「本日は歴史・・・というより、少々気になっている疑問」
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昨日、NHKの大人のドリルという番組で、地球温暖化が取り上げられていました。
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新聞のテレビ欄の番組紹介には、「この100年間で地球の平均気温は0.74度上昇し、異常気象による災害も頻発・・・」てな事が書かれていました。
確かに、その通り・・・この100年間で、地球の平均気温は上昇しています。
実は、木の年輪の調査などから、平安時代の日本の平均気温は、今より3度ほど高かったという結果がはじき出されています。
あくまで、仮説にすぎないかも知れない話ですが・・・
地球上をかっ歩した恐竜が絶滅した後に訪れた大きな氷河期の後、地球は小さな氷河期と小さな温暖期を繰り返しているという話があります。
地球上をかっ歩した恐竜が絶滅した後に訪れた大きな氷河期の後、地球は小さな氷河期と小さな温暖期を繰り返しているという話があります。
その説によると、日本では・・・
縄文時代の半ば頃から弥生時代頃までは寒冷期。
その後、卑弥呼の邪馬台国の頃から大和朝廷の支配が進む西暦500年頃までは温暖期。
そこから、大宝律令が制定される西暦700年頃までは再び寒冷期で、次ぎの奈良時代・平安時代・鎌倉時代と温暖期が続き、その後、室町時代の1400年前後から小氷期に入り、その寒い期間は昭和の初め頃まで続くと言う・・・。
確かに、これなら、平安時代の気温が今よりも高かったという話も、近代の測定方法で気温が測定されるようになってからの平均気温が上昇し続けているという結果もうなづけます
・・・なんせ、測定を開始した頃は、小氷期の最後のあたりになるわけですから・・・
さらに、歴史を紐解いてみても、ところどころ、符合する点があるのも確かです。
聖武天皇を恐怖に陥れた天然痘の流行・・・(10月15日参照>>)
平安京遷都を決行した桓武天皇は、平安京の前に、長岡京へと遷都(11月11日参照>>)しますが、未だ建設途中の段階で2度も洪水に襲われたうえ、夫人・皇后・母・息子・・・と次々と(おそらく疫病で)身近な人を亡くし、わずか10年で長岡京を捨てて、平安京の建設に切り替えます(10月22日参照>>)。
その平安京で発達した寝殿造りには壁がなく、簾(すだれ)や几帳(きちょう)のみで仕切るという寒冷期なら考えられない造りです(12月7日参照>>)。
さらに、その寝殿造りの清涼殿には、ゲリラ豪雨とともに雷が落ち、人々は菅原道真の怨霊だと恐れて、彼を天神として祀ります(6月26日参照>>)。
確か、あの平清盛(2月4日参照>>)の死因となった熱病も、文献に残されたその症状から、現在では「マラリアに感染したのでは?」と推測されていますが、ご存じのように、マラリアは熱帯から亜熱帯地方に分布する感染症です。
京都の祇園祭(7月1日参照>>)や大阪の天神祭など、多くの「疫病退散のお祭り」が、この頃に生まれているのも興味深いですね(6月16日参照>>)。
ところが、室町時代に入って、その様子が一変します。
足利尊氏の京都入りに備えて、後醍醐天皇から皇位を譲られた息子の恒良親王を連れて、福井の敦賀へと落ちた新田義貞の北国落ち
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その延元元年(建武三年)10月13日を、太陽暦に換算すると1336年の11月22日
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確かに、雪深い北陸では、そろそろ雪の便りも聞かれる頃ですが、彼らが一夜を過ごしたとされる木の芽峠は、わずか海抜600mほどの高さです。
そんなところで、それなりの装備をした軍隊のほとんどが凍死するという悲劇は、やはり、その年が異常に寒かった事を意味します(実際に木の年輪調査でもこの年の冬が異常に寒かった事が確認されています=10月13日参照>>)。
そんな小氷期の真っ只中であった戦国時代には、例の疫病の流行はほとんど見られません。
あの大坂夏の陣の1ヶ月後の慶長二十年6月1日には、江戸一帯に雪が降った(7月9日参照>>)事が記録されていますが、これを太陽暦に換算すると1615年7月9日・・・7月の、それも東京に雪が降る事は、想像すらし難い事ですが、これも小氷期のなせるワザなのでしょうか。
そんな小氷期が徐々に終っていく時期と、日本を含めた世界中が近代化へ向けて走り出すのが、ちょうど同じ1900年頃・・・「この100年で気温が上昇している」というのは、この頃からの記録という事になります。
地球物理学によれば、地球は、この先、500年ほど現在の状況を保った後、大きな氷河期に向かっていくそうですが、その話も、そして上記の内容も、仮説の一つに過ぎません。
ただし、地球が温暖化していて、その原因が二酸化炭素にあるというのも仮説です。
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地球が温暖化してようがしまいが、その原因がCO2にあろうがなかろうが、エネルギーは限りある資源なのですから、無駄なエネルギーは使わないに越した事はなく、海も川も空も、そして空気だってキレイなほうがいいに決まってます
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節約という意味でのエコは大切な事だと思います。
それこそ、江戸時代のように、修理&修理を重ねながら、使える物は最後まで丁寧に使いきり、着物や紙は幾度も作り替えられ、人の排泄物さえ畑に再利用する
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★★★平安~鎌倉時代は温暖期、室町~江戸時代は寒冷期、明治・大正・昭和・平成・令和~は温暖期か、日本の気温推移と異常気象2020/10/12木本 協司
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/909d08eb4f7ec8bf846a9a8108b988c0
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