先日の万博・カメの子駅伝、私は83位でタスキを受け38位まで順位を上げたようです。なおタイムは16分12秒で区間27位(約140チーム参加)満足のゆく成績でした。
島根反靖連通信(第22号 2010/5/1)に以下の文が載っていました。もっともな内容で浄土真宗の中にこのような人たちがいることに力づけられます。
カルト国家時代と今
瞿曇(くどん)英哉
あの国は少し変わったのだろうか。あの核兵器を実践使用した犯罪歴を持つ世界でただ一つの国。いや、大量の化学兵器(枯葉剤)を人間に向けて実践使用した犯罪歴をもつ国といった方が分かりやすいかもしれない。大統領が変わっでも、相変わらず場所を変えて、彼らの大義を押し付けた戦争をし続けている。
この国も、一見変わったかに見えたが、六十数年培ってきた属国根性は、果たしてどうなのか。この国の人々が隣国を眺める目線は、どう考えても、あの国の目線そのものに思えてならない。
その隣国とは、この国が六十数年前カルト国家状態にあった時代に統治されていた国である。その隣国は、確かに、この国が統治していた頃と酷似する支配体制をとっているように見える。この国で、天皇と皇后の写真を各家庭に飾らせたその同じスタイルで、天皇、皇后が「将軍さま」と「その父」にすり変わった写真をいたるところに飾らせている。赤いスカーフを巻いた園児の言葉にいたっては驚愕する。「私たちの幼稚園は、将軍さまの恩賜によって建てて頂きました・・・・」と連呼する。
「恩賜?」どこかで聞いたことのある表現である。一糸乱れぬ軍事行進も、国民の将軍さまを讃仁するスタイルも、まるで現役の歴史博物館を見ているような気がしてしまう。
でもこの国の人々は、自分たちが置き忘れ教えてしてしまった結果かもしれないこの事に、決して思いを致そうとしない。六十数年前を遠眼鏡で見ているだけのことかもしれないのに、のんきに、まるで、あの国の人となり変たったように、あの国の目線で、その隣国を批評している。
この国の原始宗教によって培われた国民性であろうか、中東で脅威とされている自爆攻撃に対する見方白他人事である。世界中で誰も組織的に手を染めることのなかった人間爆弾に手を染めたのは、この国が最初である。しかし、滑稽にも、あの国と一緒になって「テロ撲滅」と騒いでいる。
「帳本人」「ルーツ」という言葉がピッタリくる罪びと達が、自分達の歴史を忘れ、あっけらかんと眉をひそめて隣国を眺め、また、あっけらかんと「自爆テロ」を批判する…。どう受け止めたらいいのか、誰か教えて欲しい。
拉致事件も、あの国の起こした悲惨な国家犯罪には違いないが、この国の人々の意識の上では、かつてののこの国の起こした強制連行という拉致事件に対しては目が行かない。エノラゲイに搭乗していたパイロットが広島を訪ねた際、被爆市民から謝ってくれと言われたが、彼は「私は謝らない」を繰り返したシーンがテレビ放映されていた。彼は言う。パールハーバーヘの予告なしの突然の攻撃で、私は大切な友人を失った・・・・と。
自らの被害は主張しても、相手の受けた被害には、全く目が行かない。一人一人の思いはわからぬでもないが、人間煩悩の原点をむき出しにした姿を日々目にするのはつらい。カルト国家時代と、現在がどれだけ違うのか・・・。
新国立墓苑構想が語られるが、この国がそういう施設を手にしたとき、どうなるのか創造するのも恐ろしい。かつて反靖国連帯会議で席を同じくした人間が、宗門の中である種の権力を手にし、それを推進しようとしていることを思うと断腸の思いがする。現実的対応とか、ベストよりベターなどと浮ついた言葉が飛び交う。絶望の対象は、決して遠くにいる人ばかりではないことが、身もだえするほどの焦燥感を煽り立てる。
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カルト国家時代と今
瞿曇(くどん)英哉
あの国は少し変わったのだろうか。あの核兵器を実践使用した犯罪歴を持つ世界でただ一つの国。いや、大量の化学兵器(枯葉剤)を人間に向けて実践使用した犯罪歴をもつ国といった方が分かりやすいかもしれない。大統領が変わっでも、相変わらず場所を変えて、彼らの大義を押し付けた戦争をし続けている。
この国も、一見変わったかに見えたが、六十数年培ってきた属国根性は、果たしてどうなのか。この国の人々が隣国を眺める目線は、どう考えても、あの国の目線そのものに思えてならない。
その隣国とは、この国が六十数年前カルト国家状態にあった時代に統治されていた国である。その隣国は、確かに、この国が統治していた頃と酷似する支配体制をとっているように見える。この国で、天皇と皇后の写真を各家庭に飾らせたその同じスタイルで、天皇、皇后が「将軍さま」と「その父」にすり変わった写真をいたるところに飾らせている。赤いスカーフを巻いた園児の言葉にいたっては驚愕する。「私たちの幼稚園は、将軍さまの恩賜によって建てて頂きました・・・・」と連呼する。
「恩賜?」どこかで聞いたことのある表現である。一糸乱れぬ軍事行進も、国民の将軍さまを讃仁するスタイルも、まるで現役の歴史博物館を見ているような気がしてしまう。
でもこの国の人々は、自分たちが置き忘れ教えてしてしまった結果かもしれないこの事に、決して思いを致そうとしない。六十数年前を遠眼鏡で見ているだけのことかもしれないのに、のんきに、まるで、あの国の人となり変たったように、あの国の目線で、その隣国を批評している。
この国の原始宗教によって培われた国民性であろうか、中東で脅威とされている自爆攻撃に対する見方白他人事である。世界中で誰も組織的に手を染めることのなかった人間爆弾に手を染めたのは、この国が最初である。しかし、滑稽にも、あの国と一緒になって「テロ撲滅」と騒いでいる。
「帳本人」「ルーツ」という言葉がピッタリくる罪びと達が、自分達の歴史を忘れ、あっけらかんと眉をひそめて隣国を眺め、また、あっけらかんと「自爆テロ」を批判する…。どう受け止めたらいいのか、誰か教えて欲しい。
拉致事件も、あの国の起こした悲惨な国家犯罪には違いないが、この国の人々の意識の上では、かつてののこの国の起こした強制連行という拉致事件に対しては目が行かない。エノラゲイに搭乗していたパイロットが広島を訪ねた際、被爆市民から謝ってくれと言われたが、彼は「私は謝らない」を繰り返したシーンがテレビ放映されていた。彼は言う。パールハーバーヘの予告なしの突然の攻撃で、私は大切な友人を失った・・・・と。
自らの被害は主張しても、相手の受けた被害には、全く目が行かない。一人一人の思いはわからぬでもないが、人間煩悩の原点をむき出しにした姿を日々目にするのはつらい。カルト国家時代と、現在がどれだけ違うのか・・・。
新国立墓苑構想が語られるが、この国がそういう施設を手にしたとき、どうなるのか創造するのも恐ろしい。かつて反靖国連帯会議で席を同じくした人間が、宗門の中である種の権力を手にし、それを推進しようとしていることを思うと断腸の思いがする。現実的対応とか、ベストよりベターなどと浮ついた言葉が飛び交う。絶望の対象は、決して遠くにいる人ばかりではないことが、身もだえするほどの焦燥感を煽り立てる。
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