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第十九章 還淳(淳朴に還る)
聖を絶ち智を棄つれば、民の利 百倍 なり。
仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈に復す。
巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ること無し。
此の三者は以為(おも)えらく文足らずと。
故に属する 所 有らしむ。
素を見わし朴を抱き、
私 を少なくして欲を寡(すく)なからしむ。
世の中の人間は、皆苦労の種をもっている。苦を知らない人間というものはないといっても過言ではない。
それならば、どういう風にすれば、人間は苦から脱することができるかというと、それは、世の中から、聖とか、知とかいうもの、或は、仁であるとか、義であるとかいうこと、或は、功とか、利とかいうものを無くすることである。
もし、聖知とか、功利に勝れた人が世に尊重せられ、幅をきかすというようなことがないとすれば、民衆は、できないことをしなければならぬとか、できないものを作らなければならないという競争心に駆られることがなくなり、自分の力に合った生活に、満足して暮らすことができるようになるのである。
仁とか、義とかいうことを、人が気にかけないような世の中になれば、功名心に駆られることがなくなり、競争心のために、心身を疲労させられることがなくなり、父母にはよく仕え、子孫は愛情をもって育てるという、昔の、孝慈の風習に復ることができるのである。
巧みであるとか、有利であるとかいうことに、人が関心を持たない世の中になれば、人が羨むような品物とか、道具とかいうものはつくる者がなくなり、欲望をかきたてられて盗みを働くというようなものは生じないようになるのである。
聖知、仁義、功利は、競争心の対象とならないように、すなわち、目立たないようにするのである。