残月録

残月がやがて消えていく間にも、私の日常生活の中に何か一瞬の輝きを求めて写真を撮っています.

秋望(春望を真似て)

2021-10-27 11:39:51 | 日記








     <秋望>

阪神破れて 山河在り

大阪城秋にして 枯れ木深し

時に感じて 花にも涙を濯ぎ

敗戦を恨んで 鳥にも心を驚かす

峰火 11月に連なり

敗戦確定なる

白頭掻いて 更に短し

頭を低れて涙す

*峰火:戦い、戦さ

昨日は眞子さんとKとの”苛立ち”が残っただけの
結婚会見あり、不吉な日と思っていたが、
案の定、その晩阪神タイガースは中日に完封負けをして、
今シーズンの優勝をのがした。
今年こそはと思っていたのに、
これで目の黒い内は優勝を
見られないと諦めた。

コスモス(思えば遠くへ来たもんだ)

2021-10-25 10:19:40 | 日記










在りし日の歌 (中原中也)より

   頑是ない歌

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
悄然として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆて
なんだか自身が持てないよ

さりとて生きたゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思えばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでせう

考えてみれば簡単だ
畢竟意思の問題だ
なんとかやるより仕方がない
やりさえすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

    
    雑感<1>
海援隊の曲の”思えば遠くへ来たもんだ”
の最初のフレーズに
”踏切のそばに咲くコスモスのはなゆらして
貨物列車が走り過ぎる
そして夕陽に消えてゆく”からコスモスを観ると
必ず中原中也の詩が浮かんでくる。
今はもう歌わないれど、
40~50代のころはカラオケでよく歌った
もんだ。

   雑感<2>
思えば遠くへ来たもんだ
ここまで二人できたけれど
思えば遠くへ来たもんだ
今では女房と二人だけ
思えば遠くへ来たもんだ
此の先どこまで行くのやら

大阪城

2021-10-19 16:34:43 | 日記









緊急事態宣言が解除されて、大阪城をカメラで散歩。
普段は東側の大阪城公園から入るのだが、
今回は西側の大手門より入城した。
百姓の子”猿”(日吉丸)がかくも立派な城を一代で築いた
偉大さに驚かされる。
家康に埋められた外濠の事を
思うとその巨大さに思いをはせます。
コロナ渦で外人が少ないのもいいもんだ。


曼珠沙華(ひがんばな)

2021-10-12 13:34:47 | 日記






お彼岸も過ぎて早くも1か月。
残暑が続く日曜日。近所の公園へカメラで散歩。
秋の花々が咲いている中で、ひと際目立つ深紅の花。
口にしたらあの世(彼岸)へ行くと言われている曼珠沙華。
未だに咲いている。
子供の頃、音楽教室で聴かされた北原白秋の
「曼珠沙華」を思い出す。
「一つ積んでは父のため
 二つ積んでは母のため」
冥土の三途の河原(賽の河原)で石を積む
死んだ児を思い浮かべて、
子供心に不気味に感じたもんだ。

 曼珠沙華 
   作:北原白秋

GONSHAN(ごんしゃん)GONSHAN(ごんしゃん)
何処へゆく
赤いお墓の 曼珠沙華 曼珠沙華 
今日も手折りに 来たわいな

GONSHAN  GONSHAN 何本か
地には七本 血のように 血のように
ちょうどあの児の 年の数

GONSHAN  GONSHAN  気をつけな
ひとつ摘んでも 日は真昼 日は真昼
ひとつあとから またひらく

GONSHAN  GONSHAN 何故(なし)泣くろ
何時まで取っても 曼珠沙華 曼珠沙華 
怖(こわ)や 赤しや まだ七つ

ごんしゃん:お嬢さん(福岡の方言)

休日の午後

2021-10-04 16:19:57 | 日記










大阪も非常事態宣言が解除された最初の休日。
いつもの公園をカメラ持って散歩。
十月初旬とはいえ陽射しは強く汗ばむくらい。
人気も疎らで、木陰のベンチに腰掛けて、
持参のジュウスを飲みながら、
聴くともなしにボーっと
ゴンチチの「午後の音楽教室」聴いてます。