<聖なる谷の眺望>
ペルー周遊記(17):第5日目(4):インカ族の聖なる谷
(補足資料)
(参考文献:ホセミゲル他,2005,『ペルー発見』イポカンポ出版,pp.57-58)
■聖なる谷の概要
今日,私達が通過したピサック,オリャンタイタンポ両石造建造物は,ウルバンバ川の流域にある.このウルバンバ川を辿ると,明日,訪問するマチュピチュに通じている.このウルバンバ川の流域のことをインカ族の「聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」あるいは「ウルバンバの谷(Valle Urubamba)」と呼ばれている.
インカ族の天文学者は,この谷が天の川を投影した神聖な場所と考えていたようである.天の川には,リャマ,コンドル,木など,インカ族が神聖なものと考えていた星座が多数存在している.これらの星座を,この谷の石像建築物の中に投影させている.したがって,この谷は,インカ族にとって,神秘的なパワーが満ちている場所だと考えられていた.
以上のような経緯から,聖なる谷にあるピサックとオリャンタイタンポの遺跡は,たんなる神殿というだけでなく,インカ帝国(タワンティンスと言われる)の政治,宗教上の重要な場所であった.したがって,ここには特権階級に属する人達が住んでいたと思われる.これらの住民が生産する農産物は,生産性よりも儀式的な色彩が強い傾向があった.
<オリャンタイタンポ遺跡>
出所:ホセミゲル他,2005,『ペルー発見』イポカンポ出版,p.58
■ピサック遺跡
ピサック(Pisaq)遺跡は,ウルバンバ川右岸のユカイ地方に位置している.今は絶滅してしまったが,昔,この地方にヤマウズラに似た鳥が生息していた.ピサックはこの鳥に由来した呼称であるという.
ピサックの石造建築物は.大別して要塞,兵站などの軍事施設,太陽の神殿,遙拝所などの宗教的施設,および,特権階級の住む住宅部分の3区域に区分することができる. 軍事施設は,山の中央部にあり,谷全体が見通せるようになっている.軍事施設の壁は厚く,内側に傾むけて作られている.また,これらの壁は,長さ200メートル余りもある天然の岩の上に造られているので,難攻不落の施設であった.
宗教的施設は山頂にある.研磨された石で建造された遙拝所が7部屋ある.中央の部屋,オンディワタナには,太陽神が祀られている.ここから聖なる谷を一望することができる.
住宅部分は山裾に広がっている.約20戸の建物が,半円形に配置されている.建物の造りは質素である.
■オリャンタイタンポ遺跡
オリャンタイタンポ遺跡は,聖なる谷のマチュピチュに近い場所に位置している.
インカ王パチャクテの部隊に所属する地元出身の兵士が,王女に恋心を抱いた.この兵士の名前「オリャンタ」と,「休息」を意味する「タンポ」という単語を合成してオリャンタイタンポとなった(この説明はアレックスから伺った説明と微妙に異なる).
オリャンタイタンポは,たんに聖なる谷に位置しているだけではなく,アンディス族の支配するタワンディスーユに近いことから,インカ政府にとって戦略的にも極めて重要な場所であった.
他方,この地域は果物,農産物,王の装飾用羽根が採れる鳥などを産出し,これらをクスコにもたらしていた.
オリャンタイタンポは,軍隊の施設であったとともに,インカとアマゾン地帯の酋長と取引を行う重要な拠点でもあった.
オリャンタイタンポの建造物は,数キロメートルも離れた場所にある石切場から産出されたものである.これらの石材を,どのような方法で運び,丘の上まで持ち上げたかが,未だに分かっていない.
(つづく)
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ペルー周遊記(17):第5日目(4):インカ族の聖なる谷
(補足資料)
(参考文献:ホセミゲル他,2005,『ペルー発見』イポカンポ出版,pp.57-58)
■聖なる谷の概要
今日,私達が通過したピサック,オリャンタイタンポ両石造建造物は,ウルバンバ川の流域にある.このウルバンバ川を辿ると,明日,訪問するマチュピチュに通じている.このウルバンバ川の流域のことをインカ族の「聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」あるいは「ウルバンバの谷(Valle Urubamba)」と呼ばれている.
インカ族の天文学者は,この谷が天の川を投影した神聖な場所と考えていたようである.天の川には,リャマ,コンドル,木など,インカ族が神聖なものと考えていた星座が多数存在している.これらの星座を,この谷の石像建築物の中に投影させている.したがって,この谷は,インカ族にとって,神秘的なパワーが満ちている場所だと考えられていた.
以上のような経緯から,聖なる谷にあるピサックとオリャンタイタンポの遺跡は,たんなる神殿というだけでなく,インカ帝国(タワンティンスと言われる)の政治,宗教上の重要な場所であった.したがって,ここには特権階級に属する人達が住んでいたと思われる.これらの住民が生産する農産物は,生産性よりも儀式的な色彩が強い傾向があった.
<オリャンタイタンポ遺跡>
出所:ホセミゲル他,2005,『ペルー発見』イポカンポ出版,p.58
■ピサック遺跡
ピサック(Pisaq)遺跡は,ウルバンバ川右岸のユカイ地方に位置している.今は絶滅してしまったが,昔,この地方にヤマウズラに似た鳥が生息していた.ピサックはこの鳥に由来した呼称であるという.
ピサックの石造建築物は.大別して要塞,兵站などの軍事施設,太陽の神殿,遙拝所などの宗教的施設,および,特権階級の住む住宅部分の3区域に区分することができる. 軍事施設は,山の中央部にあり,谷全体が見通せるようになっている.軍事施設の壁は厚く,内側に傾むけて作られている.また,これらの壁は,長さ200メートル余りもある天然の岩の上に造られているので,難攻不落の施設であった.
宗教的施設は山頂にある.研磨された石で建造された遙拝所が7部屋ある.中央の部屋,オンディワタナには,太陽神が祀られている.ここから聖なる谷を一望することができる.
住宅部分は山裾に広がっている.約20戸の建物が,半円形に配置されている.建物の造りは質素である.
■オリャンタイタンポ遺跡
オリャンタイタンポ遺跡は,聖なる谷のマチュピチュに近い場所に位置している.
インカ王パチャクテの部隊に所属する地元出身の兵士が,王女に恋心を抱いた.この兵士の名前「オリャンタ」と,「休息」を意味する「タンポ」という単語を合成してオリャンタイタンポとなった(この説明はアレックスから伺った説明と微妙に異なる).
オリャンタイタンポは,たんに聖なる谷に位置しているだけではなく,アンディス族の支配するタワンディスーユに近いことから,インカ政府にとって戦略的にも極めて重要な場所であった.
他方,この地域は果物,農産物,王の装飾用羽根が採れる鳥などを産出し,これらをクスコにもたらしていた.
オリャンタイタンポは,軍隊の施設であったとともに,インカとアマゾン地帯の酋長と取引を行う重要な拠点でもあった.
オリャンタイタンポの建造物は,数キロメートルも離れた場所にある石切場から産出されたものである.これらの石材を,どのような方法で運び,丘の上まで持ち上げたかが,未だに分かっていない.
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