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弧状列島,公助,弧状列島,公助,小泉環境相「思いをもって議論見たい」…処理水で明言避ける 環境汚染対策無知、無理解 無視

2019-09-18 17:15:26 | 連絡
4町訪問後、報道陣の取材に応じた小泉環境相は「(大熊、双葉の)2町が中間貯蔵の受け入れに伴う苦渋の決断を行った歴史を環境省や政府の若手の職員に語り継いでもらいたいという言葉を多く受けた」と説明。帰還困難区域全域の除染については「まずは今(除染が)決まっているところをしっかりやって、それ以外についても丁寧な対応をしたい」と述べるにとどまった。
また、第一原発で保管されている処理水については「2016年から3年間、経済産業省の小委員会で議論されている問題。軽々に所管外の者が発言することで、県や漁業関係者を傷つけることがあってはならない。私は思いをもって議論を見たい」と明言を避けた。 (注1)

(注1)環境汚染「鉱毒」解決の歩み
  • 1610年 足尾銅山開山。
  • 1661年~1687年(寛文・貞享期)が銅山の全盛期であった。
  • 1877年 古河市兵衛が足尾銅山の経営に携わる。
  • 1884年 足尾銅山の銅生産量が日本一となる。
  • 1885年 朝野新聞、鉱毒被害を報道。
  • 1887年 松木村で大規模山火事。間藤付近まで飛び火する。
  • 1890年 渡良瀬川の大洪水で鉱毒の被害が拡大する。
  • 1891年 田中正造、第2回帝国議会で鉱業停止要求。
  • 1896年 通洞が貫通
  • 1896年 田中正造、第9議会において永久示談の不当性を追及。有志と雲竜寺に群馬栃木両県鉱毒事務所を設置。

  • 1950年 三栗谷用水、鉱毒沈砂池を設置。総工費3,200万円のうち100万円を古河鉱業の寄付金でまかなう。
  • 1953年 待矢場両堰土地改良区と和解成立。土地改良資金800万円を寄付する。
  • 1954年 小滝坑、廃止。
  • 1956年 自溶製錬設備が完成し、亜硫酸ガスの排出が減少。
  • 1958年 源五郎沢堆積場決壊。待矢場両堰に鉱毒が流入。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会成立。
  • 1961年 銅・鉛・亜鉛の貿易自由化決定 これ以降、国内鉱山は次第に経営難となる。
  • 1966年 天狗沢堆積場が決壊。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会、古河鉱業に抗議。
  • 1968年 政府の水質審議会、渡良瀬川の銅濃度基準を0.06ppmで決定。
  • 1970年 桐生市水道局、渡良瀬川から基準値を超える砒素を検出。
  • 1971年 太田市毛里田地区の米からカドミウムが検出される。
  • 1972年 太田市毛里田地区の米、土壌のカドミウム汚染は、足尾銅山が原因と群馬県が断定(古河鉱業は否認)。
  • 1973年 足尾銅山閉山、製錬事業は継続される。
三栗谷用水が、歴史上特筆されるに至ったのは、三栗谷用水組合が大正期の大旱魃を体験したことから、鉱毒水ばかりでなく洪水や用水枯渇の原因が足尾銅山にあるとの認識に至り、鉱毒被害の永久的解決を企図した三栗谷用水の幹線改良事業を実施したところにある。この事業は1933年(昭和8)に具体化し、1977年(昭和52)に一応の完成をみるという大規模なもので、鉱毒水の流入防止と用水不足を補うための補助水源としての目的を持った集水暗渠や効率的な沈砂地による鉱毒泥砂の除去施設に特色を持つ。 


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