春分の日。晴れ。春らしく、汗ばむくらいに温かい一日だった。年を取るとともに、季節感を味わいたいという思いがますます強い。
ライカにプラナー50mm/F2、広角はGR21で外出。
朝、靖国神社。葛飾北斎の版画に千鳥が淵を描いたものがある。その面影は今の地形にも認められるが、当時は靖国神社などというものはまだない。靖国神社は明治の近代国家と軍制とともに、招魂社として始まったからだ。去年の桜の季節に、千鳥が淵で桜見物をし、インド大使館のバザーでカレーを喰ったことを思い出した。靖国神社はそれ以来ということになる。
巨大な大鳥居を入ると大村益次郎の銅像が高い塔の上に立ち、上野の山の方向を睨んでいる。本来ならば、大村がそこに立っていてもよかったはずなのだが、変わりに西郷隆盛が立っている。大村はこの逆賊西郷をはるかに監視しているのだ。明治の為政者達は、西郷の銅像建立は赦しても、大村に監視でもさせなければ安心できない思いであったのであろう。
早咲きの桜が咲き始めていた。軍歌を三味線で引き続けている男。韓国語を話す一群。どういう人たちであろうか。
大扉に巨大な菊の紋。天皇家と菊の紋との結びつきは、後鳥羽院が菊の花を殊更に愛でたことに始まり、例の戊辰戦争の際に岩倉具視の発案で錦の御旗に菊花を意匠として使用したことで決定的となった。
靖国神社から、大村の視線に導かれて、上野へ向かった。アメ横は賑わっていた。プラナー50mmでスナップ。不忍の池には、たくさん貸しボートが浮かんでおり、対岸に細長く高いホテルが見渡せる。不忍の池で写真を撮影する度に気になる建物で、何か不吉な感じの写真になるのが常であったが、今日ふと気が付いた。卒塔婆のように見えるのだ。
岩崎邸へ立ち寄った後、根津まで歩き、三浦坂から谷中へ上がる。東京は坂の多い都市である。谷中から日暮里側の崖まで歩くと、そう遠くない昔、その辺り一帯が海の入り江であったことが一目瞭然に理解できる。
お彼岸でもあるし、墓参りの家族や散策の人が数多く見られた。谷中に上がってくるのに、私の最も気に入っている坂道が、この三浦坂である。以前散策の折りに偶然にこの坂の由来を知った。坂の昇り口や坂上の大名時計博物館があるあたりにかけて、三浦氏勝山藩の下屋敷があったことから、この坂がそう呼ばれるようになったのであるが、その勝山藩というのが、私の郷里に近い美作の国の1万2千石の小藩のことである。上屋敷は地下鉄の霞ヶ関駅のあたりにあった。
田舎から出てききた美作なまりの下級武士が、馴れぬ江戸の毎日をこの下屋敷で送っていたわけだ。
上野戦争の際には、彰義隊がこの下屋敷に押し込み、参加を強要したという。勝山藩は幕末の動乱の中で佐幕を標榜するという要領の悪さで、何ぶん田舎の小藩のことであるから、困り果てたことであろう。
三崎坂を下って行くと、テレビドラマのスタッフと女優さんが撮影をやっていた。千駄木駅より地下鉄にて帰宅。
L○S◎I○