A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

雨の柳川

2008年03月31日 | 旅の破片
3月30日
 半日しか自由がないので、どこに行ってみようかといろいろ考えた。
 長崎、吉野ヶ里遺跡は以前に行ったことがある。大分県の臼木、津久見はかねてから行ってみたい町ではあるが、JRを乗り継いで3時間くらいかかる。田川、飯塚、八女などという地名が頭に浮かんだが、断片的なイメージしか持っていない。
そこで結局、特急で45分という近さが決め手となって、有明湾に面した柳川ということになった。
 柳川というと、荒木経惟さんの写真集「センチメンタルな旅」がどうしても思い浮かぶ。したがってこの時期、陽光に溢れ、水ぬるむ水辺を予想していたのだが、残念ながら、今日は朝から、終日、冷たい雨が降り続いた。
 朝早くホテルを出て、例のごとく町を歩き回った。お天気がよければ、船に乗って定番の船下りするといいのだが、今日は雨のため、乗客はみんなカッパを着せられ、寒そうにちぢこまっていたので、これは敬遠した。船下りのルートに近い道筋を、時々路地に道草しながら歩いた。
 柳川のイメージは、こじんまりした掘割の続く古い町並みというくらいしかなかった。実際には水路は城跡の内堀、外堀であるので、かなり長大なものであった。水辺のどの家もさまざまな植え込み、立ち木を、周囲に巡らせていて、これが雨に濡れて、美しい。
 旧藩主の別邸であった「御花」という旅館がアラーキー氏の写真の舞台にもなったところで、駅から歩いてもっとも遠い方角にある。観光客の多いスポットである。荒木さんは、ここで陽子さんをヌードにして撮影したりしていた。(今出ている「センチメンタルな旅、冬の旅」は見るのが気が重い。昔の前半だけの写真集の方が好きだった。70年代の頃、高田馬場の書店でよく見かけていて、でも買わなかった。)
 とは云うものの、自分は荒木さんの写真のイメージを拾い集めるために来たわけではないので、あちこちと道草しながら歩いた。
北原白秋の生家が記念館になっていて、これも覗く。七五調、歌謡調、異国趣味といった詩風は、あまり好みではなく、今までまともに読んだことなし。郷里での写真が6x6フォーマットで撮られていたのに興味を引かれた。
 白秋の生家から近い所に沖端漁港があって、こちらにも出かけた。水路端を歩いていた時に真水の匂いが強く漂っていたのが、急に海水の匂いに取って代わった。堆積した砂州の上に、小生物(カニやムツゴロウ?)が生息する穴が無数に開いていて、それを狙うのか、雨の中、カモメが砂上に群れている。
 付近の路地に入ると、家の造りが漁村の佇まいになっている。小さな祠をたくさん見かけ、おもしろいのは、ここの祠は街灯付きであることだ。ということは、明け方や、夜にお参りすると思われ、それは朝の早い漁村風なのだろうか。

 6月に銀座のニコンサロンで、「宮本常一が見た日本」という写真展が、開かれることを知った。民俗学者の宮本がオリンパスペンで撮った、昭和37-38年頃の日本各地の写真である。宮本ほど日本中の隅々まで旅をした日本人はいないので、これも楽しみ。

名なしのカメラと柳川へ

2008年03月30日 | 旅の破片
3月29日
朝5時起床。仕事関係で、福岡へ行く必要があり、早朝の羽田発の飛行機に乗った。
日中用事を済ませ、夜は、博多には泊まらないで、西鉄の特急で柳川までやって来た。所要時間、約45分。ここに泊まって、明日は、柳川の町を歩き回ってみるつもり。
持参のカメラは、”ノーネーム”キエフ(64)。レンズは、ゾナー50mm/F2コピーのジュピター8と、ビオゴン35mm/F2.8コピーのジュピター12。
”ノーネーム”キエフは、その実態としては、キエフ4aと全く同じカメラだ。アメリカ輸出用に、組み立て精度を若干見直し、キリル文字のKIEVのロゴを刻印しないで出したということらしい。
製造された63,4年という時期は、キューバ危機の記憶もまだなまなましい冷戦下であるから、キリル文字のカメラを西側諸国に流通させるなど考えられないことだったのであろう。名なしならば、シロートには、コンタックスと区別がつかない。
その結果、この”ノーネーム”キエフは、東西対立の象徴とも云うべき歴史的なカメラになっている。しかもコンタックスIIより安い。
個人的には、ニコンSPよりカッコイイ。
画像アップできず。

KIEV "no name"
名なしのオプ
名前のない馬
名もなく、貧しく、美しく
名もない花
名なしの権兵衛
名こそ惜しめれ
無印良品
吾輩は猫である。名前はまだない。