6日に新垣 隆が『佐村河内 守が作曲したとされる作品を新垣自身が代作していた』ことを記者会見で表明しました。
この2人のことは知りませんでしたが、何か音楽界全体でモラルハザード(倫理崩壊)が起きている感じです。
いろいろな記事を読みましたが、江川 紹子氏『彼はなぜゴーストライターを続けたのか~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える』を読んたのですが、一番納得のいく記事でしたし、最後の記述
佐村河内氏の真の姿は明らかにされなければならない。この「神話」を作る役割を果たした人たちも、その責任を取るべきだろう。だが、化けの皮をはいで一件落着とは思わない。メディアを舞台にして、多くの善意の人によって「神話」が拡散されていったプロセスこそが、もっとも検証されなければならないものだと思う。
はその通りであると実感させられました。
今回発覚した問題で一番被害被ったのは「実際に音を組み合わせていって作曲した人の名義でない別人が生んだことにされた曲そのもの」なのでしょうね。(曲の案を出した人物とはいえ、自分で音を組み合わせてないのですから別人といえます)
今回の件、突き詰めていくと、音楽界が「一般大衆がいい曲と判断した作品が売れる」のではなくて「(たとえ動議上問題と思われる形でも)売れた曲がいい曲である」状況になってしまっているのではと感じます。
今回のケースは、実際に作曲した人ではない「佐村河内 守」を作曲者にすることで、一般大衆の共感を集めやすくして、CDなどの売上を伸ばす手段をとったとも見えます。(曲そのものではなく「佐村河内 守」が作ったことをセールスポイントにする)
それとは別にAKB48のCD付録品(投票券・握手券)などだけのために大量購入して、CD本体は捨ててしまうケースもあり、これも曲そのものでなく付録品をセールスにしています。(大量投棄されたCDの写真見ましたが、資源の無駄としか思えませんでした。これならCDつけずに投票券・握手券大量に売ったほうがマシです)曲本体が軽んじられてしまっています。
曲そのものが評価されるようになることが理想ですが、正直いい方法が思い浮かびません。
- 作曲者不明な作品を聞く
- 気に入った作品だけ詳細な情報(作曲者・作曲した曲風など)を提示
- それを認めて初めて購入する
上記の方法でも2で曲以外の要素が影響してしまいますし・・・