3月30日
半日しか自由がないので、どこに行ってみようかといろいろ考えた。
長崎、吉野ヶ里遺跡は以前に行ったことがある。大分県の臼木、津久見はかねてから行ってみたい町ではあるが、JRを乗り継いで3時間くらいかかる。田川、飯塚、八女などという地名が頭に浮かんだが、断片的なイメージしか持っていない。
そこで結局、特急で45分という近さが決め手となって、有明湾に面した柳川ということになった。
柳川というと、荒木経惟さんの写真集「センチメンタルな旅」がどうしても思い浮かぶ。したがってこの時期、陽光に溢れ、水ぬるむ水辺を予想していたのだが、残念ながら、今日は朝から、終日、冷たい雨が降り続いた。
朝早くホテルを出て、例のごとく町を歩き回った。お天気がよければ、船に乗って定番の船下りするといいのだが、今日は雨のため、乗客はみんなカッパを着せられ、寒そうにちぢこまっていたので、これは敬遠した。船下りのルートに近い道筋を、時々路地に道草しながら歩いた。
柳川のイメージは、こじんまりした掘割の続く古い町並みというくらいしかなかった。実際には水路は城跡の内堀、外堀であるので、かなり長大なものであった。水辺のどの家もさまざまな植え込み、立ち木を、周囲に巡らせていて、これが雨に濡れて、美しい。
旧藩主の別邸であった「御花」という旅館がアラーキー氏の写真の舞台にもなったところで、駅から歩いてもっとも遠い方角にある。観光客の多いスポットである。荒木さんは、ここで陽子さんをヌードにして撮影したりしていた。(今出ている「センチメンタルな旅、冬の旅」は見るのが気が重い。昔の前半だけの写真集の方が好きだった。70年代の頃、高田馬場の書店でよく見かけていて、でも買わなかった。)
とは云うものの、自分は荒木さんの写真のイメージを拾い集めるために来たわけではないので、あちこちと道草しながら歩いた。
北原白秋の生家が記念館になっていて、これも覗く。七五調、歌謡調、異国趣味といった詩風は、あまり好みではなく、今までまともに読んだことなし。郷里での写真が6x6フォーマットで撮られていたのに興味を引かれた。
白秋の生家から近い所に沖端漁港があって、こちらにも出かけた。水路端を歩いていた時に真水の匂いが強く漂っていたのが、急に海水の匂いに取って代わった。堆積した砂州の上に、小生物(カニやムツゴロウ?)が生息する穴が無数に開いていて、それを狙うのか、雨の中、カモメが砂上に群れている。
付近の路地に入ると、家の造りが漁村の佇まいになっている。小さな祠をたくさん見かけ、おもしろいのは、ここの祠は街灯付きであることだ。ということは、明け方や、夜にお参りすると思われ、それは朝の早い漁村風なのだろうか。
6月に銀座のニコンサロンで、「宮本常一が見た日本」という写真展が、開かれることを知った。民俗学者の宮本がオリンパスペンで撮った、昭和37-38年頃の日本各地の写真である。宮本ほど日本中の隅々まで旅をした日本人はいないので、これも楽しみ。
半日しか自由がないので、どこに行ってみようかといろいろ考えた。
長崎、吉野ヶ里遺跡は以前に行ったことがある。大分県の臼木、津久見はかねてから行ってみたい町ではあるが、JRを乗り継いで3時間くらいかかる。田川、飯塚、八女などという地名が頭に浮かんだが、断片的なイメージしか持っていない。
そこで結局、特急で45分という近さが決め手となって、有明湾に面した柳川ということになった。
柳川というと、荒木経惟さんの写真集「センチメンタルな旅」がどうしても思い浮かぶ。したがってこの時期、陽光に溢れ、水ぬるむ水辺を予想していたのだが、残念ながら、今日は朝から、終日、冷たい雨が降り続いた。
朝早くホテルを出て、例のごとく町を歩き回った。お天気がよければ、船に乗って定番の船下りするといいのだが、今日は雨のため、乗客はみんなカッパを着せられ、寒そうにちぢこまっていたので、これは敬遠した。船下りのルートに近い道筋を、時々路地に道草しながら歩いた。
柳川のイメージは、こじんまりした掘割の続く古い町並みというくらいしかなかった。実際には水路は城跡の内堀、外堀であるので、かなり長大なものであった。水辺のどの家もさまざまな植え込み、立ち木を、周囲に巡らせていて、これが雨に濡れて、美しい。
旧藩主の別邸であった「御花」という旅館がアラーキー氏の写真の舞台にもなったところで、駅から歩いてもっとも遠い方角にある。観光客の多いスポットである。荒木さんは、ここで陽子さんをヌードにして撮影したりしていた。(今出ている「センチメンタルな旅、冬の旅」は見るのが気が重い。昔の前半だけの写真集の方が好きだった。70年代の頃、高田馬場の書店でよく見かけていて、でも買わなかった。)
とは云うものの、自分は荒木さんの写真のイメージを拾い集めるために来たわけではないので、あちこちと道草しながら歩いた。
北原白秋の生家が記念館になっていて、これも覗く。七五調、歌謡調、異国趣味といった詩風は、あまり好みではなく、今までまともに読んだことなし。郷里での写真が6x6フォーマットで撮られていたのに興味を引かれた。
白秋の生家から近い所に沖端漁港があって、こちらにも出かけた。水路端を歩いていた時に真水の匂いが強く漂っていたのが、急に海水の匂いに取って代わった。堆積した砂州の上に、小生物(カニやムツゴロウ?)が生息する穴が無数に開いていて、それを狙うのか、雨の中、カモメが砂上に群れている。
付近の路地に入ると、家の造りが漁村の佇まいになっている。小さな祠をたくさん見かけ、おもしろいのは、ここの祠は街灯付きであることだ。ということは、明け方や、夜にお参りすると思われ、それは朝の早い漁村風なのだろうか。
6月に銀座のニコンサロンで、「宮本常一が見た日本」という写真展が、開かれることを知った。民俗学者の宮本がオリンパスペンで撮った、昭和37-38年頃の日本各地の写真である。宮本ほど日本中の隅々まで旅をした日本人はいないので、これも楽しみ。