大島
瀬戸内芸術祭は、今日が最終日。
かなり迷いましたが、この日は大島を目指すことになりました。
こういう機会がないと、おそらく行かない島だろうと思ったからです。
また、高松から大島までの船賃が芸術祭のパスポートを持っていれば、ただというのも魅力でした。
ビルの建ち並ぶ高松港を後にします。
灯台が見えてきました。いよいよ大島上陸です。
ここには、ハンセン氏病の国立療養所「大島青松園」があります。
今もここを生活の場としている方がいらっしゃるので、まず、ボランティアの方の説明を聞きながら島内を歩きます。
島内には、音楽が流れています。道路には柵と白線が引いてあります。
目の見えない方や弱視の方のためのものだそうです。
音楽は、エリアにより曲が違い、それによって今どこに自分がいるのか分かるようになっているらしいのです。
ここで亡くなった方々の納骨堂や供養塔にお参りし、さらに島内を案内してもらいます。
コンクリートの台のようなものが置かれていました。
解剖台だそうです。かつてここの入所者の方は、半ば強制的に解剖同意書を書かされたのだそうです。
浜辺に捨てられていたものをここに置いているのだそうです。
元患者さんの中には、解剖の手伝いをしたことがある、という証言をされるかたもあるのだそうです。
いろいろなお話をボランティアの方から伺っていくうちに、これは隔離というよりも強制収容じゃないかと思いました。
人は、しばしば都合の悪いことを覆い隠すために、言葉の置き換えをします。
しかし、それを突き破っていくのも、あらわにするのも言葉だということです。
変型を双手に遺し病癒ゆ何かを握り緊むるかたちに
足枷の「らい予防法」をそのままに滅びては惨めすぎはしないか
これらの歌を詠まれたのは、政石 蒙さんです。
モンゴルに抑留され、帰国後は大島青松園で暮らされた歌人です。
すでになくなられましたが、彼の短歌や遺品などや、彼の関わりのある土地での短歌の朗読、
その映像作品が展示されています。
その制作者が山川冬樹さん、のぼりの横に立っている男性です。
他にも作品はあったのですが、思わぬ作品と出会い、いろいろな刺激を受けた旅となりました。
高松港周辺の作品をいくつか見て、帰路につきました。
瀬戸内芸術祭は、今日が最終日。
かなり迷いましたが、この日は大島を目指すことになりました。
こういう機会がないと、おそらく行かない島だろうと思ったからです。
また、高松から大島までの船賃が芸術祭のパスポートを持っていれば、ただというのも魅力でした。
ビルの建ち並ぶ高松港を後にします。
灯台が見えてきました。いよいよ大島上陸です。
ここには、ハンセン氏病の国立療養所「大島青松園」があります。
今もここを生活の場としている方がいらっしゃるので、まず、ボランティアの方の説明を聞きながら島内を歩きます。
島内には、音楽が流れています。道路には柵と白線が引いてあります。
目の見えない方や弱視の方のためのものだそうです。
音楽は、エリアにより曲が違い、それによって今どこに自分がいるのか分かるようになっているらしいのです。
ここで亡くなった方々の納骨堂や供養塔にお参りし、さらに島内を案内してもらいます。
コンクリートの台のようなものが置かれていました。
解剖台だそうです。かつてここの入所者の方は、半ば強制的に解剖同意書を書かされたのだそうです。
浜辺に捨てられていたものをここに置いているのだそうです。
元患者さんの中には、解剖の手伝いをしたことがある、という証言をされるかたもあるのだそうです。
いろいろなお話をボランティアの方から伺っていくうちに、これは隔離というよりも強制収容じゃないかと思いました。
人は、しばしば都合の悪いことを覆い隠すために、言葉の置き換えをします。
しかし、それを突き破っていくのも、あらわにするのも言葉だということです。
変型を双手に遺し病癒ゆ何かを握り緊むるかたちに
足枷の「らい予防法」をそのままに滅びては惨めすぎはしないか
これらの歌を詠まれたのは、政石 蒙さんです。
モンゴルに抑留され、帰国後は大島青松園で暮らされた歌人です。
すでになくなられましたが、彼の短歌や遺品などや、彼の関わりのある土地での短歌の朗読、
その映像作品が展示されています。
その制作者が山川冬樹さん、のぼりの横に立っている男性です。
他にも作品はあったのですが、思わぬ作品と出会い、いろいろな刺激を受けた旅となりました。
高松港周辺の作品をいくつか見て、帰路につきました。