小学4年の時、地域の硬式野球チームでの練習中に不整脈で倒れた。体内にペースメーカーを入れて練習をしていたが、小学5年の春休みに脳梗塞を発症。立つことも指を動かすこともできなくなった。
「絶対元に戻ってやる」。入院生活中、必死でリハビリに取り組んだ。週末には一時退院して所属していたチームの練習を見学。「僕みたいな体でいてもいいのかな」と不安だったが、チームメートはグラウンドで笑顔で迎えてくれた。
中学のときは軽いバットしか振れなかったが、少しずつ重くし、冬場に打撃練習と左腕の筋トレに励んだ。「人一倍バットを振っている。自分たちも負けられないなと思う」。竹内湖舶(こはく)主将(3年)らチームメートも刺激し、5月の練習試合では打撃で活躍。「ここ一本という場面で試合に出すのは彼」と中原家康監督に認められ、初めて背番号をもらった。
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