小村寿太郎氏
宮崎の偉人と言われて、歴史を刻んだ人
父は飫肥藩士。明治8年(1875)に文部省第1回留学生に選ばれてハーバード大学に入学。
帰国後、外務省翻訳局長となる。
日清戦争では政務局長。その後、日露戦争後のポーツマス会議に全権として出席し、日露講和条約を締結した人物。
「ポーツマス条約、絶対有利」と言われた中で、戦争は絶対避けたい両国。
戦争には勝っているから日本が有利と世間では評価。
しかし国を思う指示から ロシアに譲歩する姿勢に 弱腰だと日本国民からは評価され、日比谷焼討事件など、家族が危機に陥る経過があったとの事。
自分の想いとは、別に 弱腰外交と揶揄され、ポーツマス調印を実行した歴史は 教科書には書いていませんでした。
さぞ、悔しい想いをされた事だと思います
その後も外務大臣を務め、日本に不利な関税措置を交渉し解決に導く 小村寿太郎氏。享年57,
今も日南に記録が残っているようです。
歴史から引き継ぐ想いを大切にしたいものです。
また