この前の日曜日に我が家恒例の餅つき(関連エントリ→LINK)を執り行った。
ついたのは7臼。そのうちの1臼をおそなえ用とした。
できあがった鏡餅は見たとおり豪華さも洒落っ気もない素朴で武骨なものではあるが、我が家では自前で用意するということ自体に意義があると思っている。
鏡餅とは神様と人間を仲介するものだという。自分達が魂を込めて作っているのだから神様への訴求力はそれだけ強いはず、という理屈である。
昔は自家製の鏡餅を用意する家は多かったが今はそういう家は数少ない。ということは需給原則からいって神様のご利益(ごりやく)が集中しやすいのでないか、というような貧乏性的計算もあったりする…。
鏡餅・・このように作りたいですね。神に供えるものですから・・・心がこもってないと・・・・。
わが家でも数年前までは、石臼と杵でペッタンペッタン・・・と、搗いていましたが・・・体力的に無理で・・・諦めました。
今年も、いろいろ有り難うございました。
新年度も宜しくお願い致します。
我が家は元気すぎる父がいるおかげで餅つきはやり続けています。
父がいなければおそらく半分くらいしかつけないと思います。最近の若い者(?)はなさけないですね。
せめて息子がいっちょまえにつけるようになるまで餅つきを続ける所存です。
よいお年をお迎えください。