アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

三界の夢 そのⅥ 外伝② 風林火山

2017-02-06 22:19:58 | 物語
そのⅥ 外伝② 風林火山

 謙信の居城、春日山城は名の如く山が如き堅城であった。
 どのように腕の立つ乱破でも、忍び込む事は不可能とされていた。

 春の宵、謙信は毘沙門堂に籠もって、一人書見をしていた。
 一人といっても、この時代では武者隠しの部屋が隣接していて、屈強の強者
達が詰めていた。
 謙信は書見をしながら、左手で杯を傾けていた。
 謙信は無類の酒好だったのです。肴はあまり食べません、この夜はあぶった
烏賊だけでした。
 謙信は倹約家として知られており、家臣達はご馳走や酒がふんだんに振る舞
われた時は出陣と心得ていました。

 燭台がかすかに揺れて、背後で人の気配がしましたが、謙信はかまわず杯の
酒を飲み干しました。 
 空の杯に、スーッと女の手が伸びて酒が満たされました。
 女の手を、謙信が掴もうとすると、忽然と手は消え、三間も先で若い女が手
をついていました。
「あやしきおなご、ゆるす。表を挙げよ」
 静かに顔を上げる女。
 謙信は、その女の美しさに眼を見張った。
 謙信が聞き耳を立てると、武者隠しから鼾が聞こえて来ました。
「女、一服盛ったのか?」
「怖れながら、そのように」
 女は怪しくも美しい微笑みを浮かべた。
「越後の猛者達も、存外だらしがない」
「お責めなさるな、お屋形様」
「これ、乱破。それとも、くノ一、或いは歩き巫女と呼べば良いのか?」
「お屋形様のお好きなように」
「そなたに取って、お屋形様と呼ぶべきは信玄公ただ一人のはず」
「しらぬ振りを決めても無駄で御座います」
「そうか、隠しておるものを敢えて暴くことも有るまいが、言い直す。勝頼の
小童だけであろう」
「小童の阿呆は、見限りました」
「武田を抜けていかがいたす」
「お屋形様にお仕えて差し上げまする」
「法螺をふくな女、そなた一人を召し抱えても役にたちまい」
「わたくしは三十人の甲斐の山猿を束ねておりまする。一声かければ三百人の
屈強な武田の騎馬武者も駆け集まりまする」
「女、生憎越後はそれ程裕福でもなく、わしも吝嗇でな、ろくな扶持米を払え
ぬぞ」
「ご心配には及びませぬ。わたくしは幼き時より甲斐の山々を駈け巡って育ち
ました。甲斐の山の隅々まで、滝壺や洞穴の全てを知っています」
「ほーう、信玄公の埋蔵金は有るのか?」
「さあ・・・」
 女は意味ありげに微笑んでいる。
「これ女、杯が空になっておる」
「失礼いたしました」と、女は謙信公に膝を進めて、杯を満たした。
 謙信がまた女の腕を掴んだ。
 今度はされるままにしている女は謙信の顔をまじまじと見詰めた。
「おんなでは風情が無い、名を申せ」
「くノ一に名など御座いません。が、風とでもお呼び下さいませ」
「かぜ?」
 謙信はその名に覚えが有った。武田のくノ一に、風、林、火と呼ばれて怖れ
られているくノ一の噂を思い出した。
「かって、わしは風は老婆だと思うていた」
「女は化けまする」
 風は謙信の顔を、前にも増してじっと見詰めていた。
「わたくしの顔に見覚えは?」
 風はそう言うと、微かに頬を赤らめた。
 謙信は、女の言葉で思い出した。幼女では無く、くノ一の風の事である。

 数年前、僅かな供を従えただけで上洛した。将軍足利義昭に呼ばれたから
だ。
 烏丸通りを御所に向かって歩いてると、向こうから十人程の侍がやってき
た。謀反の達人、松永弾正の手の者に違いない、横柄な様子で近づいてくる。
 その者達は数間先で立ち止まった。
「どちらの家中のものじゃ。この京都では武装してはならぬ。刀槍を渡せ」
「刀と槍を渡せば武士ではなくなるではないか」と、謙信が答えた。
「田舎侍が何をほざくか」
「お前らこそ吠えるでない。うるさい犬共を黙らせよ」
 謙信が、供の侍に命じると、忽ちの内に五人の松永侍は投げ飛ばされ、二人
が築地塀に押しつけられて身動きを封じられていた。
 騎馬の三人がその場から遁走した。
 何時の間にか、烏丸通は野次馬で溢れていた。
 行脚の沙弥達、物売りや大工風の男達、野党らしき男達まで現れていた。
 謙信は、通りの向かい側の築地塀を見た。風変わりな忍び衣装で塀の上に立
ち憚る三人の女がいたからである。
 くノ一達は相当に歌舞いていた。忍び衣装というのは、目立たぬように黒が常
識であった。が、一人は鮮やかな青、一人は萌葱色、一人は紅に燃える装束で
身を固め、首には風にはためくそれぞれの色の長い領巾を巻き、装束の中の鎖帷子は
漆塗りの黄金で輝いていた。
 謙信と青のくノ一の目が合った。
 三人のくノ一は一様に謙信を見詰めていた。
 青のくノ一が笑った、謙信も笑顔で応えた。

 くノ一達はトンボを切って地上に降り立つと、脱兎の如く、逃げ去った騎馬侍
を追った。「徒で騎馬に追いつくつもりであるか。加勢など幾らでも呼ばせれ
ば良いものを」
 謙信はそう思いながら、三人を見やったが、なんと速いこと、速いこと、あ
きれる程の速さで、人間業とは思えなかった。
 何時の間にか、謙信の周りはそれぞれに扮装した、五十人程の越後衆で固め
られていた。
 謙信は側で跪いている虚無僧に声をかけた。
「景綱、苦労である。国元は安穏か?」
「万全の備えを施しましたから、まずは安心かと」
「景綱、あの者達をどう見る」
 謙信がくノ一が走った先を見たが、もう姿が消えていた。
「甲斐の忍びかと?」
「甲斐の忍びがなぜわしを襲わず、松永侍を追う?」
「あの輩は人で有りながら、常の人では御座いませぬ。何を考え、何を致すか
それがしの頭では考えが及びません」
「まあよいわ、それではぼちぼち将軍の顔でも見に行くか」
 謙信は悠然と歩き出した。
 従うのは数人だけで、景綱を初め、越後衆は築地米の影に隠れた。

 謙信の顔を見詰めた風がこう言った。
「やっと、思い出して呉れましたのね」
「ああ、あの後、松永侍をどうしたのだ?」
「可哀相でしたが、お命を頂戴いたしました」
「ほーう、では礼を言わねばならぬな」
「わたしたちは余計な事をしただけでした。随分と怪しげな輩が徘徊しており
ましたから、松永勢と合戦となったとて、越後衆の勝利は間違いありませんし?
・・・」
「その後はなんと言おうとしているのじゃ?」
「松永勢が、お屋形様の名を知れば、合戦になどなりませぬ」
「ハハハ、面白いことを言う女子じゃ、また酒の供をせよ、信長の話など聞か
せて呉れればなお良し」
「畏まりました。早速調べ挙げ、参上仕ります」
 そう言った時には、風の姿は闇に掻き消えていました。

 春日山を駆け下り乍ら、懐の守り袋を握りしめる風、どうせ思い出すなら、
くノ一風で無く幼き時の姿の方が嬉しかった。
   2017年2月6日   Gorou

三界の夢 そのⅤ 外伝① 三姉妹

2017-02-05 05:38:17 | 物語
そのⅤ 外伝① 三姉妹

 うち続く戦乱は、幼い三姉妹から、両親も家も奪ってしまいました。
 戦というものは、いつの世でもとても残酷です。
 姉が八歳、下の妹は七歳、一番下の妹はまだ三歳になったばかりでした。
 可愛そうな三姉妹は、誰も頼ること無く、この戦乱の世を生きていかなけれ
ばなりません。

 また戦が始まりました。
 越後の上杉勢が甲斐の武田領に攻め込んで来たのです。
 上杉軍は、軍紀の乱れも無く、むやみに略奪行為などはしません。
 だが、兵の中には軍律を乱す不埒の輩がいるものです。

 今で言う、長野県の善光寺の境内に、周囲の住民が集められていました。
 越後勢は武田領に攻め込んだ分けですから、情報が武田方に漏れては困るか
らでした。
 人々は食料と煮炊きの道具は持ち込んでいました。が、可愛そうな三姉妹に
は何も用意が出来る筈も有りません。
 姉は飢える妹たちの為に、食べるものを捜そうと、密かに境内を抜け出し、
方々の畑を掘り返していました。
 どんなに頑張っても、いくら捜しても、芋の一つも手に入りません。
 姉は絶望の為、呆然としていました。
 すると、少し離れた所に一人の足軽が立っているでは有りませんか。
 左手に大きなお握りを持った、その足軽は右手で姉を手招きしています。
 男の顔は卑猥な笑いで歪んでいました。終いには涎まで垂らすていたらくで
す。
 幼いながら、姉は足軽の涎の意味が分かっていました。
「ひもじい思いをしているあの子たちに、あのお握りは絶対に手に入れなくて
は」と、姉は覚悟を決めて、足軽の方に足を踏み出しました。
 恐怖の為か、足がふらつき、まるで夢遊病者です。
 姉はようやくお握りに辿り尽き、必死に両手で掴みました。
 お握りを手に入れたものの、姉の身体は足軽に横抱きにされていました。
が、お握りは離しません。
 足軽は、姉を横抱きにしたまま、森に向かって走り出しました。
 ビシッ! 大きな鞭の音が、二度、三度と響き、足軽の身体は地面に叩きつ
けられていました。
 投げ出されて転がる姉。それでもお握りだけは離しません。
「お屋形様、この不埒者いかがいたしましょう」
 足軽は二人の屈強な侍に取り押さえられています。
「縄を打て」
 と言い放った法体の武将は騎馬から下りて、姉を優しく抱き起こしてくれま
した。
「怪我はないか?」
「はい」
 姉は足軽が縄で繋がれて引き立てられていく情けない姿を見ていました。
「あのお侍は首を切られるの?」
「さあ、厳しい詮議にかけて、他にも罪を犯していればあるいは。だがそれほ
どの悪党でなければ、この戦が終わるまで牢に入れ、戦が終われば、領外に解
き放つ積もりじゃ」
 姉は、乱暴されかけたにも関わらず、その武将の言葉で少しホッとしまし
た。
「なぜ食わぬのじゃ?」
「これは妹達への大切な贈り物で、私は食べません」
「妹にか、何人じゃ?」
「二人」
「おい、二日分じゃ、三人前の食料と水を用意致せ」
 一人の武将が騎馬に飛び乗って早駈けていきました。
「親はおるのか?」
 首を振る姉、今にも泣き出しそうになりました。
「家は?」
 姉は遂に涙をポロポロと零してしまいました。
「すまぬ。つまらぬ事を言うてしもうた」
 騎馬武者が戻って来て、姉に糧食の入った大きな袋を背負わせて呉れまし
た。
「景時、お前は戦の時も銭を忍ばせていると聞いたが、本当か?」
「はい・・・?」
 法体の武将はその景時と呼んだ侍の顔の前に手を突きだした。
「出せ」
 景時は渋々懐から銭袋をだし、中から小判を一枚掴みだした。
「愚か者、袋ごと渡すのだ」
 さすがに嫌な顔をする景時と呼ばれた侍。それでも嫌々ながら姉の懐に銭袋
をねじ込んだ。
 何が起こっているのか、良く理解出来ない姉、法体の神が如きな武将を、眼
を一杯に開いて見詰め続けた。
 法体の武将は騎乗すると、
「達者で暮らせ、生き抜くのじゃぞ」
 そう言い残して風のように去って行きました。
「あのお方は、越後の御大将に違いない」
 姉はそう思いました。
 彼女が想像した通りで、その大将は、後に毘沙門天の化身として怖れられ
た、長尾景虎、その人でした。

 姉は懐の銭袋を覗いて、それは本当に驚いてしまいました。見た事も無かっ
た小判が三枚も入っていたからです。
 彼女は、その小判は生涯使わずに大切にしました。妹達にも持たせ、それぞ
れのお守り袋に縫い付けたのです。
    2017年2月5日   Gorou

三界の夢 そのⅣ 壇ノ浦

2017-02-03 22:08:39 | 物語
そのⅣ 壇ノ浦
 次の日の酉の刻。
 迎えの鎧武者達が芳一の雨戸を叩いて呼ばわった。
「法師殿、法師殿。お約束の御時刻で御座る」
「夜道の警護を命じられた者で御座る」
「決して怪しき者ではありません」
 武者達は厳つい顔を、無理に微笑ませ、声音を和らげて芳一に声をかけてい
る。
 芳一は、きちんと正座をして聞いていた。聞きながら迷っていた。和尚様の
言うことを聞いくか、背いてあの者達についていくかを。

 武者の一人が雨戸の経文に気が付いた。
「この不浄のものは何じゃ」
「おのれ芳一、県令門院様との約束を反古にする積もりじゃな」
「このような経に恐れをなすなど、平家武者の名折れ、かく上は槍の錆にして
くれん」とば、槍衾で雨戸を突き刺した。
 騎馬武者がかけて来て、雑兵達に怒声を浴びせた。
「何をする。そのお方は徳子様の貴賓じゃ、狼藉は成らぬぞ!」
 騎馬武者の言葉で畏まった雑兵達は一様に跪いた。
 その場に、尼姿の建礼門院徳子がやってきた。
「そなた達は控えていなさい」
 騎馬武者も、雑兵達も雨戸から下がって控えた。
「法師様、このような荒くれ者を使者にたてたはわらわの過ちでした。許して
下さい。・・・御察しのように、わたくしどもはこの世の者では御座いませ
ん。ですが、決してあなたに害を加える者でも有りません。唯々、法師殿の平
家語りが聞きたくて参上仕りました。哀れと思うて、せめて雨戸越しに,一節
だけでもお聞かせ下さいませ」
 雨戸を隔てていても、芳一は平伏をしてしまっていた。
「お許し下さい。お許し下さい。この芳一が間違っておりました。少しだけお
待ち下さいませ、直ぐに支度をして参ります」
 芳一は湯殿に急ぎ、裸になって体中の経文を全て流して消した。

 徳子も平家武者も意気消沈して項垂れている。
 誰もが、芳一が遁走して,二度とこの場に戻らないと悟っていたからです。
 思いもかけず,雨戸が開いて、衣服を整え,琵琶を抱えた芳一が平伏してい
ました。
「嬉しい! さあ、法師殿、わらわが導き参らせ給わん」
 優しい尼君に手を引かれ、身体を支えられて芳一は阿弥陀寺から離れて行っ
た。
 芳一は二度とこの世に戻れないかも知れないと覚悟を決めていました。

 盲目のため見えませんでしたが、芳一は今擬宝珠廉で揺られています。
 鳳廉が天皇の乗る御輿で、擬宝珠無廉は皇后や皇太后が乗る御輿です。
 盲目の芳一を労って,徳子は手を握り、大きな肩を抱きかかえています。
 芳一に温かい徳子の体温が伝わり、心が和みました。母の優しい温かみと、
菩薩の優雅な微笑みを思い出されて来ます。

 御殿の大広間には、平家の名だたる公達が揃っておりました。
 芳一は恭しい御礼を徳子御前に捧げた後。
 静かに琵琶を構えました。
 ♪さる程に、源平の陣の間、海の面二十余町をぞ隔てたる

「いよいよ最後の決戦、船戦が始まるぞ」
 新中納言平知盛卿が力強く立ち上がった。
「ソレッ、源氏おば追い払え」
「オオーツ」と、雄叫びを上げた公達達も立ち上がった。
「ウオーッ! 我に続け」と、何時の間にか鎧甲に着替えた知盛卿が崖を一気
に駆け下りた。
 崖下の浜では、すでに無数の蟹が集合し、沖の戦船目指して殺到した。

 平家物語を弾く芳一の側に残って居るのは徳子を初めとした女房達だけであ
った。
 女房達はそれぞれが管弦をかき鳴らし、芳一の琵琶と歌に合わせて、懸命に
平家を応援した。

♪ 門司、赤間、壇ノ浦は、たぎりて落つる潮なれば、源氏の船は潮に向かう
  て心ならずも押し落とされる。平家の船は潮に追うてぞ出で来る

 何時の間にか平家の軍船で一際大きな唐船の艫で指揮を取っている知盛。
 蟹たちも次々とそれぞれの軍船に取りついて、平家の戦支度は整った。
「潮の流れは平家に有利。いざ、義経をば絡め取れ」

 時は元歴二年三月二十四日、朝六時に源平の矢あわせが始まった。
 源平が力を尽くしての鬩ぎ合いは暫く続いたが、当初潮の流れを味方に付け
た平家が有利に見えたが、四国勢,九州勢の裏切りで次第に源氏が押し返して
来た。
 彼等(裏切り者達)は、ニ隻の平家唐船のどちらが安徳天皇の御座船か知っ
ていたので、源氏の大船団に猛進してくる囮の唐船には目もくれずに御座船に
殺到した。

♪ 女房達、「中納言殿、軍はいかにやいかに」と、口々に問い給へば。
 「珍しき東男をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからと笑い給 へ
ば。

 その時、大広間から徳子も女房達も姿を消していた。戦の行方に、いても立
ってもいられなかったのです。

 二位殿(徳子の母)は、戦の行方に見切りをつけ、もはやこれまでと、濃い
灰色の二枚重ねの衣を被り、練絹の袴の股立ちを高く挟み、宝剣を腰にさし、
八歳になった安徳天皇を抱き上げ、
「我が身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。君のお供に参るなり。御志思
ひ参らせ給はん人々は急ぎ続き給へ」と言って、船端に歩み出られた。
「尼様、朕を何処へ連れて行こうとするのだ」
「浪の下にも都はございますぞ」
 二位の尼は、安徳天皇を抱いて、千尋の海底に入った。
 平家の公達も女房達も次々と源氏に捕らえられ、遂に建礼門院徳子も長い髪
を熊手で絡めとられて、囚われ人となりはてた。

 大広間では、芳一がたった一人になって、尚も平家語りを続けていた。

♪ 海上には、赤旗、赤印、投げ捨てかなぐり捨てたりければ、竜田川の紅葉
  葉を嵐の吹き散らかしたる如し。主もなき空しき舟は、潮に引かれ、風に
  従っていづくを指すともなく揺られて行くことこそ悲しけれ

 ここで、芳一は琵琶を置いて語りをやめた。
 むなしさと悲しみが込み上げてきたのである。

 翌日の夕方、行方知れずになっていた芳一が、平家の七人塚で倒れているの
が見つかった。
 芳一は二日間眠り続けた。
 夢枕に徳子が立ち、幽玄を極めた舞を見せて呉れた。
 舞終えた徳子は、三つ指をついて芳一を拝むが如く頭を下げた。
「お陰様で、我が子も、平氏の公達達も女房方も、安らかな眠りを得られまし
た」
 顔を上げた徳子は、喩えようのない程の笑顔をで芳一を見詰めた。
「御礼までに、法師殿がお探しの家族、母御と妹君、そして弟殿の行方をお教
え致します。京へ行きなされ。一日も早く行きなされ。・・・平家一門は赤間
関で絶えた分けでは御座いません。生き延びた者も大勢いました。いまでは往
時を超える程の人数になっています。法師殿の行くところでは、どのような難
儀に出会おうとも、必ずやお助け申すでしょう」

 眼を冷ました芳一は、夢での徳子の言葉を繰り返し思い返した。
 たかが夢。とは、とても思えなかった。
「京へ行こう」
 芳一は堅く決意した。眼の不自由な己にどんなに辛い旅になるか等とは心
配しなかった。
 尼殿が言われたように、母と妹と、そして弟は生きて京にいる。芳一は尼
殿の言葉だけを頼りに、京へと旅立った。
 道中不思議な事が沢山起こった。
 道に迷えば、誰かが現れて正しい路を教えてくれ。
 飢えれば、誰かが法外な布施を恵んでくれた。
 野宿を覚悟した時も、必ず宿が見つかった。
  
    2017年2月3日    Gorou


三界の夢 そのⅢ 祇王と尼御前

2017-02-03 00:26:12 | 物語
そのⅢ 祇王と尼御前

 住職が不在の夜、芳一の平家語りを聴くために京から二人の高貴な身分の婦
人が尋ねてきた。
 芳一が身繕いを整え、琵琶を携えて広間に行くと、すでに二方は着座してお
られた。
 芳一が座ると、年老いた侍女と見られる婦人が。・・・
「まあ? こんなに若いとは意外で御座います」
「ほんに、その若さで良くも極められましたな」
 高貴な婦人は優しく、優雅な言葉で芳一を褒めている。
「高名な法師殿の平家語りを是非にと、陛下が」
「良子、尼に陛下とはいかに」
「そうで御座いました、尼殿の為に何か一曲語っては頂けませんでしょう
か?」
「承知致しました。さて、何を語りましょうか?」
「法師様の良きように」
 芳一は暫く考えて、祇王の段が相応しいと気付いた。貴婦人が尼様だったか
らである。
 静かに琵琶を弾いて、芳一は祇王の段を語りは始めた。

 入道相国・清盛が天下を掌中に握っていた頃。
 都で評判の白拍子の姉妹がいた。姉を祇王、妹を祇女と言い、母は刀自と伝
わっている。
 清盛が姉の祇王を寵愛した。妹の祇女と母刀自をも大切にして、家や財宝を
与え、祇王の家族は人もうらやむ倖せな暮らしを過ごした。
 都の人々は大変羨んで、「あなめでたの祇王御前の幸せや、同じ遊女となら
ば、せめて名を祇一とつけん」
 有る者は娘を祇二、祇福、祇徳等とつけた。
 三年の間、祇王は幸せの絶頂にあった。
 その頃、都に評判の白拍子が出て来た。加賀国の者で、名を仏と言った。
 「昔から多くの白拍子がいたが、このような舞は見た事が無い」と、京中の
人々は身分の上下無くもてはやした。
 その仏が清盛入道の屋敷にやってきた。

 取り次ぎが「今京で評判の仏御前が参っております」と告げると。
「遊女は人の召しに従って参る者だ。その上祇王がいる所には許されぬ。退出
させよ」
 と言ったが、傍らに侍っていた祇王がこう申し上げた。
「あそびものの推参は世の常、年もまだ若く、つれなく追い返しては可愛そう
で御座います。舞や歌を聞かなくても、ご対面だけはして上げてくださいま
し」
 祇王がこう言ったので、清盛入道は仏を引見した。
「今日の見参は無いものであったが、祇王があまりに申すので引見した。会っ
たからには、今様の一つもうたえ」
「招致致しました」と、仏は今様を一つうたった。

 君を初めて見る折は 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に
 鶴こそむれいてあそぶめれ

 と、三度歌い上げた。
「わごぜは、今様は上手であった。この分なら、舞も定めて良かろう。鼓打ち
を呼べ」

 仏御前は髪姿良く、容姿美しく、声良く、節も上手で、見事に舞い終えた。
 清盛入道は仏御前に心をうばわれ、その寵愛は祇王から仏へと移った。

 芳一はいったん琵琶を置いた。
「祇王の段は、かなり長う御座います、夜も更けて参りましたので今宵はこれ
にてお許し下さいませ」
「残念ですが、今宵は退散仕りましょう。明晩酉の刻に迎えをよこしますか
ら、ぜひ我が館で平家語りを、我が一族郎党にお聞かせ下さいませ」
「畏まりました。明晩は何も用がありませんのでお待ちしております」

 二人が去って程なく、住職が帰って来て芳一の部屋に血相を変えて駆け込ん
できた。
「芳一」、お前が会っていたのはこの世のものでは無い。明日の夜も約束をし
たと聞いたが本当か?」
「はい」
「必ずやお前に悪さをする。命さえ危ない」
 住職は、芳一を裸にして全身に経文を書いた。芳一の身体は足の裏から耳の
裏にまで、ビッシリと有り難い経文で埋め尽くされた。
「明日は誰が来ても会ってはならぬ、呼ばれても返事をしてはならぬぞ。芳
一」
「はい、和尚様」
 と返事をしたものの、あの優しい尼様があの世の者とは、芳一には信じる事
が出来なかった。
 芳一は、母のような温かさと、優しさと、香しき匂いを尼様から感じ取って
いたのだ。
     2017年2月2日   Gorou

三界の夢 そのⅡ 六欲天の魔王

2017-02-02 15:55:52 | 物語
そのⅡ 六欲天の魔王

 思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

 六欲天の魔王と怖れられている織田信長が幸若・敦盛を謡い、舞ってい
る。
 鼓を打っているのは正妻濃姫である。

 家来衆が広間に控え、信長の敦盛を固唾をのんで見詰めていた。
 その中に、悪魔が変身した明智光秀と明智光晴となった弟がいた。
 二人は、光秀の現世で従妹となっている濃姫の斡旋で、足利将軍家の家来か
ら織田信長の家臣となった。
 信長は情に流されることは決してない。光秀の中に得がたい才能を見付けた
から家臣団に加えたのだ。光秀はいきなり重臣に引き立てられた。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
 信長が床を打ち付けながら敦盛を謡い、踊った。
 二人の小姓が立ち上がり、扇子を翳して、信長の後に続いた。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか、これを菩提の種と思ひ定めざらん
は、口惜しかりき次第ぞ」
 今度は三人で声を合わせて唱和した。

 家臣一同、信長の舞を睨むようにして見詰めている。信長の家臣は僅かで
も油断、緩みを見せる分けにはいかないのだ。
 そして、このように上機嫌で敦盛を舞った後は、決まって軍令が発せられる
のだ。

 舞を終えた信長が、筆頭家老柴田勝家の前に立ち止まった。
「勝家、美濃攻めを急げ、猿の他は己に任せる」
 今度は信長、光秀に振り返った。
「光秀、将軍を尾張にお迎えするように。この信長の天下布武はお前の働き
に掛かっているぞ」
「ハハーッ」と、畏まる光秀。
 光晴は信長を穴の開くほど見詰めていた。「光秀様が仰るように、この男
が、私の代わりに世の中に復讐してくれるのだろうか?」

 光晴は今、光秀と共に将軍のいる越前へと急いでいた。
「信長は六欲天の魔王である。六欲とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上
の欲望で、これを尽くせば、あらゆる障害を打ち砕くことが出来る」
「私は、光秀様の元で軍学、軍略、刀槍術を十年以上学んでまいりました。信
長などの手を借りなくとも、光秀様が、手を貸して下されば世の中に復讐出来
ると思います」
「芳次郎、いや光晴、悪魔が自らの手で、人や人の世に災いを成すことは禁じ
られておる。悪魔は人の心に住み着いて、虜にした人を自在に操って、人を殺
めたり、戦乱を起こさせるのじゃ」

 その頃、兄の芳一は下関の阿弥陀寺にいた。
「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり」
 瞑想しながら、静かに琵琶を弾きながら、芳一は平家物語を謡いだした。
 講堂には、名高き琵琶法師の平家語りを聴くために集まった人々で埋め尽く
されていた。
「沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」
 芳一が眼を開いた。が、何も見えなかった、菩薩のとの盟約で視力を失って
いてたのだ。
 突然、芳一の琵琶が激情のままに、荒々しくかき鳴らされた。
「驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ」
 また、琵琶が凪のそよ風の如くに静まった。
 暫く静かに琵琶を奏でる。その哀調は聴く者皆涙なしには聴けなかった。
 さらに、芳一の琵琶が悲しくも静かに堂内を漂った。
「偏に風の前の塵に同じ」

 外は夕闇が迫っていた。
 阿弥陀寺の崖下の浜辺に蟹が群れをなしていた。
 皆、顔を顰めて泣いていた。
 蟹たちは、芳一が平家物語を語るときは、このように浜辺に集うて来るの
である。
   2017年2月1日   Gorou