高知県香南市の安政地震の碑
安政元年(1854)11月4日辰刻(午前8時)、地震が発生したが、岸本浦の地曳網が流されたり、夜須浜で潮の変調が感じられる程度であった。翌5日七ツ時(午後4時)に大地震が起こり、午後5時頃には1番波、2番波が来た。その引き潮は矢を射るごとくであった。午後6時過ぎには3番波、4番波が到来し、午後7時には大地震が起こり、最大の5番波がやってきて、流家が出た。(「大変記」による)赤岡の町中の人は山に上がり、6、7日も山にこもっていた。5日は夜明けまでに34度も地震があった。(「浜田文書」による)
安政元年(1854)11月4日辰刻(午前8時)、地震が発生したが、岸本浦の地曳網が流されたり、夜須浜で潮の変調が感じられる程度であった。翌5日七ツ時(午後4時)に大地震が起こり、午後5時頃には1番波、2番波が来た。その引き潮は矢を射るごとくであった。午後6時過ぎには3番波、4番波が到来し、午後7時には大地震が起こり、最大の5番波がやってきて、流家が出た。(「大変記」による)赤岡の町中の人は山に上がり、6、7日も山にこもっていた。5日は夜明けまでに34度も地震があった。(「浜田文書」による)