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道路の老朽化対策の本格実施に関する提言

2014年04月17日 | 技術関連
国土交通省の社会資本整備審議会というところが道路構造物の老朽化への対策が不十分であり、本格的に対策を行う最後のタイミングであるとの提言を発表した。
以下はその提言のリンク(国土交通省サイト)である。
http://www.mlit.go.jp/road/road_fr4_000029.html

内容的には特に目新しいところは無く、自分のような構造物の技術者であれば数年前から明確に憂慮し、議論してきた内容とほぼ一緒といえる。
要約すると、

社会資本ストックの老朽化は加速し、今すぐに大規模な予算をもって補修・更新の整備に取り掛からないと大災害が発生する恐れがある。
しかし、特に小規模な地方自治体の技術者不足、認識不足、予算不足は深刻であり、危険なまま放置されている。
予算を増やし、メンテナンスのシステム化を推進していかなければならない。

といった内容だ。
私の所属する会社はメンテナンス業務の割合が大幅に増え続けている。しかし、実際に業務をこなしている人材は知識・技術力が乏しく、しかもただ仕事としてこなしてるだけなのだ。
国や町の安全なんて漠然すぎて頭に無く、ただ金を稼げればいいといった意識・資質の低さが目立っている。
過去の設計例にならって莫大な費用のかかる部材の交換を提案したり、メンテナンスのための仮設備の設置が損傷を生むような構造にしたりと、技術者が成熟していないのが現状だ。

地方自治体のみならず建設業界全体の技術者不足は深刻なのである。
現状を変えていくのは大変であり、いま莫大な予算が付いたとしても適切ではない補修設計や施工が増え、投資が無駄になったり最悪の場合損傷が悪化し危険性が増す恐れがある。
予算と技術者のバランスをとりつつ、官と民の双方の人材の育成が再優先課題だと考える。

平成26年度 技術士試験申し込み

2014年04月12日 | 資格試験
今年度も技術士の申し込み時期がやってきた。
昨年度から制度が変わり、5項目分の経歴票とその経歴のうちのひとつの業務詳細を小論文として記載する。
この経歴票と業務詳細文は筆記試験合格後の口答試験で質問事項として使用される。
したがってこの申し込み書で失敗すると挽回するのは相当厳しいものになる。

筆記試験もそうだが、この業務詳細文も技術士にふさわしい文章を記載する必要がある。
では技術士に相応しい文章とは何か?
それは小難しい単語や記号を並べた、いかにも「高度なことをやってます」的な文章・・・ではなく
難しい内容をわかりやすく伝えることができる文章である。
技術士に合格できない人の仕事ぶりを見ると、難しくないことをわざわざ英語やら聞きなれない専門用語を駆使し、難しいことをやってるように見せかけていることが多い。
つまり技術力や結果、提案に自信が無いから依頼主をなんとか騙して誤魔化そうとしているのだ。
技術士に必要な能力のひとつに説明能力がある。どんな相手にもわかりやすく説明し、納得させる力を身につけなければならない。
申込書も同様に自分のやってきたことが相手に伝わる文章を書くべきである。

もし、このブログを読み、自分の周りに経歴票や論文などの添削をしてくれる人がなく、困ってる人がいるのなら私でよれば無料で協力したいと考えている。
ご希望の方はコメント欄からコンタクトして欲しい。

段取り八分

2014年04月08日 | 名言
「段取り八分」とは我々の業界(だけではないが)でよく使われている言葉で、仕事は準備が肝心だということを意味している。
私も若い時に先輩たちから教えられ、常に実践しようと取り組んでいる。
しかし、最近の若いもの(同世代?)にはその概念が無いようだ。
いくら私がこの言葉を用いて、さらに体現していても全く真似ようとしない。
その場にならないと取り掛からないし、当日にならないと動かない。
この言葉は、準備さえしておけば仕事は八割方(八分)出来たようなものという意味である。
事前に準備しておけば問題点がわかるし、トラブルがあっても対応できる時間的余裕もある。
この行き当たりばったりで仕事を進めるのは、今の会社の社風なのかもしれない。

名言

2014年04月01日 | 名言
自分の才能を示すのに実績ではなく弁舌をもってし、しかも他者をおとしめて自分を偉く見せようとする。だが、自分で思っているほど才能などないのだ。」シドニー・シトレ(銀河英雄伝説より)

フォークのような卑怯で弱い人間にはなりたくないと思っていた。
しかし今の自分はどうだ、まるでフォークのような思考ではないか!

他人がどうのこうの考えていても自分の株は上がらない。悔しかったら実績で示すのみ。
あやうく違う方向に行きかけてた自分を取り戻す名言でした。