そういえば、実家に帰省したときに
母だけはいつもの母だった
そして
母がお決まりの
また、足が痛くてねーと可哀想な私でしょう💦と演じてくれた
これは、私が物心ついた時から起こり続けている幻想だ
その瞬間は、やっぱりいろんな所が痛くなって可哀想なお母さんという思考が起こってきたが
その後に、その様に見てるのは私が自我と同一化して見てるだけで
本当は、お母さんの形をした聖霊であり
私が引き下がりイエスに真実を見せていただくならば
神の愛を延長して下さっている神の子なのだ
だから
今回は、特に母が私の目覚めのために演技をしてくれているようにしか見えなかった
いつもは、同情という自我の恐れからそうなんだ~、大変だね~、きついね~という言葉が起こってきていたが、
今回は、ただ母の話を頷いて聞いてるだけで、そう~という言葉しか起こってこなかった
だから、そのお母さんの、わたし身体が痛くて可哀想でしょう~という演技が長く続くということが起こらなかった
今までお母さん聖霊の演技に同意してたので
お母さん聖霊は、私が気付くまで演技をして下さっていたのだな~
もしかして、その演技はまだまだ続くかもしれないけど何も問題はない
私を掴まなければ、イエスに真実を見せていただくだけなのだ
私は何度も何度も引き下がり
やがて無だったことを
神の愛の中で思い出すだけなのだ
本当に有難いことです
年末年始で、兄弟聖霊が教えて下さいました
沢山の気付きと闇を見つめる機会を与えて下さり有難うございますm(__)m