今日、白鵬は阿覧と対戦して危なげなく58連勝。
58連勝は第15代横綱・初代梅ヶ谷藤太郎と並ぶ大記録。
この梅ヶ谷の58連勝は、明治9年(1876年)1月場所8日目から明治14年(1881年)1月場所8日目までに作られた記録です。
といっても、連勝の始まりの明治9年1月場所8日目は、対手柄山戦での「引き分け」からスタート。
次の9日目は相手の四海波が「休場」により休み。翌四月場所は3勝1分5休。
同10年1月は8勝1分。翌6月、7勝1分1休。翌12月、9戦全勝。
同11年6月、4勝1分1預3休。翌12月、6勝3分。
同12年6月、5勝1預3休。
同13年1月、4分5休。翌5月、9戦全勝。
同14年1月は9日目、大関・若島に敗れて7勝1敗1分と58連勝の間に「13」の引き分けと「2」の預かり、「18」の休場を挟んでいる連勝です。
ただし、この当時は1場所10日間の興行でしたが、10日目の千秋楽には幕内力士は取組をしませんでした。
なので星取表上は「や」の休みになっていましたが、今集計には千秋楽の休みは数に入れていません。
現在のように千秋楽に取組をするようになったのは、明治42年の6月からです。
この初代・梅ヶ谷は突っ張りや筈押しを得意とした横綱。上記の58連勝の他に35連勝も記録するなど、明治初期の相撲廃止論が渦巻く中、人気を巻き返した名横綱です。
この様な変則的な連勝記録ではありますが、驚きなのは横綱時代の連勝ではなく、「前頭4枚目から大関まで」の記録だということ。
これは双葉山の69連勝(関脇から横綱の間)と似た形ですね。
引退後は梅ヶ谷から「雷(いかずち)」を襲名、相撲界の改革や旧両国国技館の建設に尽力。
後年2代目梅ヶ谷(第20代横綱)に雷を譲りましたが、初代の功績をたたえ「大雷(おおいかずち)」と敬意を評し呼ばれました。
また83才で没したのは横綱の中ではもっとも長寿でした。(2位は今月亡くなられた初代・若乃花)
写真はその初代・梅ヶ谷藤太郎。身長176センチ、体重120キロの超豪横綱。それに比べて体格では上回る、今の力士たちは・・・。