A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

第2回東京8X10組合連合会写真展

2009年05月31日 | 8×10を始めよう
5月30日
正午、牛込柳町で、Tarningさん、studioloveshinさんと待ち合わせ、大久保通り
の「カルネヤ」で、昼食を食べながら、第2回写真展の会場、会期などについて打ち合わせ。
9月19日(土)~26日(土)の会期で、会場は元麻布ギャラリーと決定。週明けに正式な契約をする予定。
現在参加者10名で、もう少し増える可能性がある。72坪と、かなり広いギャラリーなので、1人あたり5~6m幅のスペースを取れる勘定になる。大全紙でも、4,5点展示できそうだし、コンタクト・プリントだと、10点くらいか。
自分で拡大プリントする人が半数と予想され、参加者の顔ぶれが、充実している。これだけの人数の、まとまった8x10の作品展示というのも、かつてないことで、一介の写真ファンとして、ひとりひとりにインタビューして回りたいくらいだ。
studioloveshinさんが、意欲的で、リキが入っている。こっちも負けちゃいられない。

一度新宿へ出たが、Tarningさんが渋谷の中古カメラ市へ行くと言っていたのが耳に残っていて、結局見に行った。大判関係を含めて、物欲は湧かず、何も買わず。いい傾向。抗体ができているらしい。

バイカウツギ(梅花空木)

2009年05月30日 | デジタル
日本原産。
かなり多種類の花木を扱っているホームセンターが近くにあって、最近は、時々そこへ行くのが楽しみだ。
植物園も結構だが、気に入った植物を自宅に持って帰れないんじゃ、つまらない。
洋物、和物いろいろあるのだが、日本語の名が付いている花木が自分の好み。漢字名が付いているものなどなおいい。
魚の名前もおもしろいが、花木の名前もおもしろいのだ。
空木、石楠花、躑躅、夾竹桃、山茶花、花水木、泰山木、馬酔木、沈丁花、柘榴、木通、梔子、百日紅、榊、紫陽花。
百合はなぜゆりと言うのだろう。

比叡山の天台座主が、来月、高野山を訪問する予定だそうだ。これが真言宗と天台宗の、実に1200年ぶりの交流だという。空海と最澄は仲が悪く、というか空海が一方的に、嘲弄とイジメを繰り返したことから、両宗派の仲は最低な状態であった。

ユリ(オリエンタル・ハイブリッダ)

2009年05月26日 | デジタル
5月24日
牛込柳町のギャラリーWithZakka+で開かれている若林泰子さんの写真展「BIG busy」を観に出かけた。
若林さんは、毎週、週末の夜、渋谷に出かけていっては、若者たちを撮っている。カメラは、40mm/F2のレンズの着いたライカCL。ノーファインダーで、至近距離からの撮影。
女性が撮り手でも、男性よりは、若い女性の方に関心が向かっているところにリアリティを感じた。
背景は、黒々とした粒子の夜の町と飛び加減の人工光。
観る方が、渋谷の夜の路上に立っているような感じになる。美しい獣が闊歩するサバンナの夜のようでもある。

会場に、satoboさん、kansukeさんが先客で来ていて、8X10写真展のことなど、しばらく密談。

駅のカレー屋で店員の女の子が三人マスクをして接客しているのを見た。
もちろんインフルエンザ対策なのだろう。ファーストフード店で最初に患者を出した所はどれだけ被害を受けるか計り知れないからだ。
その後、書店に入ると、中学生の女の子三人組がいて、これも三人ともマスクを着けていた。
そのうちの一人が、「後ろから頭を棒で殴り、前に倒れたところを蹴り上げて、踏みつけて殺すの」と言っている。
ぎょっとしたが、前後関係が分からない。あっという間にそのままどこかへ消えてしまった。
何のことを言っていたのか分からないまま取り残された。
アニメか何かの筋を説明していたのだろうか。

ハイビスカス

2009年05月24日 | デジタル
5月23日
「『断腸亭日乗』を読む」(新藤兼人 岩波現代文庫)を読んでいたら、大正九年五月二十三日永井荷風は、麻布市兵衛町の崖上の偏奇館へ引っ越してきている。約九十年前の今日である。以来昭和20年の空襲で、焼失するまでここに住みついた。
偏奇館は、土地九十九坪、建坪三十七坪の二階建て。外人が住んでいたのを買った家で、「ペンキ塗りにて一見事務所の如し」と書いている。アメリカの郊外型住宅のような家だったらしい。現在は泉ガーデンプレイスになっており、痕跡もなし。道源寺坂のみ当時の地形を残している。
映画監督の新藤兼人は、広島県の出身で、戦時中は招集されて、呉の海防団へ入隊しており、終戦直後は尾道に引っ込んでいたとある。呉海防団は、うちの父と叔父が入隊していたところで、ここだと外地の戦場へ行かなくて済むと言われていた。ところが昭和20年には度重なる空爆を受けて、多数の死者を出し、呉の町は完全に壊滅してしまった。

夕方、水道橋のアップフィールドギャラリーへ行き、企画展「Land Site Moment Element」を見る。3期に分けて、8人の写真作家が、風景写真を展示し、「現代において風景写真を撮るとはどういうことなのか」を考える写真展になっている。着いたときには、すでにギャラリートークが始まっていた。
聞いて理解したところを自分の言葉で解きほぐしてみると、どこか遠くに出かけて行って、フォトジェニックな風景写真を撮って来るということに、撮り手自身がすでに意味を見いだせないという現状の認識がある。そこから、むしろ身近の、見慣れた町の風景に視線が向かうことになる。発見されなければ、風景はただそこに存在しているだけで、撮り手が発見して始めて、風景は生起する。写真家の視線が引いた補助線によって、他者が風景を見るようになる。写真家の作業は、風景を見抜く眼力ということになる。(切り取るという言い方は、自分はきらい)だから場所はどこでもよくて、凡庸な(ありふれた)場所に、写真が成り立つ風景を発見することに意識的な努力が向かうことになる。ありふれた風景を、標準レンズで、水平に撮る。これは写真家がもっとも難しい(平凡な)条件を自分に課したことになるわけで、それが一般人が普通に撮った写真とどう違うのか。違っていれば、なにがしか写真家がそれを引き出したのである。それは写真を連続して繰り返し見れば、見えてくるはず。重要なのは、構図(もちろん構図をくずしたいという意図も含めて)、入り込んでくるもの、除外するものの選択。そういうことが、現在風景写真が置かれている状況と、作者の目線ということになろうか。
DIVISION-3に登場する予定の相馬泰さんが来場されていた。8x10写真展への参加をお誘いする。相馬さんとタカザワケンジさんとのトークセッションが行われる予定(7/4)で、必見である。