中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第5回目):(4)畑中の道を本庄宿へ

2013年02月16日 04時13分16秒 | 中山道六十九宿

                    <道ばたの賽神>

     中山道六十九宿巡り(第5回目):(4)畑中の道を本庄宿へ
             (五十三次洛遊会)
           2010年3月13日(土)

※本稿の初出は2010年3月18日である.
 初稿にルート地図を追加し,本文の加除修正を行った.

<ルート地図>



<長閑な田園地帯を行く>

■ひそやかな標識

 13時03分,諏訪大明神を
遠目に眺めながら,静かな田舎道を急ぐ.緑の多い堀田の集落を抜けると,平らで広々とした田園地帯に出る.山が多くて起伏の多い鎌倉に住んでいる私には,滅多にお目にかかれない広野である.頭上から春を思わせる暖かな日差しが降り注ぐ.空を仰ぎ見ながら,
 「・・気持ちの良いところだな~ぁ・・・」
としみじみ思う.
 暫くの間,緩やかに右方向に曲がる広い農道に沿って進む.雑草の生い茂る土手沿いにガードレールが設置されている.このガードレールのどこかに「中山道」という表示があるはずなので,その表示を見落とさないように注意しながら歩く.
 やがて,農道は右に曲がって真北の方向になる.
 「・・この辺りが怪しいな・・」
と思いながら,用意した地図を確かめる.すると曲がり角から雑草に挟まれるように道幅の狭い道が分岐している.
 
<ガードレールに標識>                           <左側に枝道に入る>

雑草の旧中山道
 頭上を走る2本の高圧線の位置から察して,この狭い道が旧中山道に違いないと判断する.狭い道を少し進んだところに小さな板きれに中山道と書いた案内板が立っている.
 「やっぱり,この道で良かったんだ・・・」
 前方に高架道路が見えている.この道路下のトンネルを潜ると,高架道路の路肩沿いに登る階段がある.半ばさび付いた階段の手すりに「中山道」と書いた小さな木片がくくりつけてある.階段を登り切ると,民家の裏庭のような場所に出る.雑草が一面に生え茂る空き地のような道を進むと,道幅の狭いアスファルト道に出る.道沿いに,しばらく進むと藤田小学校の脇に出る.
 
<ぽつんと中山道標識>                                     <トンネルを潜る>

 
<高架道路の路肩沿いの階段にある道標>                  <草ボウボウの裏道のような旧中山道>

■宝珠寺
 藤田の集落に入る.閑静な所である.
 13時20分,宝珠寺参道入口に到着する.参道入口右側に豊山派宝珠寺と刻字のある大きな石柱が建っている.この寺の由来は,不勉強なので全く分からないが,赤塗りの立派な建物が見えている.

<宝珠寺>

■牧西八幡大明神
 道路を挟んで反対側には,大きな鳥居の奥に,牧西八幡大明神が見えている.
 境内の掲示板の記事によれば,祭神はホンダワケノミコト(応神天皇),神功皇后,ナカツヒメノカミ(応神天皇后)の3柱.
 1195年(建久年間)に児玉党の一族・牧西史郎広末が武運長久の守護神である鎌倉の鶴岡八幡宮を奉遷して,ここに祀ったという.1471年(文明3年),五十子(いかつこ)合戦のときに兵火で焼失.1612年(慶弔17年)頃,信州佐久群依田荘の依田五郎左衛門が再興した.依田氏は後に宮崎と改め,この神社の神主として代々奉仕したとのこと.

<牧西八幡大明神>

■宮崎組神楽
 掲示板の記事によると,本庄市指定文化財の金鑚(かなさら)神楽(宮崎組神楽)は,江戸時代正徳年間(1711~1715年)以前から牧西八幡大明神に奉納されており,変わり面など珍しい舞い方が伝えられているという.神楽のことは全く分からない私には,何がどう珍しいのか全く分からない.
 この神楽,信州上諏訪など各地に出かけて奉納されているという.また,出し物(“座”というらしい)は25座伝えられているとのこと.

<宮崎組神楽>

■小川家長屋門
 集落の中に入る.道路の両側には農家らしい民家が続く.進行方向右手に郵便局が見えてくる.13時33分,この郵便局と道を挟んで反対側にある小川家長屋門に到着する.
 所々,生地の土壁が露出しているところもあるが,白壁が美しい立派な長屋門である.

<小川家長屋門>

■賽神と庚申塔
 13時37分頃,藤田の集落を通り抜ける.
 進行方向右手に賽神と庚申塔がある.ちょっとした広場の奥に数基の石塔が並んでいる.その脇に小屋がある.その小屋の中に大きな石柱が収められている.この石柱が賽神だろうと勝手に想像する.
 庚申塔の向こうには,広々とした田畑が広がっている.

<賽神と庚申塔>

■内野歯科
 藤田の集落を出ると,広々とした田園地帯になる.私たちは長閑な道を西に向けて歩き続ける.
 13時47分,進行方向右手(北側)にある内野歯科に到着する.立派な門構えが目を引く.

<内野歯科>

■大助うどん
 内野歯科を通り過ぎてから,暫く進むと,道路が左に大きくカーブして,進行方向が南南西に変わる.
 このカーブの付け根に天王塚があるようだが,ちょっと目には見当たらない.そのまま通過する.目の前にはセメント工場だろうか,大きな塔と空中を斜めに走るベルトコンベアーが見えている.
 道路は,工場の敷地に突き当たると,大きく右に曲がる.この曲がり角に「大助うどん」の店舗がある.私個人は,食べ物には興味がないが,有名な店のようである.
 
<この道路の左手に大助うどんがありる>

■いよいよ本庄宿
 14時09分,私たちが歩いている旧中山道は,斜めに走る(新)中山道と交差する.この交差点に「中山道交差点」という標識が取り付けられている.
 この辺りから建物が建て込み始める.私たちは本庄市内に入ったようである.


                              (つづく)
[加除修正]
2013/2/16  ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a51a6666c6485b43566b772ae6596bf7
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/380cbf1b28a9b9785193f4294ce97deb 
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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