お久しぶりです。
神経症という人生に大きく立ちはだかる壁を乗り越えられない人と乗り越えていく人の違いはどこにあるのか、ということを考えてみました。
色々な要因が挙げられると思うけど、「心に期するものがある・ない」ということも大きいと感じています。
つまり惰性の気持ち、逃げることばかり考えている気持ちでは、神経症に負け続けてしまいます。
一念発起しないで、自分の心の中の問題を解決しようとすること自体、良くならないということだと思います。
きつい精神状態が続くと、どうしても「楽して治りたい」ばかり考えちゃいます。
僕もそうでした。プライドを捨てることが大事だとわかっていながら、どうしても格好つけて、よく思われていきたいという、意地汚い考えばかりしていました。
自信を持つためには、それじゃいけないということすら、最初はわかっていませんでした。
まあ、それが大間違いの大やけどのもとだと気づいた(岩波先生が気づかせてくれた)わけなんだけど、そこで大事になるのが「一念発起」だと思います。
どこまでいっても、自分自身の自意識や理性が、僕の前について回りました。
だけど、どうしても自分を乗り越えられなかったです。
僕のじゃまをするものは、他人ではなく、自分自身でしかなかった、その自分がものすっごく手強いのです。
僕は色々な手をつくしたり、いろいろ考えて乗り越えようとしたけれど駄目だった。
そこで自己嫌悪に陥りましたし、悔しくてたまらなかったです。
「もうこうなりゃ、自分をいじめてやる!」ぐらい気持ちを高めてから、初めて自分の壁を越えていくことができました。
心に期するものを持ってから、はじめて神経症が好転し始めたのです。
楽に神経症を治すなんて、なんて甘っちょろい考えだったんだ、と本当に自分にあきれてから、気持ちを切り替えました。
そうすると覚悟が出てきます。何があってもいいという覚悟です。
そうして一念発起、色々なことにチャレンジしました。
それにトランス呼吸法や暗示を徹底的にやりました。
いつのまにか、以前は高い壁で超えられないと思っていたものが、たいしたことがないとわかりました。
それがつまり自信ということが、わかりました。
考えていたって、自分の身を守りながら得しようなんて、結果はついてきません。
今、色々なチャレンジをして、自分を変えようとしている人は多いと思うけど、僕のような考え方をしていたら、一生同じまま生きていくと思います。
神経症が良くなる人は、体験記を読む限り、みんなどこかで一念発起しています。
そして、いつまでも同じ繰り替えをする人は、心に期するものがあるのかどうか、考えた方がいいかもしれません。
もちろん、一念発起しても駄目だったなんていう人もいるかもしれないけど、そこに覚悟が備わっていて、継続したのかどうかも重要だと思います。
生きるということは、どこまで行っても覚悟だと思い知らされました。
もしそれがないまま神経症に立ち向かっても、一生治らないまま、症状が続いていくと思います。
きついことからひたすら避けて、いつもオドオドして生きなくちゃいけなくなります。
やりたいこともできず、周りの人間が幸福そうにしているのを指を加えて眺めているだけ。
それでなんにも感じないだけならいいけれど、それってものすごく悔しい!
なんで僕だけが不幸な症状に呪われているんだろう?
イライラがすごいことになり、ヤケクソになります。
でも、その反動の落ち込みは相当なもので、とにかく憂鬱なまま時間が経っちゃいます。
その未来のない思考の繰り返しを永遠にやりつづけてしまうのが、神経症のひどいところです。
だから、最初は少しでもいいから、神経症に立ち向かう覚悟をも身に着けていきましょう!