帰郷し、父の入院している病院へ。
叔母の家族が見舞いに来院。
母は毎日通っているので、JR駅の切符売りの若い女性やタクシーの運転手と顔見知りになり、仲良くなっている。なにかと親切にされるようだ。
今回のことでお世話になった近所の方へお礼の挨拶回り。
町に去年のダイドードリンコの「日本の祭り」のポスターが貼ってあるのに気が付いた。八尾のおわらや西馬内音頭の写真があるなと見ていたら、それらに混じって、なんとわが町の「けんかまつり」もあるではないか。びっくりした。おそれ多い話である。岸和田のだんじり祭りをはるかに小さくしたような祭りなのだが、おわらと一緒に並べられるようなメジャーなまつりでは全くない。
父がこのだんじり祭りで怪我をしたのは三十台の頃だっただろうか。まつりの手伝いをしていて、だんじりに足を轢かれてしまったのだ。父はひとりで家まで帰ってきて、台所の土間で長靴を脱いだらしい。土間が血だらけになっていた。その後病院へ連れて行かれて縫合などの処置を受けた。大事には至らなかったのだが、その血だらけになっていた土間のことがふいに記憶に蘇った。
叔母の家族が見舞いに来院。
母は毎日通っているので、JR駅の切符売りの若い女性やタクシーの運転手と顔見知りになり、仲良くなっている。なにかと親切にされるようだ。
今回のことでお世話になった近所の方へお礼の挨拶回り。
町に去年のダイドードリンコの「日本の祭り」のポスターが貼ってあるのに気が付いた。八尾のおわらや西馬内音頭の写真があるなと見ていたら、それらに混じって、なんとわが町の「けんかまつり」もあるではないか。びっくりした。おそれ多い話である。岸和田のだんじり祭りをはるかに小さくしたような祭りなのだが、おわらと一緒に並べられるようなメジャーなまつりでは全くない。
父がこのだんじり祭りで怪我をしたのは三十台の頃だっただろうか。まつりの手伝いをしていて、だんじりに足を轢かれてしまったのだ。父はひとりで家まで帰ってきて、台所の土間で長靴を脱いだらしい。土間が血だらけになっていた。その後病院へ連れて行かれて縫合などの処置を受けた。大事には至らなかったのだが、その血だらけになっていた土間のことがふいに記憶に蘇った。