帯が丸山公園である.
<御嶽遙拝所>
■御嶽手洗水鉢・義仲硯水
14時17分,御嶽手洗水鉢の前を通過する.
説明板の記事によると,この水は,500メートル先の峠山からの湧水である.また,この上に木曾義仲の硯水がある.
木曾義仲が平家討伐の旗揚げをしたときに,この頂上で御嶽山に奉納する願書を書くのに使ったという伝説がある(資料1,p.194).
<御嶽手洗鉢>
■鳥井峠の石塔群
鳥井峠を下り始めると,路の両側に沢山の石塔,石柱が立ち並んでいる.
鳥井峠下り始めに立っているのが「木祖村史跡鳥居峠」と刻字した大きな石塔である.
<木祖村史跡鳥井峠碑>
■鳥井峠の句碑と古戦場碑
14時14分,木祖村が建てた「鳥井峠の句碑と古戦場碑」の案内板に到着する.ここには鳥井峠に関係のある句や古戦場の説明が書かれている.
<長閑な下り坂を行く>
■心地よい草道が続く
14時19分,長閑で緩やかな下り坂を歩き続ける.心地よい路である.ときどき,路の両側に古い石柱や石塔が立っている.
<長閑な下り坂>
■字が良く読めない石塔
14時26分,由緒ありげな石塔の前を通過する.漢文調の文章が書かれているが,ハッキリとは読み取れないので,何が書いてあるのか分からないまま通過する.
<由緒ありげな石塔>
■石畳の道
14時27分頃から,石畳の道になる.少々歩きにくいが,昔の街道の雰囲気が良く分かる.実に心地よい路である.
<石畳の路>
■義町稲荷社
14時32分,進行方向右手の小高いところに赤い鳥居が見えている.どうやら義町稲荷社のようである.
辺り一面は淡い緑の森林である.その中で,稲荷社の赤い鳥居がとても目立つ.
<義町稲荷社>
■杖置き場
14時33分,一寸した広場に降り立つ.「杖置き場」と書いてある案内杭が立っている.その脇に鳥井峠全体の案内図が設置されている.
案内板の下には,
「散策中に熊などの動物を見掛けることがあります.大声を出したり大きな音を立てるなど充分注意して通行して下さい」
という注意が書かれている.
熊に出会わなくて良かった.
ここで,事前に心配していた鳥井峠越えも無事終わった.
<杖置き場>
(つづく)
[参考資料]
資料1;今井金吾,2005,『新装板今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
「中仙道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d48db551b3f7361165979b935b695e98
「中仙道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0ef0b73dd8644815ea2e440c8d59d583