中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第3回):(2)桶川宿

2013年01月29日 05時41分10秒 | 中山道六十九宿

                      <桶川宿案内板>

[改訂版]   歩いて巡る中山道六十九宿(第3回):(2)桶川宿
             (五十三次洛遊会)
         2009年11月28日(土)
(つづき)

※本稿の初出は2010年2月10日である.
 ルート地図の改訂および本文の加筆訂正を行った

<ルート地図>





<桶川宿散策>

■桶川宿の概要
 桶川宿は第6次の宿場である.
 資料3(p.50)によれば,桶川宿の宿内人口は1444人.内,男717人,女727人.宿内惣家軒数347軒.内,本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠36軒であった.
 資料1(p.20)によれば,ここは出羽国に次ぐ武州紅花の集散地として栄えていたという.埼玉県随一の本陣が残り,旧旅籠屋が営業しているようである.

 桶川宿の詳細は資料5参照.

■庚申供養塔と道端の祠

 10時07分,道端の祠を通過する.立派な屋根がついた祠である.この祠の由来は分からない.
 
<庚申塔>                                                                   <道端の祠>

■木戸跡
  10時09分,桶川宿下の木戸跡碑を通過する.「旧跡木戸址」と刻字した石柱が立っているだけで,往時の雰囲気は残っていない.


<木戸址の石柱>

武村旅館
 10時12分,進行方向左手にある武村旅館に到着する.
 ここは,大正年代に改築されたものの,江戸時代からの間取りがそのまま残っているそうである.今でも営業をしている.こんな旅館に一泊するのも一興だなと思いながら通過する.
 旅館の前には案内板が設置されている.
 案内板の記事によると,皇女和宮が中仙道を下向した文久3年(1861年)には,ここで,紙屋半次郎が旅籠を営んでいたという.
 
<武村旅館>                                     <武村旅館の案内板>

■中山道ふれあい館と浄念寺
 10時14分,中山道ふれあい館に到着するが,どこかへ移転したとかで,ガランとしている.誰もいない.残念.
 10時15分,浄念寺の前を通過する.一行がどんどん先へ行ってしまうので,あわててデジカメで1枚写真を撮っただけで,一行の跡を追う.
 浄念寺の由来などは,手許の資料では分からない.
 
<中仙道ふれあい館>                 <浄念寺>

■土蔵のある家と小林木材店
 10時17分,3階建ての土蔵のある家と,小林木材店が近くにある場所に到着する.
 同行者の話によると,土蔵のある家は,紅花を扱っていた商家,木材店は元旅籠だったという.
 
<土蔵のある家>                                <小林木材店>

■中仙道宿場館に到着
 10時22分,中山道宿場館に到着する.屋根に「武州桶川宿」と書いた大きな看板が乗っている.
 中に入る.館内は案外広い.楚々とした中年女性係員が丁寧に応対する.勧められるままに,椅子に座って,PRビデオを拝見する.
 
<中仙道宿場館に到着>                         <中仙道宿場館の内部>

■大雲禅寺
 10時34分,中山道宿場館を出発する.途中「左上尾宿三十四丁」と彫字のある石柱を通過する.そして,10時39分,大雲禅寺(だいうんぜんじ)に到着する.
 山門からチラリと境内を覗いただけで通過.
 この辺りから,
 「街道歩きは,やっぱり一人旅の方が,自由で良いかな・・・」
と真剣に思い始める.
 資料6には,「大雲寺は曹洞宗の寺院,山号は龍谷山.足立坂東三十三箇所霊場の第2番札所である.弘治
3年(1557年)清越の開山と伝えられる.桶川宿の上方(京側)にあり,上の寺とも呼ばれていた.本陣当主である府川家の墓があり,江戸時代の俳人,府川志風も当寺に眠る.本堂に向って右にある3体の地蔵菩薩のうち右端は「女郎買い地蔵」と呼ばれ,桶川宿の飯森女に会いに行ったという伝説がある.」という説明がある.
 
<道標>                                    <大雲禅寺>

<北本宿>

北本宿の歴史看板

 10時43分頃,一里塚があったらしい場所を通過するが,今は何の痕跡もない.
 11時22分,北本宿の歴史看板の前を通過する.ユックリと読んでいる暇がない.あわただしくて,どうも性に合わない.
 資料7によると,江戸幕府による宿場整備以前の慶長7年(1602年)までは,中仙道鴻巣宿がここにあったという.

<「中仙道と本宿」の案内板>

■多聞寺と天神社
 11時28分,多聞寺と天神社が並んでいる場所を通過する.それぞれ,見学参拝なしに道路から写真を撮っただけで通過する.
 
<多聞寺>                                                <天神社>

■JR北本駅で小休止
 11時38分,JR高崎線の北本駅に到着する.ほんの1分ばかり立ち休憩をとる.

<JR北本駅>

■原島一里塚
 北本駅の広場を横切って,路地のような道を線路沿いに進む.そして,ガードを潜って,線路の反対側に出る.畑の中に民家が点在するのどかな雰囲気になる.狭い道を進む.この辺りで左折すれば良いかなと思って左折するが,肝心の一里塚が見当たらない.再び元の場所に戻る.
 すると通りすがりの地元の女性が,
 「・・あちらですよ・・」
と私たちが道を聞く前に教えてくれる.きっと,ここで迷う人が多いのだろう.
 11時50分,原島一里塚に到着する.大きな塚が残っている.塚の山頂には小さな祠が祭ってある.

<畑の中の案内標識>


<一里塚の案内板>


<一里塚の石碑>

■東間浅間神社
 11時52分,原島一里塚を出発する.往路を辿って,もとの場所に戻る.そして,旧中山道を再び北北東に向けて歩き出す.
 12時丁度に浅間神社に到着する.広い境内.
 私たちは,ここで昼休み.
 弁当持参組は,東間浅間神社境内で,その他は近くの食堂で食事を摂ることにする.

<東間浅間神社>

■食堂「夢庵」で昼食
 私は食堂で昼食を摂る組に入る.道路を挟んで,浅間神社と反対側にある「夢庵」に入る.
 外観で想像していたよりも大きな食堂である.従業員がハキハキしていて気分が良い.焼きサバの定食を注文する.なかなか美味.

<食事処「夢庵」>


<夢庵の定食>
                              (つづく)

[加除修正]

2013/1/29 ルート地図の改訂および本文の加除修正を行った.


[参考文献]


資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E5%AE%BF
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E6%A1%B6%E5%B7%9D%E5%B8%82)
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%AC%E5%B8%82
                                     (つづく)


「中山道六十九次」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1809f7744b63aeb909733e8a8ac4516
「中山道六十九次」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/26b1c8ab2b2d963f5ea02d6d218ff634
 
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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