あなたが考えるボランティアの姿って、どんなですか?
これから私が書くのは、いちボランティアの本音です。
これは、現在ボランティアしている人にも、それ以外の普通の人にも、
読んで欲しい事です。、
これを読んで、思う事、考える事、感じる事があればと思います。
私は現在、自分の住む町の地域猫活動を、有志の人たちとしています。
これは、全くの個人活動です。
そして、「えひめイヌ・ネコの会」でボランティアもしてます。
さらに複数の動物愛護・自然保護団体の会員になってます。
でも、完全に各団体の考えに、賛同しているわけではないんですよね~
しかし、応援しちゃいます。なんでかっていうと、
色んな考え、やり方の違う団体や個人活動がありますが、
どんな団体も個人も、最小公約数の所では、気持ちは一緒
「動物と人がより良く共存していけるようにしたい」だと思う・・・
でも、命の問題だし、人との生活と切って切り離せないから 、
いろんな考えがあって当たり前、最大公約数ではまとまらない 。
ある問題を考えるとき、100人いたら、
100人全員が満足する結論なんて、出ないと思うから。
それは、人間だから。
私がボランティアしていて、気づいたのは、
動物愛護は、つまるところ「人対動物」じゃなくて「人対人」です
動物病院の看護士をしていた友人とも話したけど、
動物を助けたいと思ったら、
まず飼い主なり(捨てる人や里親さん)「人」と話すんですよ
人とのやり取りで苦労する 。
こっちの熱意が伝わるように、でも相手の目線で・・・う~難しい
上手く気持ちが伝わらず、思わぬ罵声を浴びたりすることもあります。
正直へこむ。かなりへこみます
メールの世界でも、今は特に激しいんじゃないかな?
メールや電話は、相手が見えない分、 自分が思うより強く出てしまいがち
動物が好きでボラ始めたけど、そういう人とのやり取りに
打ちのめされてしまって、人が信じられなくなって
ボラをやめた方、結構います 。
ボランティアする人はすばらしい!自分を捨てて活動する!
明るくて、人に優しい素晴らしい人って、結構多くの人思ってますね~
ボランティアなんだから、動物救って当たり前!
ボランティアなんだから、いつでもどこでも、駆けつけてきて当たり前!
ボランティアなんだから、市民の言う事聞かないのはおかしい!
そろそろ、そういう考え方を捨ててほしいんです。
スーパーマンじゃないから
ケネディの言葉
「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるか、問いかけてください。」
私はこの言葉を、動物を救いたいと思う人に投げかけたい。
もう、ホントのボランティアたちは、いっぱいいっぱいです。
みんな家庭や仕事を持ちながら、ホントに時間をやりくりして、
自分の個人的なことは、後回しにして、出来る限りのことをしています。
団体のスタッフやボランティアもそうです。
大きい団体ほど、外からの要求はきりがない。
「団体」というと、きっと皆さんのイメージは、
50人、100人も会員がいる団体なら、
それがみんな全員、保護活動のエキスパートで、
何か依頼したら、その人たちがどっと来て、すぐに解決してくれる。
そんなイメージじゃないですか?違いますか?
大なり、小なり、実際に動くのは、内部の中の一部のスタッフです。
会員て、誰でもなれるんです。
私も寄付のつもりで、複数の団体の会員になってます。
でも、その多くの団体の活動のお手伝いは、してません。
ただの会員なんです。
どこの会でも、ほとんどがそういう会員で成り立っていて、
実際に動けるボランティアスタッフは
数えるくらいなんじゃないでしょうか?
その限られたボランティアたちが、膨大な保護や事務作業を
個人個人分担して、できる範囲でやっているんだと思います。
要するに、団体であっても、処理能力をはるかに超える問題を抱えていて、
全ての人の希望は満たせないんです。
だから、個人で構いません、失敗してなんぼです。
動物を救いたい人は、まず、自分が行動して欲しいんです。
人に頼らずに、やってみて欲しいんです。
どこかの個人活動家や、愛護団体にお願いするだけじゃなく、
多くの人がしなかったら、本当の意味で動物愛護の輪は広がらないし、
動物愛護って、どういうことなのか、やらなければわからないからです。
そして、もうひとつ、
ボランティアは個人も、団体も、「会社」じゃないんですね
会社みたいに、愛護活動家になる為の研修~なんてものは無い
活動してても、してなくても、 知識があっても、なくっても
愛護の理想があっても、なくても同じ会員、ボランティア。
どういうことかというと、こうあるべきと理想はあっても、
個人なり団体なりの中で、 人によって情熱の差や性格、知識の差なんかがあって、
仕方なく活動に差がでます。
仮に、私はスーパーや街頭でビラ配ったりできるけど(職業柄)
内気な人はできません。
ある人が、「あんなに立派なパンフレットがあるのに、配らないなんて、
愛護団体のくせに・・・」と書いていました。
私だって、配って欲しいです。できるなら。
また、動物は好きだけど、人が苦手な人もいます。 子供が嫌いな人もいます。
一般の人には、ボランティア歴が「1日」だろうと「10年」でも、
活動の場所、里親探し会やイベント会場にいれば、
そこにいるみんなが、愛護活動のエキスパートに見えます。
その団体の「顔」と、受け止められるんです。
だから、愛想よくして欲しいけど、出来ない人はいます。
電話やメール対応や事務はやりたくない
って方、中堅のボラさんでも多いです。
前に書いたような理由で、耐えられなくなる方が多いんです。
でも、そういうことを引き受ける方が必要です。
「子犬や猫ならいいけど、野犬や野良猫保護はイヤ、怖いから 。」
という人もいます。
私も多頭飼育の崩壊現場で作業中、犬に咬まれたからね~
怖いのはわかります。
もし会社なら、接客しない社員、接客が下手な社員を怒れるし、強く指導できるけど 、
でも、団体はボランティアに、こうしろ
と強制はできないんです。
地域猫の活動でも、同じ仲間同士であっても、
人によっては、お願いしずらい事とかがあります。
ボラ心がある人を、人との対応がうまくないとか
やって欲しい活動に参加しない、できないからって怒れないんです
出来るだけ頑張ってほしいけど ・・・
でも、出来ないなりに、がんばってる人もいっぱいいます。
周りが理想とするボランティア像とは、違うかもしれない。
でも、頑張ってる人は、私は良いと思う。頑張らない自称ボラもいるから
ボラさんに、やんわりこうして欲しい、こうあって欲しいとお願いするけど、
うまくいったり、うまくいかなかったり
とかいう私も、活動は中堅だけど、 ただの「いちボランティア」に過ぎません。
愛護活動に関する理想も、人が言って育つものではありません。
志の低い人は、どんなに周りが言っても変わらないんです。
会社じゃないから、
ボランティア、一人ひとりの良識や意識に任されている・・・
でも、そういって、のんきに構えてると、活動が停滞してしまうんですよね
結局、ほっとけない一部の人が抱えて、いっぱいいっぱいになってしまう。
各ボランティアさんの意識を高め、さらにボランティアに参加しやすい環境を作りたいと思って、
なんとか頑張る先輩ボランティアさんたち。
円滑に活動できるようにする事で、周りからの愛護活動への理解も深まっていく。
でも、そういう事を、一部の自称ボランティア、自称愛護活動家たちは理解しません。
愛護団体は自分に何をしてくれるか。何をくれるか。要求ばかり述べる人。
自分の意見が通らないと、悪口やデマを流す人。
どうしたら、この後捨て犬や捨て猫が減るんだろうと、考えない人。
愛護活動の理想も持たず、単なる自己満足のために、保護を繰り返すだけで
無条件にただ、犬猫を譲渡する人。
それは、私の中では、ボラではない。
無条件に、安易に犬や猫を譲渡する事は、その後の捨て犬・猫を増やす原因になりますが、
もっと怖いのは、里親詐欺・虐待目的の里親希望者に犬や猫を渡してしまう事になるんです
「動物のしあわせは人間しだい」と、
私の大好きなボランティアさんは言っていました。
動物を守るのも、不幸にするしないも、人間なんです。
それの分からない人に、自称でもボランティア・愛護活動家と名乗って欲しくない。
動物を救うために、まず、自称の人たちを何とかしないといけない・・・きついなぁ・・・
ボラの中でも「人対人」
地域猫でも、団体の中のボランティア活動でも、どうする事が動物のためになるのか?
どうしたら、ボランティアの意識を高められるのだろうか?
どうしたら、もっと沢山の人に、参加してもらえるんだろうか?
どうしたら、どうしたら・・・
どうしたらいいと思いますか?
偉そうな事を書いてますが、いつも悩んでばかりです。
ボランティアは聖人じゃないです。ただの人です
やって当然と思われることに、悩み傷ついたり、
こっちの方が助けて欲しい・・・と、思ってしまう事もあります。
スーパーマンでも、聖人でもないんです。
mixiの日記を一部訂正して使いました。
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