今回私達夫婦は建物の登記にあたって、父から古屋部分を贈与してもらう格好にした。古屋は公的には資産としての価値はほとんど無いと判断され、行政書士によるとその税金は微々たるものになる。
だけど実際には築60年近い我が古屋は古くなっていたからこそ価値のある(と思っている)建物なので、非常にラッキーな気分なのである。
公的にはタダのような価値、しかし実際住んでいる人にとっては高い価値という場合、そのギャップが大きいほど相続・譲渡の面で有利だ。
骨董品はすごい評価になって高い相続税がかかることもあるが、家は事実上「骨董品」になっても相続時に骨董品扱いとはならない。
日本の家の短い寿命(平均30年程度)に対する反省が生まれている中、これを有効に使わない手はないと思う。
世間には「骨董品」に住むのはものずき者だけなどと揶揄する向きもある。我が家は事実ものずきなのかもしれないが、これからの住まいのことを考えたら揶揄してばかりでいいのかといいたくなる。
現在の日本の施工技術で建てる家は(ちゃんと作れば)30年しか持たない家ではない。30年という年月を経過したとき、表面的に劣化・陳腐化していると、構造的にはまだ使えるのに壊したくなってくるだろうが、劣化ではなく骨董的な味わいが出ていれば愛着を持って家を持続できる。そんなことで我が家の場合は無垢材にこだわった。
メーカー・ビルダー側が古い家を「骨董品」と揶揄しているとしたら、商売上の考えから短いサイクルで建て替えさせたいのだな、とかんぐりたくなる。それとも、どこかがはじめた「新築そっくりさん」のような全面リフォームをさせようとしているのだろうかと思う。
私達夫婦が建てた新居も、子供に相続する時、公的な資産価値がタダ同然になっていて、それでもまだまだ使えるような家であってほしい。さらに子供が孫世代に相続する時に、骨董的な風格が価値を生んでいて、それでもまだ使えるとなれば、お得感はなお膨らむ。
その間いくらかリフォームはするだろうが、家を新築しなくてすめば他の資産を膨らませることもできるだろう。
だけど実際には築60年近い我が古屋は古くなっていたからこそ価値のある(と思っている)建物なので、非常にラッキーな気分なのである。
公的にはタダのような価値、しかし実際住んでいる人にとっては高い価値という場合、そのギャップが大きいほど相続・譲渡の面で有利だ。
骨董品はすごい評価になって高い相続税がかかることもあるが、家は事実上「骨董品」になっても相続時に骨董品扱いとはならない。
日本の家の短い寿命(平均30年程度)に対する反省が生まれている中、これを有効に使わない手はないと思う。
世間には「骨董品」に住むのはものずき者だけなどと揶揄する向きもある。我が家は事実ものずきなのかもしれないが、これからの住まいのことを考えたら揶揄してばかりでいいのかといいたくなる。
現在の日本の施工技術で建てる家は(ちゃんと作れば)30年しか持たない家ではない。30年という年月を経過したとき、表面的に劣化・陳腐化していると、構造的にはまだ使えるのに壊したくなってくるだろうが、劣化ではなく骨董的な味わいが出ていれば愛着を持って家を持続できる。そんなことで我が家の場合は無垢材にこだわった。
メーカー・ビルダー側が古い家を「骨董品」と揶揄しているとしたら、商売上の考えから短いサイクルで建て替えさせたいのだな、とかんぐりたくなる。それとも、どこかがはじめた「新築そっくりさん」のような全面リフォームをさせようとしているのだろうかと思う。
私達夫婦が建てた新居も、子供に相続する時、公的な資産価値がタダ同然になっていて、それでもまだまだ使えるような家であってほしい。さらに子供が孫世代に相続する時に、骨董的な風格が価値を生んでいて、それでもまだ使えるとなれば、お得感はなお膨らむ。
その間いくらかリフォームはするだろうが、家を新築しなくてすめば他の資産を膨らませることもできるだろう。
なんか、悲しくなりますねぇ。
ヨーロッパじゃ家の古さを誇りにしてますもんね。もちろんアメリカはかないっこないのですが、それでも友人は1890年に建てられた家を直して直して住んでます。元の家の素材、ディテイルを残してあってとてもうらやましいといつも思ってます。
うちの家が新築になったのは、そういう直してでも住みたいという家に出会えなかったからです。アメリカでも戦後すぐ50年代とかに建てられた家は結構ただ汚くなってしまったという家が多いみたいです。
日本の家の寿命が短い理由はいろいろあるようです。
日本には世界最古の木造建造物もあるくらいですから、30年たったら壊さざるをえないほどチンケな家しか建てられないのではありません。
「日本においては、近年生活様式が驚くほど変わってしまい、少し昔に建てられた家は今の生活様式にあわせにくくなっている」
という理由と
「日本人はメンテナンスが嫌いな人が多い。ノーメンテでほうっておいて薄汚くなったと感じて建て直してしまう」
という理由あたりが絡み合って住宅の寿命を短くしている感じがしております。
私なんぞは、今の生活様式とやらが、昔の生活様式の利点も深く考えずにあまりにも簡単に切り捨てて成り立ってきているように感じておりますし、メンテナンスを怠けてモノの寿命を延ばせるわけがない、とも思っております。
いい家を建てたいと志向して建てていながら、30年経って(まだ使えるのに)壊すのなら、それは本当にいい家なのか、と考えます。
そして、住宅が1世代分しか寿命が持たず、世代ごとにそれぞれの住宅ローンを抱えるばかばかしい循環はどこかで断ち切りたいと思うのです。
ヨーロッパの歴史のある国で、家の古さを誇りにしているのはすばらしい文化だと思います。
私の家では建て替え時に、築38年部分を壊し、築60年弱部分を残しました。それは、後者の方が古さを誇りにできそうだったのに対し、前者は古さによる風格が現れそうにない建物だったせいです。
この選択をするときに、しっかり建てるということを考えさせられました。
>「日本においては、近年生活様式が驚くほど変わってしまい、少し昔に建てられた家は今の生活様式にあわせにくくなっている」
どなたかが(失念しました)ある本で日本人は戦後の高度成長期に西洋化を焦ったために、日本の風土にあった、必要な残すべき文化や生活様式を考えることなく、切り捨ててしまった感がある、とおっしゃっていました。その通りだと思います。残念なことですが、garaikaさんのような方がいらっしゃるので、まだまだ捨てたもんじゃないと感じております。
しかし、日本からは見えないかもしれませんが、もちろんアメリカもヨーロッパの真似文化の国ですので、おなじようなお話もいっぱいあります。ま、森の中に畳の部屋をひとつでいいからつくりたい、なんて思ってる私もその真似し文化をつくってる一人なのかもしれませんが…。