中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(3):野尻宿

2011年12月18日 07時30分51秒 | 中山道六十九宿

                                     <野尻宿>

     中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(3):野尻宿
             (五十三次洛遊会)
         2011年11月11日(金)~14日(月)

第2日目;2011年11月13日(日) 
(つづき)

<ルート地図>



<野尻宿に入る>

■野尻宿の概要
 資料1(p.218)によれば,野尻宿の人口は986人(男490人,女496人),宿内惣家数108軒(本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠19軒)だったという.
 須原宿から7.2キロメートル,三留野宿へ9.8キロメートルに位置している.

 木曽では奈良井宿に次ぐ長い街並みが特徴だという(資料2,p.98).
 

■野尻の集落に入る
 10時57分,野尻宿の案内杭の前を通過する.倉坂と呼ばれる集落の中を通る登り坂を進む.
 道幅が狭い道路が続く.まるで民家の庭先のような所を歩く.
 10時58分,玄関先で大根を漬けている農家の主婦3人に会う.立ち止まって,二言三言世間話をする.長閑で羨ましい風景である.

<庭先で大根を漬けている>

■常夜灯
 11時丁度に常夜灯の前を通過する.写真の腕が悪いので,常夜灯の上半分が写っていない.これもご愛敬.

<常夜灯>

<野尻宿を行く>

■明治天皇御小休所跡

 11時02分,明治天皇小休所跡を通過する.立派な石塔が建っている.
 この辺りの奥に妙覚寺という寺があるようだが,時間の都合で立ち寄らずに通過する.

明治天皇御小休所

■宿場らしい雰囲気の町
 道の両側に,昔の宿場らしい雰囲気の家屋が連なっている. 
 日中にもかかわらず,人影はあまりない.

<しゅくばの面影が残る街並み>

■しもた屋風の警察署
 11時04分,警察署の前を通過する.一見,しもた屋風の建物である.何となく長閑な感じがするので,この庁舎をデジカメに収める.
 すぐ隣に,御大典記念碑と書いた杭が立っているが,浅学の私には,大典が何かが分からない.



<警察署の建物>

■西のはずれ
 11時08分,西の外れに到着する.
 ここには,少し朽ち始めた案内板が立っている.資料3(p.40 )によれば,この案内板が立っている家が吉村家

<西はずれの案内板>

■下在の一里塚と西国五十二番の杭
 11時15分,下在の一里塚を通過する.江戸日本橋から77番目の一里塚である.ということは,私たちは,既に日本橋から77里歩いてきたことになる.
 傍らに西国五十二番と書いた杭が立っている.これ何だろう? まだ,調べてない.

<下在の一里塚>

■まずは昼食
 私たちが歩いている旧中仙道は,信号野尻で今の中仙道,国道19号線に合流する.
 先ほど立ち寄った,道の駅大桑の従業員に伺ったところ,この信号辺りに昼食が摂れる格好のお店があるとのことだった.
 注意深く探すと,確かに信号のすぐ近くにソバ屋がある.
 まだ11時24分である.昼食には未だ早いが,この先,どこに飲食店があるかあるか分からないにで.私たちは,ここで昼食を摂ることにする.
 ただ,私は食べ残している食料があるので,ソバ屋の駐車場の片隅で,食べ残しを食べることにする.私と同じように,中小を持っている2人も加わって,駐車場の宴席に座り,ノンビリと食事を摂る.
 このソバ屋,なかなか評判の店らしく,12時を少し過ぎた辺りから,続々と客が詰めかけて,お店の前に長い待ち行列ができてしまう.

<大賑わいのソバ屋>

                            (つづく)

[参考文
献]

資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2d97085047881f208833ba33f819cfca
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