今日は真我なるハートの実践コースだった。
今日も始める前に、目を閉じて心を静かにして、イエスに必要なことを話させて下さいと祈った。
話していた内容は、イエスのガイダンスにより、介護の仕事を体験したことを表現していた。
個人のナナシの設定では、自分の人生の中で、絶対やりたくない仕事だったし、絶対に体験することのない仕事だと思っていた。
でも、心のレベルでの死や老い、偏見を、分離維持のためにリアルにしておきたかったという自我の欲求が炙り出された。
ただ、これは始まりでその映像の中で、出るべきものは、これからじゃんじゃん出てくるだろう。
そして、私がすることはそれを認識しては光に捧げて、「無」だったとイエスに思い出させていただく。
そして、のりこさんがその幻想を通して、「聖霊の部分が引き出される」と教えて下さった。
もちろん、何度かその映像の中で、イエスに「真に見れる様に助けて下さい」と祈りに入ることで、目の前の兄弟が年を取った人間ではなく聖霊に感じて何度か泣きそうになった。
ただ、それはまだ少しの自覚であり、私の誤った信念がそれを自覚することを邪魔している…
「与える機会を与えて下さり有難うございます」と真に言えるまで、その映像の中で出てくるものを光に捧げ続け、イエスの声のみに従いたいと思う。
個人のナナシは、今だに「何でだよ~」「もっとお時給が良くて楽な仕事があるだろう~」と叫び続けてるが、
それも起こってきては光に捧げ続ける。
分離をまだ信じている私は、自分にとって、価値あるものが分からないのだ。
もう、イエスの声に「はい」と言うしか選択肢はない。
そこに真実があるのだから…
のりこさん、イエス、神さま
本当に有難うございますm(_ _)m