北国の春(千 昌夫唄)
白樺 青空 南風
こぶし咲く あー北国の春
季節が都会では
わからないだろうと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
中略
山吹 朝霧 水車小屋
わらべ唄聞こえる
北国の あーあー北国の春
あにきもおやじ似で
無口なふたりが
たまには酒でも 飲んでるだろか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
北国の春(千 昌夫唄)
白樺 青空 南風
こぶし咲く あー北国の春
季節が都会では
わからないだろうと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
中略
山吹 朝霧 水車小屋
わらべ唄聞こえる
北国の あーあー北国の春
あにきもおやじ似で
無口なふたりが
たまには酒でも 飲んでるだろか
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな
昔の人は、”立てば芍薬”とうまく女性の美を表したもんだ。
”はんなり”に続いて、京言葉についての思い出す事。
下宿していた頃、下宿のおばさんや同宿の人によくからかわれた。
京都の人は丁寧な言葉使うと。
芋は”おいもさん” 粥は”おかゆさん”
地蔵は”おじぞうさん”
西本願寺、東本願寺は”おにしさん、おひがしさん”
という具合。そこで小生はいつも決まり言葉で反論。
奈良には”お”も”さん”も付けませんと。
あっ、それからまた下ネタの話になるが、
山梨から来た同級生が上等そうなコーヒーカップをひっくり
返した時、慌てて丁寧に謝ろうとして、
”お粗相してすみません”と言った時唖然とした。
京都では上記の言葉は”女性の性器”を指す。
「それを言っちゃおしめいよ」寅さん言。
大阪城が遠くに見える
昨日、京都の高校の同窓会のお誘いがあった。
それで急に思い出したのだが、テレビの中で
京都は ”はんなり” するとよく使っている。
たぶん、のんびり、とかゆったりとかの意味で
使っていると思うのだが。
京都の人は人前では決して使いません。
”はんなり”とは性器が男女、あるいは女男の意味です。
子供のころから誰でも知っています。
鼻の下を伸ばしたテレビDRが舞妓さんに
”はんなりしておいきやす”とでも言われたのかな?
春暁
春眠不覚暁 処々聞啼鳥
(春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聞く)
夜来風雨声 花落知多少
(夜来風雨の声 花落つること知る多少)
この句は覚えやすいだけでなく、なんとなく
心にのこる。(中国は好きではないけど)
更に高校の時習った、この漢詩には思い出があって。
友人がテストの答えに”多少ぞ知る”と書いて減点された。
彼が言うには”漢詩は下から上えへ戻れと習った?
現に上の2行は戻っているではないですか”と。疑問を呈した。
確かに”多少ぞ知る”のほうが口調もいいし。
友人の言っていることに納得した。
ただ教師はなんと答えたかわ覚えていない。
たぶん、うやむやで終わったのだろう。