
極楽寺絵図によると、極楽寺の支院の仏法寺があり、
請雨池では忍性が雨乞いの祈祷をしたといいます

お墓の裏から尾根に取り付きます

尾根道をひたすら進みますが、予想より道は長いです。
水色のテープがメインの道でした、同じ色で少し細いテープもあり区別が必要

登り切ったところ、 左右に道があります。
五合枡遺跡と思いますが、藪状態で遺構は分かりませんでした

右の道を少し行くと、コッホ石碑移転の石碑がありました。
コッホは北里柴三郎と夏を鎌倉で過ごし、
この霊仙山上からの眺めが特に気に入ったそうです。
撰:沢寿郎、書:小島寅雄、昭和58年11月、鎌倉市医師会とあります

倒木をくぐり抜け、海の方へ続く道を進み、斜面を降りると
大きな平場に出ます。ここが仏法寺跡の遺跡です。
請雨池跡や五輪の塔があるはずですが、葛が茂って分かりませんでした。

材木座の光明寺が見えます。
ここから由比ヶ浜や和賀江島を監視したのでしょう

帰り道、五合枡遺跡の地点から少し下ったところに
脇道があり、ホースを張った道がありました

石で補強した土塁の遺構のように見えます。
新田義貞の攻撃に対する鎌倉幕府の防衛遺構かもね?

東洋平和発祥之地の石碑がありました。
インド独立運動を起すや、志士ボースがこの地で独立旗を掲揚、
日支印三国提携の秋にして東洋永遠の平和を期すという碑です
昭和8年2月11日、鎌倉稲村ヶ崎 義烈荘に於いて、題と撰:頭山満
この先民家のため立入禁止とありました。
通れそうな感じでしたが、おとなしく元の道を登って戻りました。
帰り道が分かりにくかった、お勧めはできない道です。
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