〇概要
柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - 57歳)は、京都府京都市出身の元日本代表サッカー選手、サッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはディフェンダー、守備的ミッドフィールダー。同じく元サッカー選手、サッカー指導者の柱谷幸一は実兄。
出場時の多くはキャプテンとしての出場であり、チームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた[2]。現役引退後はJリーグ選手協会[3] 及びJリーグ選手OB会それぞれの初代会長を務める[4]。
〇選手として
日産自動車サッカー部、ヴェルディ川崎、日本代表等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍。日産では加茂周監督の下、「ボランチ」という言葉が日本国内に普及する以前に中盤の底の役割を確立し、
1992年にはこのポジションの選手としては初となるJSL年間最優秀選手に選出された[5]。しかし
1991-92年シーズンのJSLの終了後、日産のライバルチームである読売ヴェルディに移籍、すぐにJリーグカップ優勝を経験するなど[6]、チームの中心メンバーの一人として
1998年まで在籍した。
1993年5月15日、Jリーグ開幕戦となったマリノス戦に出場、5月29日の浦和戦でJリーグ初ゴールを挙げた[7]。
1998年のシーズン終了後、高年俸だったことと、チームの若返りを図る意図からV川崎から「0円提示」。
現役続行の意思を表明していたが、他チームからオファーが来ずそのまま現役を引退した[8]。Jリーグでは通算183試合に出場、13ゴールを挙げた[7]。
1988年1月27日のアラブ首長国連邦戦で代表デビューを果たすと[9]この試合で代表初ゴールを挙げた。
1992年からのオフトジャパン時代にはキャプテンに指名される[10]。
1993年開催のワールドカップアメリカ大会アジア最終予選のイラク戦でも主将として先発フル出場[9]、ドーハの悲劇を経験した。
1988年から1995年までの間に日本代表に選出され、Aマッチ72試合に出場した[11]。
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