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谷川ひとみ
旧ソ連圏ライター
1987年生まれ。大学院博士後期課程歴史学・考古学コース在籍。
ロシア南部、非スラブ系のイスラム教徒が多く住む北コーカサスの歴史を専門に研究。
最近は18世紀前後に起きたウクライナ人のロシアへの追放にも関心を持つ。
また、近年のチェチェン人の独立運動に興味を持ち、シリアやウクライナのチェチェン人義勇兵、欧州の独立運動活動家とコンタクトを続ける。
2011年以降ロシアの南部北コーカサスを中心に2020年まで継続的に訪露。2014年にはシリアのチェチェン人が主体となった反政府武装組織に訪問。2015年以降も、度々ウクライナに訪問している。
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ロシアのウクライナへの全面侵攻によって、多くのウクライナ人が、自らが「ウクライナ人」であるというアイデンティティを強く意識し、主張するようになった。
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(11月13日の動き)
2024年11月13日 19時46分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241113/k10014621561000.html
2024年11月13日 19時46分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241113/k10014621561000.html
ロシアのプーチン大統領が度々ロシアとウクライナの一体性を強調する発言をしており、ウクライナ人が国や自らを守るために「私はウクライナ人」という意識を持つことの必要性を強く認識したのである。
こうしたウクライナのアイデンティティを守るために寄与しているのが女性たちだ。
戦時中という状況下で、男性は前線を含めた軍務につき、物理的に国や家族を守っているのに対し、女性たちが国や「ウクライナ人」であることを守ろうという意識を高めている。
中でも、ウクライナ独自の文化を守るべく文化芸術活動に取り組む女性たちは驚くほど力強い。その活動や思いを紹介したい。
■「ロシアによる文化財破壊の抑止を」民族図書館での取り組み
「兵士は前線で領土を守っている。
私たちはここで文化を守る」。
ウクライナの首都・キーウの民族歴史図書館で、
上級司書として働くガリーナさんは、ウクライナの文化保護活動へ携わる思いを語る
ガリーナさんはクリミア出身。
戦争は2014年から始まっていた。
22年に全面侵攻が始まっても、キーウから離れず仕事を続けた。
クリミア出身であることが彼女の覚悟をより強くさせているようだ。
全面侵攻直後はリモートワークで休まず仕事を続けた。
所属する民族歴史図書館は、ウクライナの無形文化財リストを製作する。
特にクリミアを含めたロシアに占領された地域の文化遺産に関する史資料の整理は優先的に行っているという。
「自分たちの仕事はウクライナの歴史や文化を守ることに繋がる」とその意義を語る。
もちろん占領地で調査はできない。
占領地にある文化財については、可能な限りアクセスできる記録や資料を利用している。
国の無形文化財に登録し、最終的にはユネスコ無形文化遺産の登録を目指す。
「文化財としての価値が高まれば、ロシアによる文化財破壊への抑止にもなる」と語る。
それでも、戦時下で国家予算は戦費に費やされ、文化や教育部門の予算は削減されるばかりだ。
ガリーナさんが働く民族図書館は「民族」という名が付与されているので、国立図書館の中では恵まれている方だという。
他の図書館などは予算削減のみならず、統廃合も進んでいる。
■ウクライナ人のアイデンティの強化
ウクライナ人とロシア人は同じ東スラブ系民族であり、共通事項も多い。
ウクライナ人本人も、ロシア人なのかウクライナ人なのか見た目では判別できない。
また、ソ連時代にロシア人かウクライナ人かはあまり重要視されなかったため、書類によって証明できるわけでもない。
問題は自己認識としてどうふるまうかだった。
実際、ソ連が崩壊した91年以降もウクライナでは、東側でロシア語、西側でウクライナ語を話す傾向があった。
筆者は14年以降、頻繁にウクライナを訪れているが、ウクライナ人から「なぜ、ウクライナ語を話さないといけないのか」という言葉をよく耳にした。
この状況は22年のロシアによるウクライナ全面侵攻によって一変。
領土の防衛以外の面でもウクライナ人は強固に「ウクライナ」であることを保護し、主張する必要に迫られている。
これが〝ウクライナ語を話す〟ことにも繋がっている。
そのようなウクライナ国民の思いが高まる中で活躍しているのがガリーナさんのような人たちだ。
「領土を守れたとしても、自分たちの文化がなければ、ウクライナである意味がなくなってしまう」と強調する。
■芸術を通じてウクライナに関心を
24歳のヴィカさんはコレオグラファーである。
芸術一家に生まれ、舞台芸術を専門とする国立大学を卒業した。
以前は、より美しく、楽しく踊ることを目指していたが、全面侵攻以降、踊ることの意味を深く考えるようになった。
戦時下で、職場でもあるキーウの劇場は市民の避難所となった。
ヴィカさんは前線の兵士への食糧配給などのボランティアに参加した。
その混乱の中で出会ったのが、同じく劇場に携わる仕事をしており、志願兵となったオレクシだった。
オレクシさんは映画の撮影などの仕事をしていた。
24年現在も東部前線で映像を撮る任務についている。
オレクシは「いつか自分の撮った映像で映画を作りたい」と話した。
2人は結婚している。
ヴィカさんは国を守るために戦地へ行く夫を誇りに思っている。
自身も定期的に危険な前線近くの街へ夫に会いに行く。
オレクシさんは「妻が来てくれることは非常に大きな精神的助けになっている」と話す。
一緒の時間を過ごせることによって心の休息と、つかの間の「生活」を感じることができるという。
兵士は前線で常に大きなストレスを抱えているのだ。
領土を守るオレクシさんとオレクシさんの心や気持ちを支えるヴィカさん。
現在のウクライナを物語る関係だ。
2人をつなぐのは、形は違っていても、夫婦で芸術や映像に関わる仕事をすることにあるという。
少し前、ヴィカさんはホロドモールについての舞台の振り付けをした。
ホロドモールとは、ソ連時代にウクライナで起きた人為的な大飢饉である。
その犠牲者は350万人にも上ると言われソ連によるウクライナ人の虐殺であると考えられている。
また、コレオグラファーとして、幼児向けダンス教室の手伝いも始めた。
「子供や母親が安心して過ごせる場所を作りたい」とその目的を語る。
首都キーウでも毎日のように空襲警報が鳴り響く。
防空システムがあるので確かに着弾は少ないが、一方で迎撃音もすさまじい。人々は音に敏感になりがちだ。
そのため、突然大きな音が鳴らない音楽を慎重に選んでいるという。
踊りを教えるのではなく、子供たちが自発的に踊りはじめるような工夫もしている。
まずは大人たちが踊り、子供がそれに付いてくるように諭し、子供が踊り始めると大人は補助役に回る、という具合だ。
子供を連れてくる親たちも、子供が自ら踊り始める姿に驚き、喜んでくれるのだという。
ヴィカさんは「幼児向けのダンス教室で、戦時下での平和な空間を作りたい。それが一人でも多くここに居続けられることに繋がる」と語る。
ヴィカさんは何度も「ウクライナ人にもっとウクライナという問題に関心を持ってもらいたい」と言っていた。
ウクライナ人全員が戦争やウクライナのアイデンティに向き合っているわけではない。
多くの人が悪いことは考えたくない、と無関心を装っている。
自分の仕事である芸術を通して関心を持つ人々が増えたら、との思いだ。
「私たちウクライナ人がここにいる。
それがウクライナを守ることになる」と静かに言った。
■戦場でなくても〝戦う
ロシアによる全面侵攻は、ウクライナ人のアイデンティティを再確認させ、
強化する大きな契機となった。
兵士たちは日々強いストレスの下で戦っている。
このため、アイデンティティの問題を問い直す余裕はあまりない。
文化や言語などを通じてウクライナ人とは何かを示すことが、戦場にいない女性の大きな役割となっている。
戦争は人々にウクライナ人として生きるという責任をもたらしたと言えるだろう。
ガリーナさんやヴィカさんのような女性たちの日々の生活がウクライナを支える力になっていると言える。
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