職人の言葉には、はっとさせられるものが多いが、自分的にうならされたのは表題のコレ。
腕が良ければ、何にもしなくとも客が寄ってきて仕事に空きがない。看板を出さなきゃあ客が来ないような腕じゃない、との主張。すごい自負。
「営業」の存在をはなから拒絶したようないさぎよさ。職人(ないし職人気質の工務店)にしろ、設計事務所にしろ、この域に到達したら何も怖くないだろう。
さすがに現代の職人からこの言葉はなかなか出てこないだろうが、腕一本で仕事をするプロの多くは最終的にそうなりたいと思っているのではないだろうか。
そのせいか、宣伝は控えめだし、総じて宣伝手法もうまくない。
施主側としては、その情報量の少なさが障害となる。だけど、口コミでしか知られないような隠れた飲食店を探すことに喜びを見出すことができる人間ならば、「家」を対象にそれをできなくはないと思う。別に積極的に宣伝している中から選ばなければならないということはないはずだ。
さいわいにして最近は、隠れた名店を紹介してくれるグルメがいるように、建築家のガイドをしてくれる機関もある。私も結果的にそういう機関の力を借りている。ここにちょくちょく顔を出してくれる建築プロデューサーの朝妻さんもきっと名ガイドだと思う。
「看板のない店」「小さな看板の店」。それが名店だったならば、めぐり合えたことに感謝できるだろう。
もちろん名店を探すのは努力も必要だし、運もある。「はずれ」のリスクは否定しないが、そもそも宣伝が下手で腕もなければ店はもたない。それなりの年数にわたって事業を続けているのならば、なんらかの「強み」があるのはまちがいなく、その「強み」と自分の重要視する部分が合うかどうかを吟味すれば「はずれ」は回避できるだろう。
腕が良ければ、何にもしなくとも客が寄ってきて仕事に空きがない。看板を出さなきゃあ客が来ないような腕じゃない、との主張。すごい自負。
「営業」の存在をはなから拒絶したようないさぎよさ。職人(ないし職人気質の工務店)にしろ、設計事務所にしろ、この域に到達したら何も怖くないだろう。
さすがに現代の職人からこの言葉はなかなか出てこないだろうが、腕一本で仕事をするプロの多くは最終的にそうなりたいと思っているのではないだろうか。
そのせいか、宣伝は控えめだし、総じて宣伝手法もうまくない。
施主側としては、その情報量の少なさが障害となる。だけど、口コミでしか知られないような隠れた飲食店を探すことに喜びを見出すことができる人間ならば、「家」を対象にそれをできなくはないと思う。別に積極的に宣伝している中から選ばなければならないということはないはずだ。
さいわいにして最近は、隠れた名店を紹介してくれるグルメがいるように、建築家のガイドをしてくれる機関もある。私も結果的にそういう機関の力を借りている。ここにちょくちょく顔を出してくれる建築プロデューサーの朝妻さんもきっと名ガイドだと思う。
「看板のない店」「小さな看板の店」。それが名店だったならば、めぐり合えたことに感謝できるだろう。
もちろん名店を探すのは努力も必要だし、運もある。「はずれ」のリスクは否定しないが、そもそも宣伝が下手で腕もなければ店はもたない。それなりの年数にわたって事業を続けているのならば、なんらかの「強み」があるのはまちがいなく、その「強み」と自分の重要視する部分が合うかどうかを吟味すれば「はずれ」は回避できるだろう。