中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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梅雨の合間に登る丹沢;塔ノ岳(今年25回目)

2011年06月11日 11時26分02秒 | 丹沢の山旅

                                 <馬ノ背付近にて>

        梅雨の合間に登る丹沢;塔ノ岳(今年25回目)
          (上りご常連に同行・下り単独)
           2011年6月10日(金)

■梅雨の合間に
 天気予報によると,今度の土日は雨.そうなると,丹沢に出掛けるのは,今日(6月10日)しかない.実は,今週火曜日から,登山の機会を狙っていたが,結局,今日までずるずると山行しないままになっている.ところが,今日だけは6時頃から日中は晴れるという予報である. 早速,何時ものように5時10分に家を出発する.外は湿度が高く,もわ~っとした感じである.空が海だとすると,私が歩いている通りは海の底.昨夜の内に上空から沈殿した混ざりものが漂っている空気は何となく重苦しい.
 湘南モノレールの某駅のホームまで階段を登るが,何ともからだが重い感じがして,息が切れる.こんな体調で,塔ノ岳に登れるかなと心配になる.小田原駅でJRから小田急へ,たった3分の間に駈けっこをして乗り換えるが,何時もより「はあ,はあ,・・」で大変である.やっぱり身体が重い.
 渋沢発大倉行のバスは,シロヤシオの季節が過ぎたのに,随分と登山客が多い.バスの全座席がほぼ一杯になるほどの混雑である.韋駄天のTさん,Y川さん,S藤女史,N川(弟)さんなどが乗り込んでくる.

■緑陰の急坂
 バスが大倉に到着すると,ご常連の皆さんはすぐに登山を開始する.また,例によって私はモタモタ.結局,7~8割の方が出発した後,7時09分に歩き出す.路面はかなり濡れていて,敷石がヌルヌルとしていて滑りやすい.体調が良くなさそうなので,慎重に歩き始めるが,歩いている内に,思っていたほど体調は悪くなさそうなことに気がつく.
 克董窯付近で,先発のY川さんに追いつく.暫く雑談した後,先に行かせて貰う.途中,かなりの人数の一見(いちげん)さんを追い越させて頂く.谷間のトラバース道は,湿度が高くて,とにかく蒸し暑い.どんなにユックリ歩いても汗がにじみ出てくる.
 早く,この蒸し暑い所を通過してしまいたいと思う.ところが,ごくユックリ歩いている男性が,ちっとも道を譲ってくれないので,暫くの間,仕方なくこの男性の後ろを歩く.堪らなくなり,道幅が広い所で,先に行かせてくださいと声をかける.男性はムッとした表情をしている.
 7時45分,雑事場ノ平を通過して尾根道に出る.微かに海の方から風が吹いている.この風に当たった途端に,ベトベトと肌に纏わり付いていた嫌な空気が拭い去られ,気分爽快となる.気温20.1℃. 7時47分に見晴茶屋を通過する.その先の急坂に差し掛かると,近くの林の中から,山バトの啼き声が聞こえてくる.大倉尾根で山バトの啼き声はあまり聞いたことがないので,めずらしいなと重いながら登り続ける.坂の遙か上の方を登っているご常連S藤女史の後ろ姿が見えている.

<緑陰の急坂;見晴山荘付近>

■堀山の尾根
 8時02分,一本松を通過する.気温18.4℃.相変わらず湿度が高いので,かなり蒸し暑い. 駒止茶屋手前の急坂を,身体の負担にならないように,十分に速度を落として登る.そして,8時15分に駒止茶屋を通過する.大倉を歩き出してから1時間06分経過している.できれば後2分早く通過したかったが,今の私の体力では,この辺りが良い所だろう.
 堀山の尾根に入る.富士山は見えない.

<富士山は雲の中>

■萱場平
 新緑が綺麗な尾根道は実に気分が良い.少し速度を上げて,8時31分に堀山の家を通過する.坂道に入ってすぐに,S藤女史に追いつく.丁度そのときに上から2人の女性が下山してくる.話し好きなS藤さんがその女性と雑談を始める.私も何となく雑談に参加する.
 2人は茨城から来られたとのこと.昨夜は尊仏山荘に宿泊したが,富士山が見えないので残念がっている.この雑談にお付き合いしていたので,10分ほどロスタイム.その後,数分,S女史に同行するが,途中で先に行ってくれということだったので,ここから再び一人旅.
 8時57分,萱場平を通過する.気温17.7℃.
 
<萱場平>

■花立山荘
 後7分坂を登り始める.途中で下山してくるN村(弟)さんとすれ違う.同じバスに乗っていたのに,所要時間に,これだけの大差ができるのだから驚きである.
 「もう,身体は大丈夫ですか?」
とN村さんが私に聞く.
 「・・(クラクラは)もう大丈夫ですが,体力の回復はマダマダです・・」
 9時18分,花立山荘を通過する.富士山は相変わらず雲の中.気温17.0℃.ここまで登ると随分と涼しくなる.

<馬瀬付近のツツジはまだ見頃>

■塔ノ岳山頂
 相変わらず雲が多く,花立山からの眺望もほとんどない.馬の背付近では,まだミツバツツジが綺麗に咲いている.早速,デジカメを取り出して写真を撮る.写真を撮っていると,三角髭のTさん,韋駄天のTさんが相次いで下山してくる.
 「山頂は風が冷たいです・・」
と韋駄天のTさんが言う.
 写真を撮っている内に,S藤女史が私に追いつく.
 9時33分,金冷シを通過する.その後は,濃い霧の中を,S富士山と一緒に登り続けて,9時49分に塔ノ岳山頂に到着する.大倉から山頂までの所要時間は2時間40分.途中で大分ロスタイムがあったので,これらを差し引くと,実質は2時間25分程度.今の体調では,まあ,まあ,・・こんな所だろうと甘く評価しておこう.
 山頂の気温は16/0℃.濃い霧が立ちこめていて,かなり強い海風が吹き付ける.とにかく寒い.霧が濃いので,山頂に何人ぐらいの人が居るかも良く分からない.

<塔ノ岳山頂;強い海風が吹き抜けて寒い>

■尊仏山荘
 尊仏山荘に入る.小屋番はオーナーのHさん.先客は居ない.300円也のお茶を所望する.Hさんではネコのことを伺うわけにもいかないので,気になるけれどもネコを話題にすることは止める.
 Hさんが,私に,
 「・・1番バス,(乗客は)どこくらい乗っていましたか? ご常連はどんな顔ぶれですか?」
と質問する.
 「何人か分からないけれども,バスの座席がほぼ満席になるほど混雑していましたよ・・」
 見かけたご常連を指折り数えると,どうやら土曜日のご常連が,何人も今日に回っているようだ.天気予報では,この土日が雨だからだろう.
 その内に,山旅スクールのことが話題になる.
 「つい先日,サンダーN方ガイドが,新しいガイドと一緒に,山旅スクールの東京の人たちを連れて来ましたよ・・」
と教えてくれる.
 これが切っ掛けになって,私が山旅スクール5期の卒業生で,尊仏山荘お馴染みのノシイカさん,トドさんが居る・・そういえば,この頃,お二人とも尊仏山荘に顔を出さないけれども,どうしているかが話題になる.
  「お二人に,たまには塔ノ岳に登ってくるようにメールしておきましょう・・」
と安受け売りするが,まだメールしていない.
 暫くすると,2番バスで来られたH谷さんが山荘に入ってくる.久々のご対面である.私がH谷さんに挨拶する.
 「久しぶりですね.あまりお会いしませんが,お元気ですか?」
 「・・・私も登ってきているけれども,(FHさんの)ブログを見ていると,1日ずれていることが多いんですよ」
 いずれにしても,顔なじみに再会できるのは,とても嬉しい.

■ウグイスの声を聞きながら下山
 大倉発12時52分のバスに乗ろうと思う.
 10時26分に,塔ノ岳山頂から下山を開始する.山荘から外へ出ると,随分と寒いが,花立山荘まで下れば暖かくなるのが分かっているので,半袖シャツのままで下山する.
 山頂直下で,2番バスで登ってくるK大Nさんとすれ違う.立ち話.Oさんのことを伺うが,ここで記録すべき内容ではないので省略.
 また暫く下山し続けて,Y川さんとすれ違う.
 花立山荘を通過して,後7分坂を下っていると,後ろから人の気配がするので道を譲る.N村(兄)さん(ローギャー氏)である.その後,前になったり,後ろになったりで大倉まで下山する.
 山麓まで下ると,ウグイスの鳴き声が盛んに聞こえてくる.
 バス待ちの時に,N村(兄)さんが,
 「・・お元気そうですね」
と私に話しかける.
 「有り難うございます.でも,そんなに元気ではないです・・実は,足許がクラクラする病気で,3週間ほど,塔ノ岳はお休みしていました」
と答えると,
 「そうでしたか,でも,塔ノ岳に上れるということは元気な証拠ですよ・・私も足許がフラフラして困ったことがありましたよ」
と畳み掛けるように言われる.私は心の中で,
 「なるほど・・? 確かに健康でなければ塔ノ岳を往復できないな・・」
と妙に納得する.
 15時頃,無事帰宅.無事,下山すると,毎度の事ながら,何ともいえない爽快感と満足感がある.だから,山登りが止められないのかもしれない.こうして,無事に塔ノ岳を往復できたのも,それなりに健康で過ごしている査証でもあろう.
 大船駅に到着する.まだ日が高い.このまま帰宅するのも勿体ない気分になる.そこで,大船駅構内の喫茶店に入り込んで,230円也のコーヒーを賞味してから帰宅する.
 携帯電話によると,今日の歩行距離23.8キロメートル(もちろん実際はずっと少ない),32188歩,716キロカロリー.


<ラップタイム>

 7:09  大倉歩き出し
 7:30  観音茶屋
 7:47  見晴茶屋
 8:15  駒止茶屋
 8:23  堀山の家
 9:18  花立山荘
 9:33  金冷シ
 9:49  塔ノ岳山頂着(16.0℃)
==========================================
10:26  塔ノ岳山頂発
10:40  金冷シ
10:57  花立山荘
11:26  堀山の家
11:40  駒止茶屋
12:03  見晴茶屋
12:17  観音茶屋(24.7℃)
12:36  大倉 着(26.5℃)

[山行記録]

■水平距離
       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:09
  塔ノ岳  着       9:49
 (所要時間)  2時間40分(2.67h)
 水平歩行速度  7km/2.67h=2.62km/h
 登攀速度    1269m/2.67h=475.3m/h

■下降所要時間
  塔ノ岳  発       10:26
  大倉   着       12:36
 (所要時間)  2時間10分(2.17h)
 水平歩行速度    7.0km/2.17h=3.23km/h
 下降速度      1269m/2.17h=584.8m/h
                                             (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ed5b353fb8378a821bf74c65871a2870
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c577530069da15cf94f46ee2564cde4

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[編集後記]

2011年6月11日(土) 雨

 予報通りに朝からやや激しい雨がザーザーと降り続いている.
 朝食後,NHKの連載トラマ「おひさま」に見始める.私はドラマの主人公陽子先生に国民学校で教わった年代に属している.このドラマを見ている内に,当時のことを鮮明に思い出す.そして,何ともいえない複雑な気分になる.
 私が旧制中学校に入学した年に,日本は大東亜戦争に負けてしまう.
 私の叔母には男子2人,女子1人の子供が居た.男子2人は,揃って優秀で,旧制中学では私の先輩にもなる.2人は海軍兵学校に進学した.そして,1人は神風特攻隊で戦死した.叔母は,息子達が海軍兵学校に進んだことから,軍国の母と大変尊敬されていた.
 今になって思うことは,このときの叔母の心情である.どこの世界に,大切な自分の子供が軍人になるのを喜ぶ母親などいるだろうか.多分,人目の付かない所で,悲しんでいたに違いない.
 敗戦の1年前,私の父も軍医として兵役に就いた.このときも気丈な母は愚痴一つ言わなかった.軍国少年として教育を受けた私は,従兄弟が海軍兵学校へ進学するのを羨望の眼で見ていたし,父が軍人になるのも,大日本帝国に天皇の赤子(せきし)として当然のことと思っていた.今考えると,実に怖いことである.
 この連続テレビ小説を見ていると,当時のことを,あまりにも生々しく思い出してしまう.そして,とてもやりきれない気持ちになる.やっぱり,戦争などしてはならないと思うのみである. 
 今,午前11時30分をまわった所である.雨脚がますます強くなり,ザーザーと音を立てている.
 雨が小降りにならない限り,午後からの外出は控えることにしよう.
                                     (愚痴おわり)



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