私が燃え尽きるまで~目覚めへの軌跡~

目覚めまでの自我の闇出し・奇跡のコースブログ

真に目覚めたくない誘惑を見つめる

2019-09-12 02:12:25 | 自我の闇を見つめる


最近…


真の目覚めを歪めて、「目覚めた様な感じでいいんじゃない~」という誘惑の映像が起こってくる。



映像の中では、兄弟がその様に言ってくるという演技をして下さる。



そして、今の個人のナナシの過程を見て、苦しんでる様に見えるのだろう


全く楽しんでないように見えるのだろう




確かに、個人のナナシは思う。



個人の私が楽しく幸せに生きるためには、これを選択したらいいよね…と。



それは、思う存分やってきた。




だから、もう目的が違う。



個人の私臨在のためではなく



個人の私消滅であり…



神の臨在なのだ。





そして、それは個人が思っていた幸せではなく、言葉にも言い表せることが出来ない幸せなのだと、真に目覚めた兄弟が見せて教えて下さる。




だから、その目的のために何をしたらいいか?という聖霊の声に従うのみなんだ。



ただ、分離した兄弟は居ないので、これも自我の一者が書いたシナリオであり、


自分自身の誘惑に過ぎないのだ。




途中で個人の私消滅を辞めて、自我の私が臨在したまま、目覚めた感じ~で何度も何度も産まれ変わりたいし、ストーリーを掴み続けたいのだ。


それは、スピリチュアルな役割であってもいいし、自我の私が生き残るために、幻想は何でもありだ。




今回も、私と兄弟が話すという映像を使って、イエスが真の目覚めへの道を指し示して下さいました。




あ~


本当に以前の個人のナナシの様な演技が出来なくなっていることに気付く。



でも、それは自分自身に妥協しない(常に聖霊と共にいる)レッスンなのだとも感じる。




ただ、これも目覚めていない私のストーリーから見た視点であり、



本当は、何も起こっていないし、何も出来ていないのだ。




GOD IS


のみだ。





それのみなんだ。







ありがとうございますm(_ _)m



ありがとうございますm(_ _)m

束縛も、解脱も、解脱を求める人も存在しない。これが究極の真理だ。

2019-09-10 13:51:37 | アドヴァイタ(パパジ)



解脱した人は新しい足跡を蓄積せずに生を生きていく。


覚醒の炎が彼の貯蔵庫を焼き尽くしたからだ。


彼の悟りは新しいカルマが彼にとりつくことを妨げる。


彼にとって、過去と未来はともに消え去ったのだ。


そのような人の行為は未来の報酬という概念に動機づけされない。


「私がこれをすれば、これが起こるだろう」と考えて行為することはない。



行為はおこるだろう。
だが、行為をしているという感覚はそこにないのだ。


彼は為されたことに特別な興味を示さない。


そして、それに対する執着もない。



あなたにこの最終の誕生と特定の脚本を備えた身体を与えたカルマが、運命づけられたさまざまな活動に身体を従事させ続けるだろう。


だが、そこには身体との同一化も、計画することも、あれはすべきでこれはすべきではないという観念も存在しない。


あなたはそれを通して夢の中の登場人物の様に生きていく。



そしてこれまで足跡が生みだしてきた終わりのない転生と苦しみの全過程を理解するだろう。



そしてあなたはそれらが今、永遠に終わったこと、そして決してふたたび繰り返すことはないと理解するのだ。



あなたは世界の創造者がけっして存在しなかったことを理解し、それを直接知るだろう。



創造者も、創造も存在しない。

これが究極の真理だ。



もし足跡が残されない場所にたどり着きたければ、創造者も創造も存在しないことを直接知る場所に到達しなければならない。



そこで、あなたはけっして誰も束縛されていなかったこと、けっして誰も解放されなかったこと、誰も真理を求める人はいなかったことを知るだろう。




覚醒の炎
P267より








正気な心でないと真に見ることは出来ない~のりちゃんねるより~

2019-09-09 11:50:05 | 聖霊からのメッセージ



昨日は、のりちゃんねるを聞いてて、




自我の私の頭(ず)が高い



私は間違った見方をしている



という事を改めて認めることとなった。





自我の私の頭が高いとは、


まだ、神の上に立ちたい、勝ちたいという欲求を認識する。


そして、心から飛び出し自我と同一化してそれを掴もうとすることに気付かされる。




私は、間違った見方をしている。というのは、


分離維持のため、自分が見たいように見ている。



この兄弟はこの様な人で、あの兄弟はこの様な人と…常に序列、違いを見ている。



正気な心でない限り…真に見ることは出来ない。



だから、正気な心で在るとき、イエスがなさって下さるので、「個人の私」が何かを言ったり、行動するのではない。



イエスが終わった所から、ただただ最善をなさって下さる。




まだ、全て浸透は出来てないけど、受け取れる分だけを受け取らせていただけたことに心より感謝します。




のりこさん、しょうこさん


一緒に進んで下さっているマイティーコンパニオン




いつも


いつも



有難うございますm(_ _)m






イエス、聖霊、神さま



いつも


いつも



有難うございますm(_ _)m











自我のやさぐれ時期

2019-09-05 19:10:41 | 自我の闇を見つめる

自我は今やさぐれ時期に突入している


じょうだんじゃねーーーよ!!

くそーーー!!!

何なんだよーーーー!!



聖霊と1つになった時の愛の自覚も時々来るが、




愛が何なんだよ!!!!


このやろう!!!!


やさぐれ具合が半端ない…



それは無なのだが、見つめて光に捧げ続けます。




有難うございますm(_ _)m

自我の期待を諦める

2019-09-03 17:22:33 | 聖霊からのメッセージ


自我のこうでありたい…という期待を全て手放す。



そして諦める…




目覚めに向かわない自我の目的であればそれを永遠と思えるくらいすればいい。



でも、その自我の目的は、幻想の中で悪いと思えることも良いと思えることも、罪ある私は磔刑。という結果になる。



自我の目的を掴むと、結論は全てそこにたどり着く。



まだ、それを見えないように自我は自分騙しをしているし、それを掴んでいるが、



それが無だったという事のみ思い出したい。



だからこそ、自我の目的全てを諦めて、イエスのガイダンスのみに従う。



イエスのガイダンスを邪魔しない。




昨日の実践コースから、改めて教えていただきました。



ありがとうございますm(_ _)m