中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第1日目(2):高崎宿豊岡

2013年03月03日 05時40分03秒 | 中山道六十九宿

                            <上豊岡の茶屋本陣にて>

   歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第1日目(2):高崎宿豊岡
            (五十三次洛遊会)
      2012年10月12日(金)~14日(日)

※本稿の初出は2012年10月16日である.
 初稿の地図を差し替え,本文の加除修正を行った.


2012年10月12日(金)

<高崎宿地図> 
(再掲)


<下豊岡の社寺>

■八坂神社
 13時21分,中華料理「四川」でを終えた私達は,引き続き中山道を歩き出す.
 歩き出してすぐ,13時24分に八坂神社に到着する.広い境内は人影もなくひっそりと静まり返っている.
 八坂神社の由来は,手許の資料では不明.

<八坂神社>

■若宮八神社
 13時26分,若宮神社に到着する.
 境内に掲げられている案内板には「祭神は大鷦鷯命(おおさぎのみこと),諡名(あぐりな)仁徳天皇」と記されている.こんな凄い漢字は浅学非才の私には到底読めないし,意味も良く分からない.
 案内板の記事によると「この神社は永承6年(1051年)源義・義家節が建立したと伝えられる.前九年の役のとき,義と義家は奥州安部氏鎮圧のため,ここ豊岡で仮陣屋を設けて逗留,軍勢を集め,戦勝を祈願して当社を建立した.帰還途中再び当社に立ち寄り戦勝を北酷し,額を奉納した.以来,武将,兵士,一般大衆の尊崇厚く,鎌倉時代には里見太郎,義俊の三男豊岡三郎が崇敬した.寛文2年(1662年)2月,幕府代官諸星惣左エ門政明らが中心となり,社殿を大修築し,盛大な祭典を挙行した.江戸末期には火消し村門辰五郎,明治期には乃木大将が参拝,常時参拝者が耐えなかった.境内には義家の腰掛石がある・・・」などの説明がある.
 義家の腰掛石を探したが,残念ながら,どこにあるのか分からなかった.

<若宮八幡宮>

■常安寺
 13時30分,常安寺参道入口を通過する.本堂は中山道からやや離れたところにあるようなので,見学は省略する.
 常安寺が曹洞宗の寺であること以外,手許の資料では由来など不明.

<常安寺>

■神明社
 13時32分,神明社に到着する.質素な鳥居と社殿が建っている.この神社の由来などは手許の資料では不明.

<神明社>

<上豊岡の茶屋本陣>

■上豊岡の茶屋本陣に到着
 13時35分,群馬県指定史跡上豊岡の茶屋本陣に到着する.入口に「上豊岡の茶屋本陣」と刻字した石柱が立っている.県指定史跡だということで見学することにする.
 建物の中に入る.中年の女性説明員が愛想良く案内してくれる.入口から奥手の建物が史跡に指定されている部分だという.
 史跡に指定されている部分は上段の間,次の間の2部屋と,これらの部屋を囲むように作られている入側(いりがわ;畳敷きの廊下のように見える)から構成されている.
 
<案内の石柱>                               <入口>


<上段の間から庭園を望む>


<茶屋本陣上段の間前入側のふすま絵>

■茶屋本陣の由来と間取り
 茶屋本陣に設置されている案内板の記事によると,この茶屋本陣は,江戸時代の上級武士や公家の喫茶や昼食,あるいは関所の時間待ちのために,宿場と宿場の間に設けられた休憩所である.この茶屋本陣は,旧中仙道に面した位置にあり,住居部分の主家(18世紀中頃憲造)に接続して,別棟で離れ屋敷として19世紀初期に増築されたものである.
 平面は南北に8畳2室を高低差なく配置されている.南側がツギノマ,北側をジョウダンノマと言う.ジョウダンノマは書院造様式で違棚,床の間がある.2室の北側と東側に入側が作られている.さらにその外側に濡縁が取り付けられている.

<茶屋本陣の間取り>

<上豊岡の石塔群>

■道祖神などに石仏群
 13時52分,進行方向左手に道祖神と思われる石彫の他に数体の石仏群が安置されている場所を通過する.傍らにバス停がある.
 これらの石仏群の由来は,手許の資料では不明.どうやら,金ヶ淵不動尊と呼ばれているようである(確かではない).

<上豊岡の石仏群>

■道祖神
 14時01分,路傍の空き地で,夏草に覆われた道祖神を見付ける.この道祖神は何故か通路の背を向けて立っている.

<植え込みの中の道祖神>
                                     (つづく)

[加除修正]
2013/3/3 地図の差し替え,および本文の加除修正を行った.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b7b37c2a1a88e06dcb8407a0dbde53ca
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事

http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dad9aa8043dc22f6fcf8547a19b2b3f1
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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