世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

磯城  近江国(米原) お城のデータ お城の概要 歴 史

2023-09-29 15:43:54 | 連絡
〇お城のデータ
所在地:米原市磯  
map:


区 分:居館
現状:畑地、宅地、県道
築城期:室町期
築城者:磯崎氏
遺 構:堀痕(水路)、石垣・石材
標 高:90m  比高差:0m 
目標地:磯崎神社 
駐車場:磯崎神社 
訪城日:2015.10.4
県道2号線のバイパスの南側の畑地が残る
〇お城の概要
磯山城・磯碕神社の北、県道2号線のバイパスで分断された比定地。
磯村に「小字大小屋」地名が残る。明治期に地籍図には微高地と思われる畑地が描かれいる。
 現状は、県道2号線のバイパスの南側の畑地が残る、北側は集落・畑地
伊吹の荒ぶる神の毒気に当たった日本武尊が、醒井の居醒の清水で正気を取り戻し、都へ帰る途中に千々の松原にて崩御され、ここ磯山に葬られたと伝えられています。
 磯崎神社 :
崩御された日本武尊は白鳥になって飛び立ったとも伝わっています。 
日本武尊を厚く守護神として祭るため、この神社が建立されました。
毎年5月3日の例祭では「磯武者行列」がおこなわれ、日本武尊にあやかって男児は武者姿、女児は稚児姿で巡行します。
〇歴 史
『江州佐々木南北諸士帳』に 「坂田郡 磯 宮士 磯崎金七」 とあり
『淡海木簡攫』には、「往古磯崎金七ト云武士住居ス、邸宅跡猶在ス、後裔伊賀国上野ノ家士ノアリト云」
信長公記 三巻 志賀の陣  志賀御陣の事
信長公は大雪の中を行軍して16日に佐和山山麓の磯の郷(現滋賀県米原町)へ宿陣し、翌12月17日久方ぶりに岐阜へ帰陣した。
『近江百人一首』に、和歌の全文は「さざれなみ 磯越路(いそこしぢ)なる 能登瀬川(のとせがは) 音のさやけさ たぎつ瀬(そ)ごとに」で、歌の意味は「さざ波が磯を越すといふ、その越すではないが、越(こし)の国へ通う路にある能登瀬川の音のさやかなことよ、はげしく流れる川の瀬ごとに。」であると記されています。
また同資料には、作者は「波多小足」で、略歴は「万葉集第三期の歌人。続日本紀に見える足人・広足・百足らと同族かという説があり、また武内宿禰の子孫かという説もある。万葉集にはこの一首のみが載っている。」とあります。収録されている歌集は「万葉集 巻第三」と記されています。
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』『江州佐々木南北諸氏帳』『淡海国木間攫』『信長公記』ウィキペディア



最新の画像もっと見る

コメントを投稿