昔の星取表を見ていると、勝ちの「○」や負けの「●」の記号に混じり、「×」や「△」という記号が多々見られます。
これらは、かつて相撲の勝負判定にあった「引き分け」と「預かり」です。
「引き分け」はその名の通り、引き分けた相撲で、略して「分け」。
相撲が長引き勝負がつかないまま、取組を中止された場合、この「引き分け」となりました。
今の規定では、水入り取り直しになるケースと考えられます。
実は現代でもこの「引き分け」は残っており、力士が負傷し取り直しが出来ない「痛み分け」の場合と二回水入りして2番後取り直しでも決着がつかない場合です。
昭和以降の星取表をざっと見た感じ、結構な数の引き分けがありますが、最後の引き分けは昭和49年9月場所の二子岳ー三重ノ海の一番だったようです。
次に「預かり」。もつれた相撲で行司軍配に物言いがつき、勝負判定がつきかねた時、協会や行司が「勝負を預かる」制度。
同じ預かりのでも3種類あり、
1つは双方が互角であった場合が「丸預かり」。星取表上では「△」印。
2つ目は、分が良い方と悪い方に分ける「隠れ星」。
星取表上では「△」印ですが裏では、分が良い方を「丸星」、悪い方を「半星」とし「負けなし」の扱いを受けました。丸星は給金が上り、半星は給金に変化無し。
星取表上では「△」印ですが裏では、分が良い方を「丸星」、悪い方を「半星」とし「負けなし」の扱いを受けました。丸星は給金が上り、半星は給金に変化無し。
3つ目が、その場の体裁や行司指し違いによる「土俵預かり」。
負けた力士(横綱など)に花を持たせる場合などに適用されました。ただし星取表では勝ち負けが記されました。
負けた力士(横綱など)に花を持たせる場合などに適用されました。ただし星取表では勝ち負けが記されました。
この預かりは現在では「同体、取り直し」なるケースです。
昔は強引な物言いがあり、明らかに勝った場合でも預かりになった例が多数ありました(特に江戸時代、お抱えの大名の顔を立てるため)。
両制度とも大正14年に廃止されましたが、昭和以降「預かり」も数回ありました。
一番最後と思われるのが、昭和26年9月場所の東富士ー吉葉山戦。この一番は、物言いの後、取り直し、水入り、取り直し、水入り、取り直しとなったものの、両者精根尽き果て「両力士取り疲れ、引き分け、勝負預かり」となったようです。
またこれらの他に江戸時代には「無勝負」というのもありました。
同体になった相撲で軍配を上げようがない場合、行司が「勝負なし」として頭上で軍配を左右に振った判定。現在、行司は必ずどちらかに軍配を上げなければいけないと定められています。
と、上記の様な基準は一応ありましたが、今では考えられないような事情が昔はあり、全部が全部当てはまっていたのではないと思われます。
これらの事情を円満に解決する様に、このような制度があったと考えられますね。
写真は昭和30年9月場所11日目の若ノ花ー千代の山戦。3度の水入りの末、合計17分15秒の死闘は決着つかず、引き分けとなった。