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弧状列島,品証,グラハム・ベル=明治19年電話の実験を成功=の予言 日本の未来への讃歌

2020-07-08 18:37:28 | 連絡
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既存ダム活用の水力発電(その1)
グラハム・ベルの驚き ―エネルギーの宝庫・日本列島
2017、NPO法人 日本水フォーラム 代表理事
竹村 公太郎(たけむら こうたろう、1945年(昭和20年)10月12日 - 75歳)は、日本の元・国土交通官僚、元・国土交通省河川局長、現・財団法人リバーフロント整備センター理事長、日本水フォーラム代表理事・事務局長。専門は、土木工学(特に河川)。博士(工学)。神奈川県出身[1]。
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グラハム・ベル(注1)の予言
 明治31年(1898年)、グラハム・ベルが来日した。発声生理学の科学者であり、教育者であったベルは、明治19年に電話の実験を成功させていた。来日したベルは日本の帝国ホテルで講演をしている。その内容は日本の未来への讃歌であった。
「日本を訪れて気がついたのは、川が多く、水資源に恵まれているということだ。この豊富な水資源を利用して、電気をエネルギー源とした経済発展が可能だろう。電気で自動車を動かす、蒸気機関を電気で置き換え、生産活動を電気で行うことも可能かもしれない。日本は恵まれた環境を利用して、将来さらに大きな成長を遂げる可能性がある。」
 ベルは、雨の多いアジア・モンスーン帯で、山が連なる日本列島の気象と地形を見て、水力エネルギーの宝庫であることを見抜いた。なぜなら、ベルは「地形と気象」に関して世界でも屈指の見識を持っていた。グラハム・ベルは米国ナショナル・ジオグラフィック(地理学)協会の会長であり、雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の出版責任者であった。
 ベルは日本列島を歩き、その日本が水力電気エネルギーの宝庫であることを確信し、日本の未来の発展を明言できたのだ。
アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの科学者、発明家、工学者。世界初の実用的電話の発明で知られている[注釈 1]。
ベルの祖父、父、兄弟は弁論術とスピーチに関連した仕事をし、母と妻は聾だった。このことはベルのライフワークに深く影響している[3]。聴覚とスピーチに関する研究から聴覚機器の実験を行い、ついに最初のアメリカ合衆国の特許を取得した電話の発明(1876年)として結実した[注釈 2]。のちにベルは彼のもっとも有名な発明が科学者としての本当の仕事には余計なものだったと考え、書斎に電話機を置くことを断わった[5][注釈 3]。
その後もさまざまな発明をしており、光無線通信、水中翼船、航空工学などの分野で重要な業績を残した。1888年にはナショナルジオグラフィック協会創設に関わった[7]。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力し、人類の歴史上もっとも影響を及ぼした人物の1人とされることもある[8]。
ベルが会長(在職期間:1896年 - 1904年)を務めたナショナルジオグラフィック協会の月刊誌である『ナショナル ジオグラフィック』日本版(日経ナショナル ジオグラフィック社)では「アレクサンダー・グラハム・ベル」としているため、本記事ではこれに従うが、表記発音については脚注参照[注釈 4]。


 
 



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