よしなしごと

日々のあれこれを綴ります。

しましましまめぐり 6

2016-11-20 10:52:07 | 旅行
大島

瀬戸内芸術祭は、今日が最終日。
かなり迷いましたが、この日は大島を目指すことになりました。
こういう機会がないと、おそらく行かない島だろうと思ったからです。
また、高松から大島までの船賃が芸術祭のパスポートを持っていれば、ただというのも魅力でした。





ビルの建ち並ぶ高松港を後にします。
灯台が見えてきました。いよいよ大島上陸です。



ここには、ハンセン氏病の国立療養所「大島青松園」があります。
今もここを生活の場としている方がいらっしゃるので、まず、ボランティアの方の説明を聞きながら島内を歩きます。





島内には、音楽が流れています。道路には柵と白線が引いてあります。
目の見えない方や弱視の方のためのものだそうです。
音楽は、エリアにより曲が違い、それによって今どこに自分がいるのか分かるようになっているらしいのです。
ここで亡くなった方々の納骨堂や供養塔にお参りし、さらに島内を案内してもらいます。



コンクリートの台のようなものが置かれていました。
解剖台だそうです。かつてここの入所者の方は、半ば強制的に解剖同意書を書かされたのだそうです。
浜辺に捨てられていたものをここに置いているのだそうです。
元患者さんの中には、解剖の手伝いをしたことがある、という証言をされるかたもあるのだそうです。
いろいろなお話をボランティアの方から伺っていくうちに、これは隔離というよりも強制収容じゃないかと思いました。
人は、しばしば都合の悪いことを覆い隠すために、言葉の置き換えをします。
しかし、それを突き破っていくのも、あらわにするのも言葉だということです。

変型を双手に遺し病癒ゆ何かを握り緊むるかたちに

足枷の「らい予防法」をそのままに滅びては惨めすぎはしないか

これらの歌を詠まれたのは、政石 蒙さんです。
モンゴルに抑留され、帰国後は大島青松園で暮らされた歌人です。
すでになくなられましたが、彼の短歌や遺品などや、彼の関わりのある土地での短歌の朗読、
その映像作品が展示されています。
その制作者が山川冬樹さん、のぼりの横に立っている男性です。





他にも作品はあったのですが、思わぬ作品と出会い、いろいろな刺激を受けた旅となりました。
高松港周辺の作品をいくつか見て、帰路につきました。





しましましまめぐり 5

2016-11-19 13:23:39 | 旅行
沸騰 伊吹島

この島は、今までの島となんとなく雰囲気が違うと思っていました。
見送りの場面からして、気合いが入っています。
もちろんどの港でも、芸術祭の旗や手を振って見送ってくださいましたが、ここは段幕付きです。



海を見ながら島を目指します。



ついた港には、歓迎の段幕がありました。なんとなく活気があります。



イリコで有名な島なので、港ではイリコを売っています。
やはり坂が多い島ですが、島の皆さんは原付バイクで坂を駆け上がっています。
老いも若きもです。そのせいか、港の周辺は、とても賑やかです。

そんな伊吹島でも、子供達の数は減っているようで、廃校になった学校の校庭にはおしゃれなトイレができています。
これも作品の一つです。少し迷路のようになっていますが、ちゃんとしたトイレです。



その廃校の中には、作品があります。
圧巻は、子供達や島の人たちが作成した浮きを使ったものです。



階段や廊下、教室とカラフルなスイミーのようです。

こちらは、いりこ庵といって、これも作品の一つですが、ここで休憩ができます。
お弁当をここで食べました。



島の名産いわしの天ぷらとか入っています。500円也。



こんな絶景を見ながら歩いていると、島猫たちがたくさん集まっているところに出くわしました。







この猫の後ろの自販機は、こんな風です。



商品は、在りません。現代アート風に言うならば、
存在の不在、といったところでしょうか。笑

この島は、イリコづくしでした。この大きなパラボラは、イリコを干すときの枠を使ったもの。
真ん中に登れるようになっていて、顔が出せます。



この島は、お別れも賑やかでした。



鉦や太鼓を演奏しているのは、切腹ピストルズというパフォーマンス集団です。
船を仕立ててあちらの島こちらの島と神出鬼没で、パフォーマンスをしているそうです。



大漁旗も振られていました。
熱烈歓迎の伊吹島でした。


しましましまめぐり 4

2016-11-16 22:38:01 | 旅行
 粟島

粟島にやってきました。ここには、昭和62年まで海員学校があったそうです。



その建物が博物館として利用されています。当時の写真や資料、碇などが展示されています。
そして、日比野克彦さんがディレクターをつとめるSOKO LABOの展示もありました。



矢印に沿って歩いていると、おっ島猫です。ニャーンと鳴いてすりすりしてくれます。
なかなかフレンドリーです。黒猫ってフレンドリーなんでしょうか。



こちらは、飼い猫。家の前で、道行く人を観察しています。



日々の笑学校にやってきました。若いアーティスト達の作品がありました。




ガラスの作品



染物屋さんです。



次は、今回一番印象に残った作品です。

漂流郵便局

粟島まで来て良かったと思った作品でした。



漂流郵便局には、受取手のないはがきが各地から流れ着いてきます。
なくなった方への手紙、別れてしまった恋人、未来の自分へ宛てたもの、そして人ではない受取手宛のもの。
たどり着いはがきは、ここで預かってくれます。ここを訪れた人は、それを読むことができます。
そして、自分に宛てたものだと思ったはがきは、持って帰ることができます。

漂流郵便局は、かつて本当の郵便局だった建物を利用して作られています。
このアートというか、素敵な参加型プロジェクトは、現代美術家久保田沙耶さんの制作によるものです。
局長さんは、かつてここの郵便局の局長さんだった方です。
詳しくは、HPをご覧ください。

http://missing-post-office.com/about/


局員は、この二名。ロンドン支局も今年は、開局していたそうです。



はがきを預かってくれる私書箱です。
思わず、読みふけってしまいました。

帰りは、須田という港まで行きます。思わぬ出会いがあった島でした。




しましましまめぐり 3

2016-11-16 13:00:49 | 旅行
  高見島

高見島にやってきました。



ぷかぷか浮かんでいる漁船がお出迎え。
載っているのは、たこつぼです。これも作品の一つ。



おや、島猫さんです。なんだかやせています。島暮らしは、厳しいのでしょうか。



島猫さんには申し訳ないけど、おなかがすいてきたので、お昼ご飯です。
島には、食堂が少ないと聞いていたのですが、島のおばさんやおじさん達の臨時のご飯屋さんが営業していました。
そんな一軒でお昼ご飯です。



たこ飯、500円なり。

この島での一番印象に残ったのは、この作品です。
やはり、古民家に入っていきます。中はほぼ真っ暗です。
そして、目の前に現れたのは、こちらです。



壁からたくさんのアクリル板が突き出ていて、きれいです。私の腕が良くないのでなかなかうまく撮影できません。
外から見ると、こんな風になっています。



入るときは、気がつかなかったけれど、外側からアクリル板を差し込んであるんですね。

高見島は、急峻な坂と階段の島でした。
膝がガクガクになりながら、上へ上へと登っていきます。
廃校になった学校の校庭に、なにやら布の大きな絵が見えます。



高見島出身の咸臨丸の水夫さんたちです。
さらに登っていくと、立派な石垣と大きなお屋敷が見えてきました。



ありどころか、カッターの刃も入らないような精巧な作りです。
そこは、カフェになっていました。おしゃれなイタリアンが食せます。



そこからの眺め ♪



絶景です。
この家は、この島出身でアメリカで成功を収めた方が帰島し建てたものだそうです。
二階にその方の所持品などがアート作品と一体化し、展示されています。
細かいレースのように見えるのは、塩です。湿気が大敵だそうで、除湿器がフル稼働中でした。



さらに上を目指します。
この島は、ジョチュウギクの栽培が盛んだったそうですが、それにちなんだ作品。
巨大な渦巻きです。



さて、登ったら降りなければいけないわけで、足も疲れたので次に渡らずに、帰りたくなりました。
が、なんとか元気をだして次の粟島に向かいます。





しましましまめぐり 2

2016-11-13 16:08:31 | 旅行

本島

この日は、倉敷市児島から本島そして高見島さらに粟島へ渡るという、豪華三島だてです。(笑)
本島へ渡る楽しみの一つは、いつも車で渡っている瀬戸大橋を下からくぐることができるということです。
おっ、近づいてきました。船の窓越しなので、窓の汚れや水滴も映っています。



いよいよくぐります。



あっという間の出来事ですが、感慨深いものがありました。
上陸すると、港から瀬戸大橋がよく見えました。素敵な風景です。



そらあみ

春会期に沙弥島などで作られた漁網と連結した作品だそうです。



シーボルトガーデン

シーボルトは、瀬戸内の魅力をいち早く西洋に伝えた人だそうです。
一見野草園のような感じです。



咸臨の家

なぜ咸臨の家かというと、咸臨丸の水夫だった横井松太郎さんの生家がアートの作品になっているからです。
今まで全く知らなかったのですが、咸臨丸には瀬戸内の塩飽諸島出身の水夫さんが35人いたそうです。
操船技術の高さなどが、幕末のころにも知れ渡っていたのでしょうか。
そんな彼らにとっても太平洋は未知の海だったはず、大変な航海だったことでしょう。
水夫さんの家は、太平洋の荒波とも瀬戸内の複雑な潮流とも無縁な、静かな鏡面のような水が張られた作品でした。



この日、本島で一番印象に残ったのは、由緒ある神社の奥まったところにあった狛ちゃんでした。



狛犬は、大変恐ろしいお顔をしたものから、のんびり癒やし系のお顔まで様々です。
この狛犬は、なんとなくゆるーい感じがしました。
アートが狛犬語りになってしまいました。
おっ、船の時間です。高見島まで、1000円なり。