A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

横浜居留地

2006年05月30日 | 江戸から東京へ
この版画は、元々はベアトの長大な横浜パノラマ写真の右端の一部である。
写真のデッサンから起こしたものであるが、エメエ?アンベールが、1870年、パリのアシェット社から出版した「ジャポン?イリュストレー」の中に収録されている。
もちろんベアトの写真の方がずっといいが、オリジナルな写真はとうてい手に入らない。
手前が元町で、谷戸橋の先に建築ラッシュの外国人居留地、海には鹿児島遠征に備える英国艦隊の姿が見える。
右手の旗が上がっているあたりに、後年、ベアトの海岸通り17番のスタジオができるはずである。

御開港横浜之全図

2006年05月29日 | 横浜、横須賀
この地図を見ると、横浜の開港場が周囲を水路で取り囲まれていて、実のところ、陸に引っ込んだ長崎の出島のごときものであったのが分かる。繋がる橋は、吉田橋と谷戸橋だけである。規模においてその差は全く異なるが、発想において出島的な囲い込みの意志が見て取れるのは否定できないであろう。
条約上の開港場は、神奈川宿であったのだが、幕府は横浜村を神奈川と言いくるめて、どんどん港湾施設を作って行き、既成事実化したのである。ここまではかろうじて幕府が外交上のポイントを稼いだと言ってよかった。
神奈川宿は、東海道からの陸路と太平洋側からの海路とが交差する交通の要所であったので、攘夷の嵐吹きすさぶ当時に、ここに外国人居留地建設するということは、どんな衝突が起こるか予想できないほどの危険性を孕んでいた。
攘夷というのは、反幕派にとって、幕府を揺さぶり、窮地に陥れるための最良の方便となっていたからである。
幕府の意図はこれを避けようということで、その手際はかなりよかった。あっという間に港湾施設や居留地の埋め立てなどが完成したので、外国人居留民が驚いたという記録が残っている。

横浜村併近傍之図

2006年05月29日 | 横浜、横須賀
嘉永四年の横浜地図。
横浜村はもともとは大岡川の河口に山手側から長く伸びた砂州上の寒村であった。
幕末には、その内側の大部分が埋め立てられ、新田開発されていた。吉田新田、太田屋新田、横浜新田がそれである。
「象ヶ鼻」と呼ばれていたのは、横浜村の砂州の先端である。野毛浦に自然の防波堤をなすように突き出している。
その内側には洲干(しゅうかん)弁天社の祠があった。洲干というのは聞き慣れない名前だが、砂州と干潟に面した弁天社ということであろう。ベアトの撮影した、ひょうたん池のある境内の写真が残っている。
深川の洲崎や弁天社がやはりここと類似性を持った成り立ちである。
この象ヶ鼻や弁天社は、開港以前の横浜の地形の成り立ちを指し示すシンボルであって、貴重なものと思うが、現在その痕跡が全く残っていないので、それが残念である。象ヶ鼻のポイントを探したいと歩いてみたが、はっきりしなかった。

左手の横浜新田の部分が、今の中華街に重なるようだ。上の開港後の地図のように、日本人街が碁盤の目のような整然とした構造であるのに対し、外国人居留地の区画は規則性が崩れている。中華街の区画と齟齬を来しているように見えるのが何故なのか、不思議に思っていたのだが、この部分が横浜新田の農道をそのままに整備された区画と考えれば謎が解けるのに気がついた。


ダ・ヴィンチ・コード

2006年05月27日 | 街の底で
『ダ・ヴィンチ.コード』を観た。
初期キリスト教の謎解きの部分は、いろいろ発表されている研究書の解釈ネタにすべて寄りかかってつくられている。よくも臆面もなく、小説をでっち上げたな、というところ。世界的ベストセラーというのだから驚く。
死海文書では、マグダラのマリアがイエスの連れ合い(=妻)と記されていたり、、イエスが自分の後継については、ペテロではなくて、マリアに托したいと考えていたことが記されている。それがこのミステリーの謎解きの根幹を作っている。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の左手の人物が女性で、マグダラのマリアと考えられることも、借り物の解釈。本屋で宗教の棚を見てみると、邦訳本でもこのあたりの死海文書、初期キリスト教研究のネタが簡単に見つかった。
ニケーア公会議で四福音書を正典(カノン)に定め、イエスを神の子とする三位一体説を正統としたのは、死の床までキリスト教徒でなかったコンスタンティヌス帝であった。
それまでは死海文書のように、人の子イエスの姿を伝える文書が多数存在していたはずであるが、カトリックはそれらを異端とすることで、成立したという事情を持つ。
カトリックの信者は、この映画を当然受け入れられないだろうが、映画・小説自体が志の低い、できの悪いものなので、痛くも痒くもないだろう。
B級ミステリー映画を無理矢理ヒットさせようというやり口が、昔の角川映画と同じなり。

「十津川村 天誅殺人事件」というのも最近読んだが、これもひどい。「十津川草莽記」(吉見良三著、著者は物故したが、これは十津川郷士のすぐれた研究書)を下敷きにしているので、読んでみたのだが、話にならない。最近のミステリーってこんな程度でいいということになっているのだろうか。

新宿駅頭上の祓い塩

2006年05月27日 | 東京23区
新宿駅東口の駅ビル最上階近くに、巨大な盛り塩がある。
新宿の邪悪なエネルギーを祓うためには、これくらい巨大な塩の魔力が必要ということか。
毎日東口から吐き出される何十万人という人間は、この盛り塩の下をくぐって、歌舞伎町へ吸い込まれて行くわけである。
なんだかマイケル・ケンナの写真集で見た銀閣寺の庭の盛り砂にも似ている。