:::::
きたの・たけし◎1947年、東京都足立区生まれ。
明治大学工学部名誉卒業。
72年、漫才コンビ・ツービートを結成、芸人ビートたけしが誕生。
漫才ブームをけん引し、数々の冠番組をもつ国民的タレントに。
83年、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』で俳優として注目を集め、89年『その男、凶暴につき』で映画監督デビュー。
97年、 監督・ 脚本を務めた『HANA-BI』でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。
2010年に仏パリのカルティエで絵画の個展を開催し大反響を呼ぶなど、画家としての評価も高い。
近著に恋愛小説『アナログ』、私小説『浅草迄』、歴史小説『首』など。
:::::
なぜ、たけしがフォーブスに?
実は、北野が20年以上にわたって地道に取り組んできたことが、事業として、アフリカの地で結実しているのだ。
実は、北野が20年以上にわたって地道に取り組んできたことが、事業として、アフリカの地で結実しているのだ。
それが国連開発計画(UNDP)や国際協力銀行(JBIC)を巻き込み、地球規模にまで発展したことは、日本ではほとんど知られていない。
世界最貧国の一つであるベナン共和国での活動、人を育てるということ、そして人を動かす極意──。北野が本誌に初めて語った壮大な物語の一部を、ここでお届けしよう。
世界最貧国の一つであるベナン共和国での活動、人を育てるということ、そして人を動かす極意──。北野が本誌に初めて語った壮大な物語の一部を、ここでお届けしよう。
〇善意が思い通りのかたちになるなんて甘いもんじゃない
北野武(以下、北野):アフリカと縁ができたきっかけは、TBSの『ここがヘンだよ日本人』(1998〜2002年、司会・ビートたけし)。
外国人を100人集めてスタジオで日本人タレントと討論させる番組で視聴率も高かった。
外国人が日本の生活での疑問を噴出させて大げんかになるんだけど、旧植民地側と宗主国だった欧米側の言い合いがヒートアップすることがよくあった。
外国人が日本の生活での疑問を噴出させて大げんかになるんだけど、旧植民地側と宗主国だった欧米側の言い合いがヒートアップすることがよくあった。
例えば、フランスの植民地だったアフリカの国の出身者がフランスの悪口を言ったりね。
アフリカ人のレギュラーが何人かいて、そのなかで面白かったのがベナン出身のゾマホン(・ルフィン、元駐日ベナン大使)。
アフリカ人のレギュラーが何人かいて、そのなかで面白かったのがベナン出身のゾマホン(・ルフィン、元駐日ベナン大使)。
<
ゾマホン・ルフィンは1964年、ベナン生まれ。
北京語言文化大卒業後、94年に来日。
96年、上智大大学院入学。
バラエティ番組などでタレントとして活躍。
02年、ベナン国民栄誉賞を授与される。
12〜16年、駐日ベナン共和国大使。
2023年1月、ベナンの国民会議選挙に立候補。
>
「なぜそんなに日本語をしゃべれるんだ?」と聞いたら、あいつはエリートなんだ。
北京に国費留学して、そこで東京の下町のプレス工場の息子と知り合い、日本に誘われてやって来た。
上智大学に通いながらプレス工場で一生懸命に働くんだけど、フラフラになってあいつは指を切断するんだ。
ところが、あいつは病院に行ったら、「こんなに素晴らしい待遇はない」と喜んでいるわけ。
ところが、あいつは病院に行ったら、「こんなに素晴らしい待遇はない」と喜んでいるわけ。
で、「こんなに手厚く看護してもらえるのなら、ほかの指も……」なんて言うから、「お前、タコじゃないよ!」って(笑)。
ゾマホンは工場の社長が亡くなった後も、墓参りに欠かさず行って日本に呼んでもらったことを感謝している。
まあ、大変だなと思っていたら、俺のところに来たいと言う。
「お前は何にもできないんだから、たいした給料は出せないぞ」と言ったら、故郷のために国の仕事もしたいので空いた時間で働かせてほしいと。
それでずっと俺のところにいるんだよ。
ゾマホンが言い続けているのが、国のためには教育が大事だってこと。
学校をつくって識字率を高めて、国の経済を発展させたいという。
それでベナンに学校をつくったんだ。
2000年に「たけし小学校」、03年に「たけし日本語学校」が開校した。
<
ベナンの都市部から415km離れたコロボロル村にある
「たけし日本語学校」 。
<<下記URL
<<参照
>
しかし、教室に飾られた「人生甘くない」という書が象徴するように、単に支援で済む話ではない。
乗り越えなければならないのは旧植民地ならではの経済構造だ。
試行錯誤の挑戦が始まった。
北野:植民地だった国は独立しても、利権が残してある。
例えば、ベナンの主要産業は綿花だけど、欧州に買い取られる。
生産、加工、染め付けやプリントで付加価値をつけて販売するのは欧州。
で、高い服になって買うのはアフリカ。
加工工場がないから原材料を安く売るしかない。
これじゃあ、国の経済は発展しないよね。
昔のアメリカ南部の綿花農場で働いた奴隷が、安い労働力を提供する構造と似てるんだよ。
かといって、「発展途上国はかわいそう」と上から目線で寄付をするのは大間違い。
かといって、「発展途上国はかわいそう」と上から目線で寄付をするのは大間違い。
善意が思い通りのかたちになるなんて甘いもんじゃない。
善意に酔っていると、「裏切られた!」と怒ることになる。
コンテナに洋服を詰め込んでベナンに送ったことがあったけど、港の陸揚げを欧州の業者が独占していて、手数料をがっぽり取られたことがあった。
中間搾取の構造があるんだ。
ゾマホンのために、賞金1000万円のクイズ番組に俺が2回出演したことがあって、1回は優勝したんだ。
賞金をゾマホンのところに送ったら、
途中で手数料だの経費だの取られて、その挙げ句、盗まれたって。
北野:学校をつくったときは所ジョージが協力してくれて、大型バスを3台送ってくれたんだ。
そしたら、政府が使ってるって(笑)。
でも、それも当然の話で、学校をつくっても道路がないから。
学校で勉強を教えるといっても、10kmも離れたところから歩かなくちゃいけないから子どもたちは働いていたほうがいいという発想になる。
学校で勉強を教えるといっても、10kmも離れたところから歩かなくちゃいけないから子どもたちは働いていたほうがいいという発想になる。
そこでおいらがやったのが給食サービス。
「学校に行ったら、ご飯が食える」と言うと、子どもたちが集まるでしょ。
芸能界のタレントたちにもお金を出してもらい、ご飯が食えて、勉強できて、資格が取れるようにしたら、これは細々と続いている。
北野:いちばん大事なのは自分たちで食うすべをつくること。
北野:いちばん大事なのは自分たちで食うすべをつくること。
安い労働力を使うために日本から仕事を発注しても、それでは経済構造は変わらないよね。
仕組みとルールをつくって、ルールがわかる人間を育てなきゃ。それは時間がかかる。
北野:北海道の田中義剛の「花畑牧場」にアフリカ人3人を送り込んで、酪農技術を2年ほど教育させたことがあった。
ところがさ、真冬でも暖房があって快適だし、ご飯も食べられるから、「ここは天国。帰りたくない」って言い出したんだよ。
俺はゾマホンに「アフリカから呼んだ目的と違うじゃないか。帰れって言え」と言ったんだ。
俺はゾマホンに「アフリカから呼んだ目的と違うじゃないか。帰れって言え」と言ったんだ。
泣く泣く彼らは牛を連れて帰国したんだけど、事業になってないという。
理由を聞いたら、牛を食べちゃったんだよ(笑)。「何やってんだよ!」と言うと、「いえ、何頭か残してあります」という。
でも、残したのは全部雄牛。「オスだけ残したってしょうがねえだろ!」って。現地でゾマホンが注意したらしく、何とか事業を始めたと言っていたよ。
長い目で見て仕組みをつくるより、目先のお金や食い物に飛びつくのは、人間だから仕方がないんだけどさ。
<
>
そのころ、ボクシングのフロイド・メイウェザーが現役で、ギャラを聞いたらすごくて(※1試合の賞金と放映収入で約30億円以上)、ゾマホンに「ベナンでいちばん足が速いやつを連れてこい」って言ったんだ。
身体能力が高いのを日本のジムで鍛えて、ボクサーにしようと思ってね。
「稼いだカネでベナンに留学制度をつくって、全員日本の医学部に入れて、ベナンで診療所をやらせよう。診療所と薬は俺が用意するから」って。
ところがさ、「強い男がいる」って連れてきた男が、「殴り合いは嫌いです」と言い出した。
慌てたゾマホンが、「私がやります」って言うんだけど、「お前は、年だからダメだよ」となっちゃった。
映画やテレビの激務の合間に支援を続けて約20年後の2018年、たけし日本語学校に、ゾマホンがひとりの日本人を連れてきた。この男がたけし日本語学校で目にした「あるもの」をきっかけに、新たな物語が生まれ、活動は大きな事業へとつながっていく──。
後編は、本日発売の『Forbes JAPAN』
後編は、本日発売の『Forbes JAPAN』
<
>
4月号にてお読みいただけます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます