11.後三年役
叔父と甥の関係にある吉彦秀武と清原真衡の内紛は,思わぬ広がりを見せる。
秀武の態度に怒った真衡は兵を起こし出羽を攻めんとするが,秀武は清衡・真衡兄弟に使者を送り,真衡の背後を襲うよう指示する。
すぐに清衡たちが呼応したところをみると,やはりこの兄弟たちにはお互いを快く思わぬ溝が存在したと云うことだろう。
清衡・家衡たちは,南下し真衡が居たと思われる白鳥村を焼く。
この時期の清衡が住んでいたのは,おそらく父経清も住んだと思われる豊田舘(奥州市江刺区)と思われるが,白鳥柵のある白鳥村(奥州市前沢区)は,南に20km程の地点だろうか・・・。
しかし,このことを察知した真衡は出羽への途次,突然引き返す。
おそらく須川温泉から小安温泉へと抜ける栗駒山越えの予定だったと思われるが,それを知った清衡・家衡は軍を返した。
そうしているうちに大異変が出来する。
何と,源氏の長となった源義家が陸奥守に就任。
偶然にしてはできすぎている-というか,義家が書いたシナリオに沿って話が動いているような気がする。
それに,義家は真衡の後継となった海道小太郎成衡の義兄なのである。
陸奥守補任を狙って,前もって布石を打っておくことは,義家にとって造作のないことに違いない。
これを知った真衡は,もはや合戦どころではない。
出羽を打ち捨てるようにして国府多賀城へ赴き,三日三晩にわたって義家を接待した。
これを三日厨というらしい。
義家というバックボーンを得た真衡は,勇躍出羽へ向かう。
その隙を,再び清衡と家衡が突くが,今度は義家の手勢が真衡に味方したため,清衡等は窮地に陥る。
しかし,ここでまたいへんが起こる。
出羽へ出兵中の真衡が,俄に病を得て卒去したというのだ。
あまりに出来すぎていると思うのは,私だけではあるまい。
この事件をきっかけに,後三年の役は後半戦へ向かう。
清衡・家衡兄弟はどうなるのだろう。
そして,再び奥州に介入した源氏の思惑は・・・。
次回,急展開とともに,一気に終わりまで行くことが出来るだろうか・・・。伝豊田舘跡
(続く)
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