中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(4):十二兼・南目覚・羅天

2011年12月20日 06時05分29秒 | 中山道六十九宿

                                  <景勝地;南目覚>

  中山道六十九宿巡り(第11回);第2日目(4):十二兼・南目覚・羅天
             (五十三次洛遊会)
         2011年11月11日(金)~14日(月)

第2日目;2011年11月13日(日) 
(つづき)

<ルート地図>




<十二兼>


■まぼろしの“しらなみ坂”

 11時58分,昼食を終えて再び歩き出す.
 暫くの間,国道下の長閑な道が続く.暑くも寒くもないお散歩日和である.周囲の紅葉を愛でながら,ゆったりした気分で歩き続ける.
 12時08分,中央本線の第13号中仙道踏切を渡る.
 地元の観光協会で頂戴した資料によると,この踏切付近から,八人石というところまで,しらなみ坂という通路があったらしいが,今は所在が不明で通ることができないとのことである.

<国道下の長閑な道>



<紅葉の道をノンビリと歩く>

■立派な灯籠
 第14号中仙道踏切を渡る.何時の間にか,八人石(はちにんしゅ)と呼ばれる集落を通過したようである.
 緩やかな長い登り坂になる.どうやら,十二兼の集落に入ったようである.
 12時29分,立派な灯籠の前を通過する.灯籠があるということは,そろそろ十二兼の集落に入ったと言うことだろうか.


<立派な灯籠>

■熊野神社
 地元観光協会の資料によると,この辺りに立場跡があるようだが,どこか分からないうちに,それらしき場所を通過する.
 やがて三叉路に到着する.民家の玄関先を通過するような感じで右折する.下り坂を進んで,12時31分,熊野神社に到着する.熊野神社と大きな字で刻字した巨大な石塔が立っている.社殿の周囲には大木が繁茂している.

<熊野神社の石塔>


<熊野神社社殿>

<柿其橋と南目覚>

■暗いトンネルとJR十二兼駅

 熊野神社前を通過してすぐに少々気味の悪いトンネルを潜る.トンネルの上には国道19号線と中央本線の線路が通っている.
 12時35分,JR十二兼駅に到着する.ここで10分ほどトイレ休憩を取る.

<十二兼駅近くの暗いトンネル>


<十二兼駅が見える>

■柿其橋
 トイレ休憩を終えて,12時45分に十二兼駅から歩き出す.
 駅のすぐ近くに,江戸日本橋から78番目にあたる十二兼の一里塚跡がある筈だが,痕跡すら見当たらない.
 12時56分,行く手前方左手に大きな橋が見え出す.柿其橋(かきぞればし)である.
 柿其橋から見下ろす木曽川の景色が良いというので,三叉路を右折して柿其橋に向かう.

<柿其橋>


<柿其橋>

■景勝南寝覚
 橋の中央から木曽川を見下ろす.
 大きな岩の間を川が淵を作りながら流下している.素晴らしい風景である.ここは別名河原峡とも呼ばれる景勝地である.また,柿其峡(かきぞれきょう)とも呼ぶらしい(資料2,:.119).
 私たちは短い時間ながら,橋の上から美しい風景を堪能する.

<南目覚>

■明治天皇御小休所跡
 13時01分,明治天皇御小休所跡に到着する.
 傍らに建つ説明板の記事によると,「1880年(明治13年),山梨県から木曽路に入った明治天皇は,6月26日に福島泊,27日は寝覚で御小休み,須原定勝寺で御昼食,中川原で御小休み,その日の行在所は三留野本陣であった.ここ中川原には夕方に着き,羅天の難所を前にして,桜井太助宅においてしばしの休憩をとられたという・・・現在のこの場所は,1999年(平成5年)に公園として整備された」という.

<明治天皇御小休所跡>

<羅天の難所>

■羅天橋
 柿其橋を過ぎて暫く進むと,木曽川と中央本線の線路に挟まれた国道19号線に合流する.進行方向右手に木曽川が流れている.歩道は木曽川に着き出すようにして作られている.
 13時16分,「羅天橋」と書いてあるプレートの前を通過する.
 資料1(pp.222-223)によれば,ここは島崎藤村の小説『夜明け前』の書き出し「木曽路はすべて山の中である」で有名になったところだという.
 木曽川に沿った緩やかな下り坂がずっと続いている.
 13時22分,「吉川側道橋」と書いてあるプレートの前を通過する.この辺りで進行方向左手から与川が信濃川に合流する.

<羅天橋>


<羅天橋を行く>


<与川側道峡>

■中央本線のガードと馬頭観音
 国道19号線は第二羅天トンネルに入る.歩道は,トンネルのある山裾をぐるりと廻る形で続く.
 13時37分,中央本線のガード下を潜る.すぐ側にある馬頭観音の前を通過する.

<馬頭観音>

■三留野宿が近い
 13時41分,「1.3km南木曽駅」と書いた案内杭を通過する.第2日目の終着点は,一応,南木曽駅になっている.あと,もう少しで,三留野宿に到着する. 

<南木曽駅まで後1.3km>

                                 (つづく)

[参考文献]

資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6ba2b88656d8256ce64156c26023015d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33a5afb3a10dbacf80221c0ee97977b4

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[閑話休題]

2011年12月19日(月)
 晴

 正午のテレビで,北朝鮮の金正日主席が,去る17日,視察旅行中に急逝したという衝撃的なニュースが飛び込んできた.この国は一体何処へ行くのだろうか.政治に疎い私には,全く予想も付かないが.大変な事態になったものだ.
 日本にどのような影響があるのか,皆目見当が付かないが,波風が立たないように祈るのみである.
 今日は先日受診した年1回の健康診断の結果を聞きに行く日である.
 午後,おそるおそる病院を訪れる.結果は,特段悪いところなし.正直なところホッとする.序でに,登山ツアー会社に提出する健康診断書を頂く.これで,これから1年間,登山ツアーに参加できそうである.良かった! 良かった!
 あれよ,あれよと言う間に,今年もアツ僅か.
 「今日やらなくても間に合うことは,今日はやらない・・・」
というグウタラを信条にしてきた.
 そんな私でも,そろそろ年賀状の準備をしなければと気持ちだけが焦り出す・・・でも,正直なところ,何だか面倒だなという気分がするのも否めない.
 「もう,お前さんも良い年になったんだから,そろそろ年賀のやり取りはヤメにしたら・・・」
と,心の中のもう一人の私が,毎年のように言っている.
 「でも,まあ,今回だけ出すことにするよ.来年なったら,止めるかどうか,もう一度考えるよ・・」
と,もう一人の私に返事する.
 もう一人の私との,こんなやり取りが,もう10年近く続いている.
                                    (愚痴おわり)



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