のりこさんが、実践コースで、実践コースに参加された兄弟が、「マグダラのマリアってどんな方ですか?」という質問から、
「愛は誰も忘れていない」ゲイリーレナード著の本のP168~169をシェアして下さった。
そして、翌日のメッセンジャーで更にのりこさんがシェアされた。
ずっと男性と女性という関係を分離の目的で使い続けてきた。
でも、その自我の欲求を見つめながら、光に捧げて、聖霊の神聖な関係のために使っていただく。
何のための目的なのかを常に思い出したい。
そして、もっと深いところから、今大切なメッセージがきてるのだと感じる…
何の目的なのか、何度も思い出しながら、聖霊に真に見れる様に祈ります。
有難うございますm(__)m
のりこさんのシェア↓↓
昨日シェアした、ゲイリーの3冊目の磔刑の話はいつ読んでも泣くのですが、
あれは、イエスとマグダラのマリアが2人で一緒に行った究極の愛の教えで
イエスにとっての究極の証人が、マグダラのマリアだったので
彼にとってマリアは完全に1つになるために必要だったんだ。
うまく言えないけど、
自分の中にイエスとマリアを認識して彼らと自分と完全に一つになることを受け入れる。
悲劇の2元から、幸せな夢=実相世界=2元の終わり=世界の終わり
悲劇ではない男性性と女性性=神聖な関係
そういうことを教えてもらうのかな?
ありがたいなと思いました。
愛は誰も忘れていない
ゲイリー・レナード著
P169より↓↓
磔刑のとき、一人のローマ兵がJの手首に釘を打ちつけたが、Jは痛みを感じず、苦痛を見せることもなかった。
その兵士は憤り、Jに叫んで問い詰めた。「なぜ何の痛みも感じないのだ?」。
Jは落ち着いて彼を見つめ、こう言った。
「心に罪悪感がなければ、苦しむことは出来ないのだ」。
その兵士はJに痛みを与えられない自分の無能さに憤慨し、Jのわき腹に槍を突き刺した。
そんなことをしてもその兵士の助けにならず、Jへの影響は何もなかった。
十字架に釘づけになり血を流しているとき、Jはマリアを優しくじっと見つめ、彼女も彼を見つめていた。
目を合わせた二人の顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
彼らはJが死を克服することを知っていたんだ。彼の心の中では、彼は身体ではなかった。
彼の存在は、世界に殺害されることなどできないものだった。世界によって傷つけられることさえなかったんだ!
彼の存在である霊(スピリット)は、神と何ら変わらず永遠に続く。
彼女はJと同じことを体験していた。彼らの内側にある真実を変えられる者は、この世界にはいなかった。