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アンナプルナ・ダウラギリ紀行(1)予告編
(アトラストレック)
2001年3月24日(土)~4月1日(日)
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■新しい紀行記録
新しいシリーズを始めるには,それなりの決意が必要である。つい先日,やっとアイルランドの旅を纏めたばかりの私には,一連の作業を進める間に堪ったストレスがまだ残っている。とはいえ,生来,外出好きの私には,未整理の旅の記録が,まだ,まだ沢山ある。これらを,何とか早く纏めてしまわないと,次から次へと新しい記録が貯まってしまうので,常日頃,何とか早く纏める作業を進めたいという漠然とした焦りを感じている。でも,
「なんで,そんなにしてまで,纏める必要があるの・・・?」
と聞かれれば,正直なところ,私も返答に窮する。何故ならば誰からも依頼されたものでもなく,また纏めたからといって,収入が増えるわけでもない。むしろ,しょぼくれた老眼が悪くなるだけで,何一つ良いことなどある筈がない。
それでも,他人から見たら何の変哲もない旅の記録を,自分が生きてきた証として,正に,100%自分のために,この作業を進めたいと思っている。
■今回はアンナプルナ紀行
もう,今から思い起こせば,6年も前のことになる・・・ 私は,今でも度々一緒に旅をする「仙人」と,初めて海外トレッキングをしたことがある。それが今回纏めようとしているアトラストレック社主催の「アンナプルナ・ダウラギリ展望トレッキン9日間の旅」である。
現役時代,私は業務上の海外出張は,かなり何回もしたことがあるが,トレッキングだけを目的とした旅は,このときが最初であった。この時以来,山の素人としては海外の山に出掛けたが,その切っ掛けとなったのが,今回取り上げるアンナプルナ・ダウラギリのトレッキングであった。
わずか6年前のことだが,当時,デジカメはまだ一般素人が自由に使えるほど普及していなかった。また,あのときフィルムカメラで要所,要所の写真は撮ったつもりだが,一連の旅の情景を纏めるには,何とも枚数が足りない。そこで,今回もまた,旅行中に書き記したメモや,下手なスケッチ画を使わなければならない。
実の所,これらのメモやスケッチは,もともとブログに使うなどということは全く意識していなかった。第一,ブログなど存在しなかったし,個人でホームページなど作るのは,遠い夢物語であった。余談だが,そう考えると,ここ数年のITの発達,普及はまさに目を見張るものがある。
<取材ノート>
※このノートの記事をもとにブログの記事を記述する。
■トレッキングの概要
今回纏めるアンナプルナ・ダウラギリのトレッキングは,ネパールの首都,カトマンズから,小さな飛行機で西へ約30分のポカラという町の北方に聳えるネパールヒマラヤの一角を展望しながら,軽く歩き回る旅である。
私達が参加したトレッキングは,総勢12名,旅行社のツアーガイド1名,合計13名である。私達はポカラで私達をサポートしてくれるシェルパ達と顔合わせをする。ここから貸切バスでムルレまで移動する。
ムルレから5泊6日にわたるトレッキングが開始される。ムルレからチャンドラコット,ガンドルン,タダバニ,コラバニ,ヒレを廻って,再びポカラに戻るコースを歩く。コースは農村部の道を歩くのが主体で,登山らしいのはプーンヒル登山だけである。コースからの展望は,確かに素晴らしいが,反面,登山を期待していると,何となく期待はずれの感があるのも否めない。丁度,焼鳥屋の店先で臭いだけ嗅いで,焼き鳥を食べずに返ってきたような気分である。とはいえ,トレッキング中に展望したアンナプルナ,ダウラギリ,マチャプチャリなどの名峰は素晴らしい眺めであった。
これから数回にわたって,この旅の一部始終を,このブログで纏めることにしたい。 例によって,下手くそなスケッチを随所に開陳する予定である。
(つづく)
アンナプルナ・ダウラギリ紀行(1)予告編
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新しいシリーズを始めるには,それなりの決意が必要である。つい先日,やっとアイルランドの旅を纏めたばかりの私には,一連の作業を進める間に堪ったストレスがまだ残っている。とはいえ,生来,外出好きの私には,未整理の旅の記録が,まだ,まだ沢山ある。これらを,何とか早く纏めてしまわないと,次から次へと新しい記録が貯まってしまうので,常日頃,何とか早く纏める作業を進めたいという漠然とした焦りを感じている。でも,
「なんで,そんなにしてまで,纏める必要があるの・・・?」
と聞かれれば,正直なところ,私も返答に窮する。何故ならば誰からも依頼されたものでもなく,また纏めたからといって,収入が増えるわけでもない。むしろ,しょぼくれた老眼が悪くなるだけで,何一つ良いことなどある筈がない。
それでも,他人から見たら何の変哲もない旅の記録を,自分が生きてきた証として,正に,100%自分のために,この作業を進めたいと思っている。
■今回はアンナプルナ紀行
もう,今から思い起こせば,6年も前のことになる・・・ 私は,今でも度々一緒に旅をする「仙人」と,初めて海外トレッキングをしたことがある。それが今回纏めようとしているアトラストレック社主催の「アンナプルナ・ダウラギリ展望トレッキン9日間の旅」である。
現役時代,私は業務上の海外出張は,かなり何回もしたことがあるが,トレッキングだけを目的とした旅は,このときが最初であった。この時以来,山の素人としては海外の山に出掛けたが,その切っ掛けとなったのが,今回取り上げるアンナプルナ・ダウラギリのトレッキングであった。
わずか6年前のことだが,当時,デジカメはまだ一般素人が自由に使えるほど普及していなかった。また,あのときフィルムカメラで要所,要所の写真は撮ったつもりだが,一連の旅の情景を纏めるには,何とも枚数が足りない。そこで,今回もまた,旅行中に書き記したメモや,下手なスケッチ画を使わなければならない。
実の所,これらのメモやスケッチは,もともとブログに使うなどということは全く意識していなかった。第一,ブログなど存在しなかったし,個人でホームページなど作るのは,遠い夢物語であった。余談だが,そう考えると,ここ数年のITの発達,普及はまさに目を見張るものがある。
<取材ノート>
※このノートの記事をもとにブログの記事を記述する。
■トレッキングの概要
今回纏めるアンナプルナ・ダウラギリのトレッキングは,ネパールの首都,カトマンズから,小さな飛行機で西へ約30分のポカラという町の北方に聳えるネパールヒマラヤの一角を展望しながら,軽く歩き回る旅である。
私達が参加したトレッキングは,総勢12名,旅行社のツアーガイド1名,合計13名である。私達はポカラで私達をサポートしてくれるシェルパ達と顔合わせをする。ここから貸切バスでムルレまで移動する。
ムルレから5泊6日にわたるトレッキングが開始される。ムルレからチャンドラコット,ガンドルン,タダバニ,コラバニ,ヒレを廻って,再びポカラに戻るコースを歩く。コースは農村部の道を歩くのが主体で,登山らしいのはプーンヒル登山だけである。コースからの展望は,確かに素晴らしいが,反面,登山を期待していると,何となく期待はずれの感があるのも否めない。丁度,焼鳥屋の店先で臭いだけ嗅いで,焼き鳥を食べずに返ってきたような気分である。とはいえ,トレッキング中に展望したアンナプルナ,ダウラギリ,マチャプチャリなどの名峰は素晴らしい眺めであった。
これから数回にわたって,この旅の一部始終を,このブログで纏めることにしたい。 例によって,下手くそなスケッチを随所に開陳する予定である。
(つづく)